次元上昇による『自分の次元』はどこにあるのかの解説(次元は上昇するんじゃなくて降りてくる件)
私たちの世界は3次元から5次元により構成されている。このように私は説明してきたが、その理由は、3次元に物質、4次元による時間、5次元における『みえないもの』により構成されているためだ。
当時はこのように見解した。
ツインレイの統合と次元的解釈 概念 個人 ツインレイの統合 3次元 物質・存在 肉体 記憶の統合 4次元 時間・命 霊魂 精神の統合 5次元 縁・繋がり・魂 魂 魂の統合
私たちの肉体で説明すればもっともわかりやすく『3次元に肉体』『4次元に時間』『5次元に見えないもの』というカタチである。
3次元の肉体には時間の概念がない。ゆえに、生きてもいないし死んでもいない状態である。そして、次元をバラバラにして認識することも出来ない。
理由は低次元である0次元が存在していなければ高次元をも存在させることは出来ないためだ。
さて、今回のテーマは、大元となる0次元から世界にとって『みえないもの』である5次元についてを丸ごと考えていきたいと思っている。
0次元と自分
0次元とは『何もない』世界である。いわゆる、この0次元そのものが『無』である。
無とは0でもないわけである。0とは1が存在しているから0という数字が成立する。つまり、1がなければ0は成立しない。0次元が『無』の人もあれば『零』の人もいる。この違いは大きく違う。
私たちは、無という何もないものから生まれた。
かくいう0次元の図を『点』として表現しているが、本当のところ、0次元には『点』さえも感じることはできない。これは便宜上の点であり、私たちが知覚できるのは1次元である『線』にある。
0次元 1次元 2次元
そもそも私たちには0次元など存在させることが出来ていないということだ。
では、この0次元を『自分』として定義しているが、自分とは何か——である。
そもそも私たちには『自分』というものがない。私たちは、この肉体、この精神、この時間、この命そのものを自分として認識しているが、この自分とは本当に私たちなのだろうか。私たちの意識上、私たちは『私たちではないものを私たち』として認識しているに過ぎない。
理由はひとつだ。そもそも私たちは0次元に自分を置き、1次元から『自分以外のもの』の概念を配置し、その概念により自分以外のものから『自分』という存在を理解していくことになる。
他者を通してのみにしか、自分を理解することは出来ない。つまり、自分が思っていることは他者が思っていることであり、他者が思っていることが自分が思っていること——というある種ひとつの反転的な認識にまでいたるほどの無情のような世界が私たちの世界である。
0次元には何もない故に、私たちは自分という概念を履き違え、また、自分というものにこだわる。しかし、そのこだわっているものは『他者がこだわっているもの』であり、自分がこだわっているものではない。
ゆえに、自分を守ることは『他者を守り続けている』に過ぎず、他者を守ることは『自分を守り続けている』という世界観のもとに私たちの世界は構成されているととらえるべきである。
この認識の反転が生じる原因は、0次元に『なにもない』ことにあり、1次元に『なにかがある』ということで、私たちは0次元と1次元をひっくり返して認識してしまうのである。そして、なにもない0次元が自分だとは思いたくもないし、1次元にある『あるもの』を私たちは『自分と思い込む』わけである。
そして『あるもの』とは『自分以外のもの』である。では『自分とは——』?
0次元とは、このような『無という自分』と『有という他者』の概念の認識に大いに役立っているし、私たちにとって0次元は起源でありながらも、なにもない自分を受け入れられずに地球で『あるもの』を探し続けている。
私たちのなかには何もない。自分は自分ではない。いわゆる、このような精神異常者のような状態に極めて近くなる認識が『0次元』の解釈にある。
0次元を膨張させ5次元まで膨らませる
私たちは『無』である。0次元にある。しかし、私たちは次元を繰り返しては膨張させることができる。
その膨張により私たちの概念的理解は深くなる。
- 1次元の異性
- 2次元の他者
- 3次元の意識
- 4次元の無意識
- 5次元の無(神)
次元が高いとは『自分のなかにあるものが複雑化する』ということ。
この次元の概念を私は上記のように設定した。1次元には『異性』としておいたのは、絶対的に肉体が同一ではない存在という真逆なる異性性を設定する必要性があるように感じられたためだ。
さて、この次元を『大きく展開する』ことにより、私たちの理解や知覚の力量が増える。5次元においても『無』として設定したが、この無そのものも見えないものとして定義する為、神という概念や幽霊という概念も、この5次元の領域に入れこむとする。
この次元が高次元になればなるほど、認識がしにくいものにまで自身の知覚を広げていくことになる。
そして、私たちの意識は常に3次元にとどまっている事実についても触れたい。
私たちの意識(自分を定義)は基本的に3次元にある
一般的な私たちの意識は、常に『3次元』に存在している。この3次元には『意識』が存在しており、私たちが『知覚する』という『今の切り取り』は常にこの3次元に存在している。
3次元の連続性が存在しているとき——、3次元に時間的概念を追加するとき、4次元へと昇格する為、私たちの世界そのものを一般的に捉えるのであれば4次元だと定義するべきだが、私たちの意識そのものは常に『3次元』に存在している。
私たちは『自分』と思わしきものを『3次元』に設定しているということだ。
これはアイデンティティという言葉にも置き換えることができる。
自分とはどのような人間か——という問いかけに答えるとき、私たちは常に意識的に認識していることを言語化させ『自分』を定義する。
私たちはこの仕事をしているといったような形で『自分とはどのような存在なのか』を定義しているということだ。しかし、無意識的に何かをしていることについては『無意識故に認識がない』ので、その領域を自分として捉えることは出来ない。
この世界のほとんどの存在が、この3次元層にとどまった意識形態をとっていると言える。
この下の層における『異性』『他者』という概念にとどまっているとき、私たちのアイデンティティは少々異質として変化する。
私たちは、どの立ち位置に『自分』という概念を据え置くのかにより意識が変わってくる。そして私たちは常に『外部』に自分を見つけ続けていくため、私たち自身が『自分である』という認識が1次元では『異性』にぶれ、また2次元では『他者』へとぶれる。
私たちが次元的な解釈に呑まれるとき、私たちは自分を『異性』だと感じ『他者』だと感じることにある。
つまり、私が「自分の性別は青年」だと認識したこともそうだし「他者のすべてと繋がっている感覚・他者と同一的な感覚を持つ」として認識することも、次元的な解釈に呑まれている感覚にある。
しかし、私たちの自分というアイデンティティは常に『3次元』に内包されている。理由は1次元による異性、2次元による他者という概念を3次元による意識により認識しているからだ。
私たちは、異性を見て自分の性別を認識する。そして他者を見て自分というオリジナルを認識する。自分を自分だけで成立させることができない私たち——意識上、私たちは他者に認識されなければ自分を形成できない——にとって、真逆の世界を見ることにより、真逆の自分を認識し続けている。
4次元へ次元上昇するとは
4次元へ次元上昇するという話がよく持ち上がるのが、基本的にこの地球そのものは4次元により構成されている。
時間的概念が存在しているこの地球は4次元にあるということだ。しかし、この地球には何層にも層が重なっている。
もちろん私たちが関わり合うことができない人たちも違う層に存在しているとして認識することもできるが、4次元における無意識による層を自覚すると、私たちは『私たちのアイデンティティ』をもうひとつ見つけることができるようになる。
いわば、私たちのなかにはもうひとりの私たちが存在している事実に気づく。これが4次元における次元上昇のトリガーでもある。
3次元と3次元の世界がふたつ揃うことにより、私たちの4次元は構成されている。
私たちの意識が3次元から4次元へあがっていくとは、3次元の『他者の概念を意識的に捉えている』段階から4次元の『自分の意識を無意識的に捉えている』段階へとあがっていくことにある。
つまり私たちは『他者』という概念そのものを『自分のアイデンティティ』として捉えている段階から『自分の意識』を『自分のアイデンティティ』に組み替えていく経緯が『次元上昇』にある。
だけど、私たちは常に自分の意識の元に生きているはずなのである。この誤謬的感覚をもって、私たちは次元上昇をする。
4次元的感覚では『意識は自分の管理下』に存在し、意識して生きることができるようになるため、異性や他者に振り回されることがなくなる。意識が自分を保つためだ。
次元はおりてくるもの
5次元を私は『みえないもの』として定義した。図的には表現することができるんだが、私にとっては知覚ができない領域であるからこそ、このようなみえないものとして定義するしか他ならない。
4次元では『無意識の自分』と『意識の自分』が統合され、私たちは『ふたりいた自分』が足並みをそろえてくれるおかげで、随分と生きやすくもなる。
5次元では『無意識の自分の裏側』と『意識の自分の裏側』が見えてくることになる。それがロウアーセルフと呼ばれる低次の自己とも共にでもある。
私たちは自分のなかに存在する意識をひとつだけ成長させていくことが出来る。
いわば、自分の自意識は常にこの世界では3次元に存在している為、4次元では『意識』または『無意識』のどちらかを優先せねばならないし、しかし4次元の統合が済まされれば私たちの意識はふたつ使いこなすことができるようになり、4次元の意識は3次元へ落とすことができる。
5次元ではハイヤーセルフ、ロウアーセルフ、低次の自我、高次の自我の四つのうち、ふたつを実行させることができない。しかし、統合を済ませることができれば、四つの意識をハイヤーセルフとロウアーセルフの4次元へ落とすことができる。
次元上昇とは何か——だが、正直なところ、自分の次元が上がるのではなく、次元が降りてくるような印象のほうが強いということだ。
自分が動くんじゃなくて次元の内容物が次元を落としてくるような感じ。だから私は「何も変わらない」のである。
ツインレイと次元の解釈
精神構造は明確に高次元のものが4次元に内包されていることになる。この構造がとれるのが5次元意識への到達にある。
3次元 | 肉体は一つ |
---|---|
4次元 | 精神は二つ |
この法則性は絶対的に破られない。この精神のなかにふたつ何が入っているのかにより段階が違うと言うこと。
- 1次元・・・同性と異性
- 2次元・・・自分と他者
- 3次元・・・他者意識と自意識
- 4次元・・・無自覚と無意識
- 5次元・・・自我の有無
というような構造をしている。高次元の意味が、次元の違いにより変わってくる。
0次元は常に自分を意味している。
高次元 | 0次元 | |
---|---|---|
1次元意識 | 異性 | 同性 |
2次元意識 | 他者 | 自分 |
3次元意識 | 他者意識 | 自意識 |
4次元意識 | 無意識 | 無自覚 |
5次元意識 | 自我なし | 自我あり |
私たちは自分自身を『同性』『自分』『自意識』『意識』『自我がある』として定義する。
そして、高次元の意識を『異性』『他者』『他者意識』『無意識』『自我がない』として定義する。
それぞれ、次元ごとの己の精神意識によりツインレイの存在は変わってくる。どれもシンパシーを感じざるを得ない存在だが、私にとっては4次元の存在を『ツインレイ』だとして認識したので、私のツインレイの旅はこれにて終了にある。
ゆえに、私のツインレイは『無意識の具現化』なのである。だけど『他者』『異性』『他者意識』を内包している。