報告│現実化への恐怖の克服してました。
ツインレイの彼といっしょにいるときもそうでした。
追いかけ回され続け(ネットストーカーされ)、彼くんが守ってくれたこともありました。
彼が私の心の支えになっていました。
『耐える』ことができたのは、彼が私を「大丈夫だよ、なとちゃ。」と支えてくれた経験があったからなのだと思います。
私は、彼の後ろに隠れることで守られていました。
我慢している時間も、彼は味方でいてくれました。
しかし、今、彼はいません。
すごく怖い思いをしても、守ってくれた彼はここにはいません。
だから、怖くてもひとりで立ち向かわないといけない。
でも、守ってもらった経験は忘れないものだなと思いました。
恐怖の克服は、自分のなかにこみあげてくる怒りや憎しみにより行われました。
自分のなかにある怒りと憎しみを肯定することは恐怖を克服し、私を前に前進させました。
そして実行にいたりました。
裁判することになったとしても、私は戦おうと思いました。いくらでもやろうと思いました。
もし警察が介入するような自体に発展したとしても、私はやろうと思います。
戦い続ける。私にはその強さがありませんでした。
この強さがどこから込み上げてくるのか。それは彼に与えてもらった、守ってもらった経験なのだなと思います。
それが愛だったんだなと思います。
前に進むための強さを、彼は与えてくれていたのだな、と。
ツインレイの結合では、彼から前進する強さを与えてもらいました。愛でした。
彼に守られていちゃダメなんだ。
ひとりでも恐怖に立ち向かえるようになっていかなきゃいけない。
今、ここに彼はいないし、守ってくれるわけでもない。
だから、私は自分一人でも戦わなきゃいけない。
覚悟を決めました。
ただそれだけです。私は逃げるのではなく、戦う覚悟を決めました。
これが恐怖の克服でした。
現実的にも精神的にも、恐怖と感じるものから逃げずに戦っていくことにします。
嫌だなと思うものと向き合います。
拒絶することは簡単ですが、それ以上に恐怖を克服し、戦うことのほうが難しく辛い。
そして恐怖にのまれたとき、私たちは鬼女になる。私は鬼にはなりません。
私は打ち勝ちます。
恐怖に勝ちます。負けません。彼が愛してくれた経験を無駄にしない為にも。
私は戦い続ける覚悟を決めました。最後まで戦います。
感情にのまれず、毅然とした大人として。
この決意のもとに行動をしたとき、部屋のスピーカーが数秒間、音がジジジジと止まっていました。
今までにない現象ですが、世界線が切り替わりました。
私は負け犬の遠吠えをするつもりはありません。
人として潔さのない、かっこ悪さに見えるからです。
勘違いしないで欲しい、私はあなたの何でも許してくれるママじゃない。
あと、たぶん彼も戦っている。
たぶん、戦っている。
向き合わなければならないものと、、彼も恐怖と向き合っている気がする。
私の彼と別れた決意を彼も受け取っている。
だから戦える。前に進むために。
彼も恐怖にのまれない。そういう人。だから信用できる人だった。
今は怒りや憎しみは怖くありません。
私は怒りの人格や憎しみの人格が『私』だとは思いません。
私はこの『現実化』を恐れていたのかもしれません。
しかし、私は現実を勝ち取っていきます。それは強い感情と超自我による抑圧との大きな葛藤により生み出されました。
私は『現実』で生きていきます。本能や精神にのまれずに生きていきます。それが人生だからです。それがこの世だからです。
恐れません。現実に生きることから。
そして、この現実化をしなかった理由は、私が優しかったからだとも思います。
しかし、その優しさに意味がないことを知りました。