あなたが出会いたい人に出会えるための条件付きの愛を受け入れよう。
二十歳そこそこから、私のなかで「愛とは何か」が、ひとつの哲学的なテーマでもありました。
愛とは——。あなたが何かひとつでも愛を哲学したとき、きっとそれは『与えること』だと考えることかもしれません。
私は人から心を受け取ることこそ、それが愛なのだと思います。
愛とは、相手から与えられたものを受け取ること。
もし、私に対して「この人はツインレイなのだ。」と思い、もし、ツインレイが愛を広げていく人なのだと、そのように信じてくれるのであれば、私からの心を受け取ってほしいと思う。
そのとき、あなたと私はふたりでひとつの愛を完成させることができる。
私は何度もこのサイレント期間で、多くの女性たちとの別れを繰り返しました。
どうしてか「いっしょにいてはならない」という強い衝動にかられ、走り出す私を、誰も追いかけることはありませんでした。
そのとき、あなたは私からの『条件付きの愛』を受け取ってくれましたでしょうか。
私は、どうして走りださなければならないのかの理由を理解していませんでした。
私は、あなたを愛せなかったんです。
私は、あなたのその姿を愛せず、その姿を「あなたらしいあなた」だとは思わなかったからです。
私は、あなたらしいあなた以外の部分を愛せません。これを、私は条件付きの愛だというのだと、つい最近に知りました。
私は、あなたを愛していました。醜い姿も、悪いことをする姿も、いいところも。それだと問題になる——と、個人的に思うようなところも。それじゃ、私だけが負担になることも。すべての心を受け入れました。
私は自己犠牲をしていたわけではありません。ただ、あなたを愛していました。
ただ、あなたのすべてを受け入れることをしてきました。
そんなとき、私はあなたに対しての愛おしさを覚えていました。どんな人に対してもです。
私は、あなたを何度だって愛おしいと思いました。だからこそ、私は何だってあなたにしてあげたかった。
私はこれをひとつも自己犠牲だとは思わず、提供してきました。
それが『無条件の愛』でした。
私は、どんなあなたをも無条件で愛しました。
だけれど、あなたはどんどんと悪い部分も肥大していきました。
たいていが悪い子になっていきます。それがどうしてなのか、私はどうするべきなのか。
よくわからず、逃げ出すことも多くありました。私が関わっているからなのだと理解はしていました。
だからこそ、私は誰彼からも逃げ出してきました。
私がここにいるからいけないのだと、それを理解したからこそ、私は「いなくなること」を選択しました。
これは間違っていました。
私はあなたのすべてを愛してはならなかったのです。
あなたはもう赤ちゃんではありませんでした。私の魂の記憶では、小さな目も開いていない赤ちゃんがあなただったんです。
これは私の『条件付きの愛の学習』の始まりでした。
ツインレイの彼から逃げ出しました。それが愛でした。そんな相手を愛することが出来ないから、私は逃げ出し、そこからいなくなりました。
私は彼を愛していましたが、条件が満たされていないあの子を愛することは出来ませんでした。
私は未熟な母でした。
私は、母の愛を知らない未熟なまま、母になろうとして失敗を繰り返している人でした。
どうしたらいいのかがわかりませんでした。誰も答えを与えてはくれません。私が私なりに考えて、それなりにどうするべきなのかを考えなければなりません。
そして、私は『条件』にたどり着きました。
条件付きの愛は、あなたへ信頼をもたらします。そして、社会性と現実性をももたらし、あなたがこれから社会のなかに融けこみ、家庭を持っていくのに重要な愛です。
あなたのことをすべて愛してくれる人はいません。
あなたのすべてを丸ごと愛してくれるのは家族だけです。
恋人、そして、これから家族になっていく未来の人たちは、あなたを丸ごと愛してくれるわけではありません。
あなたが悪いことをすれば、あなたのことを嫌いになります。それが恋人です、これからのあなたの家族です。
あなたがいいことをすれば、あなたのことを好きになります。それが恋人であり、あなたの新しい家族です。
あなたをなんでもかんでも受け入れてくれているのは、本当のお母さんと、本当のお父さんだけです。そこにある愛は、無条件の愛であり、何度だって苦しいことがあれば、立ち返り迎え入れてくれる存在たちがいるところです。
しかし私たちはその場所から抜け出そうとしています。私たちは新しい家族になろうとしていました。
この社会というものは条件が満たされているときのみ、あなたを愛します。
社会とは、あなたが作り出す未来の家族のことです。
未来の家族は、あなたが条件に満たされた愛されるべき人になったとき、家族となりたいと思います。
あなたは愛されていました。たしかに、ここまで成長し、まるで姿かたちが『それなりの大人』になったのかもしれません。
しかし、中身はまるで子供な理由は『条件に満たされたこと』がないからです。
あなたがどのような人なのかを、本当のところでは見てもらえていなかったところがあります。
あなたがこの社会において適応することができる条件に満たされているとき、あなたはより良い母となり、父となります。
私は、あなたに、これから家族をつくり、あなたの幸福を探してほしいと思っています。
だからこそ、私はあなたに幸せになる条件を満たしてほしいと思っています。
私はあなたに条件付きの愛を実行します。
どんなにあなたが可愛くて、どんなにあなたが愛おしくて、どんなにあなたを泣かせたくなくても。あなたを傷つけることを理解したうえで、あなたであれば、乗り越えていけるだろうと思い、私は「あなたが社会に愛される条件」を提示します。
そしてそれが「私があなたに愛される条件」です。
私が未熟だったのだとすれば、あなたを傷つけたくなかった一点に限るのかもしれません。
この世のすべての災難からあなたを守りたいと思った、未熟な親の心です。
しかし、あなたは、社会へ旅立たなければならない。そのための強さを与えなければならない。
社会で求められている善性を私は条件付きとして提示します。
私は、あなたがどんなに可愛かろうが、社会に適応し、あなたが新しい家族を得るための未来を手に入れるために、私は条件付きの愛であなたを殴ります。
この愛がどれだけ痛いのかを、私は同じように感じています。あなたが痛い時、私も同じだけ痛いです。自分を殴るかの如くに痛みます。
だけれど、あなたが痛みを乗り越え、あなたが愛されるべき人間性を手に入れていくとき、あなたは多くの人に愛されていくでしょう。
私はあなたを独り占めして、あなたの未来を潰したいわけではないのです。私はあなたが多くの人に愛される未来を手に入れ、あなたが幸福な日々を迎えていってほしいと思っています。
あなたの未来を、私は守りたいと思ったのです。
私とあなただけの未来ではありません。あなたが多くの人に愛され、誠実な人になってほしいと願いました。
あなたの優しさを多くの人に受け取ってほしいと思いました。
この愛の循環がこじれ続けていました。
条件付きの愛は、社会性です。家族との繋がりです。あなたが愛される社会を構築する為に必要なものでした。
無条件の愛が聖母と呼ばれていますが、そこに社会性がありません。無条件の愛を受け取ったあなたは今、誰かに愛されるような人格を持っていますか。
私に無条件に愛されたあなたは人と人が関われるほどの人格をしていましたか。
私はそれが問題だと思います。あなたが本来あるべきあなたの姿を忘れ、あなた自身が誰かに愛されなくなってしまったことが、私は大きな問題だと思っています。
だから私はあなたを殴ります。あなたが人としての生きる道を逸れているとき、私はあなたを全力で殴ります。
愛されてください。そのために、条件付きの愛を認めてください。
あなたは愛されるべきだと思うなのであれば、社会から与えられる別れを受け取ってください。
あなたに迎えられる別れは、あなたが愛されない部分を持っていたからです。
あなたが愛されない理由は、あなたが別れを受け入れられないからです。
そして、それは「あなた」ではない部分です。
この愛の循環は、出会いと別れを正常化させます。
あなたは出会うべき人に出会えていますか。
あなたは出会いたい人に出会えていますか。
あなたは、この人に出会いたかったと思う人に愛されていますか。繋がれていますか。
別れを受け入れることが出来ないでいると、次の出会いを受け入れることも出来ません。
別れを惜しみ続ける限り、あなたは次の縁を結ぶことが出来ません。
そうやって、あなたが出会うべき人に出会えないでいる時間が長くなればなるほど、あなたの表情が陰ります。
別れましょう。そして、新しい人に出会いましょう。
嫌われた自分と別れましょう。そして、新しい大好きな自分を探して出会いましょう。
いつだって別れのあとには新しい出会いがやってきます。
その出会いを何度だって受け入れていきましょう。あなたが新しい出会いを受け入れ続けていくとき、あなたは「あなたらしい人」になれていきます。
この世の出会いは、何度も何度も、あなたをあなたらしい人に作り変えていきます。
これが条件付きの愛です。
もし、あなたが「あなたらしいあなた」となったとき、私は再びあなたに出会いましょう。
何度だって、私はあなたらしいあなたを受け入れます。あなたらしいあなたに私は出会いたいのです。
私は、私の面影のないあなたを知りたいと思います。あなたが「自分らしいあなた」になった姿を私は知りたいと思います。
なりたかったあなたになってほしいと思います。
私に似つきもしないあなたとなっていく姿を、今度は無条件の愛で愛したいのです。
あなたらしいあなたを、無条件で受け入れ、あなたらしいあなたを、愛したいと思います。
だからこそ、私は条件付きの愛をツインレイへ与えます。
私は玉依の道にありました。
それは、産んでもいない子を育てながら、自分を母に育て上げることでもありました。
私は何度も愛の形を間違えました。
すべてを丸ごと受け入れることだけが愛ではありませんでした。それはあなたを悪い部分までもを助長させました。
しかし、どうしたらいいのかがわかりませんでした。
だけれど、間違えていることだけはわかりました。あなたがあなたらしさを失ってしまったからです。私は失敗をしました。
しかし、再び出会うとき、私は再びあなたに無条件の愛を向けます。
私はあなたらしいあなたと再び出会うからです。
あなたらしいあなたを、私は無条件に愛し、そんなあなたと今度ばかりは本当の家族になりたいと思います。
今度はあなたを育てる未熟な母ではなく、
今度はあなたと共に子を為したいと思う。
だから、私は今か今かと待っています。
私はあなたに会いたいです。
それは、あなたらしいあなたであり、あなたが思うあなたになった姿です。
そんな姿を、私は全力で受け入れようと思います。
今度ばかりは成功できるように、あなたは私の前に「自分だけの姿」で現れると思います。
私に無条件に愛されるすべてを持って現れます。
私は無条件にあなたを愛したいのです。
愛とは何でしたか。
あなたが知る愛とは、なんでしたか。
私が知る愛は、ここに書き記した通りです。
あなたがあなたになるために、そして、あなたが多くの人に愛される人になるために。
そのために、私の愛は発揮されています。
たまより
だから、この神さんは「縁結び」とも呼ばれているのだと思います。
あなたがあなたらしい人になっていく手助けすることを「子育て」とし、その子育てにより、あなたらしいあなたなった暁にはあなたに結びつけることができる縁結びができる。
つまり、あなたがあなたらしい人にならなければ、あなたは縁に気づくことも出来ないとも言えます。
そして、それは時に別れをも呼び起こします。ふたりを結ぶために、不必要な自分と別れていくこと。
これが玉依さんのやり方なのかもしれません。
この方、心理学に富む賢い女性の神さんなんですが、おこがましくも、確かに私っぽいよなァと感じます。
私は神に愛されていると感じている人でした。だからなんだって無鉄砲に生きることが出来た。神に愛されていると思うとき、私は自分を破壊し、相手を愛するための決断をしてきました。
神も共に私の苦しみを感じてくれていると思っていたからだと思います。だからどんなに苦しいことも出来ました。
そして、今は、私は神を愛しているという感覚をも持っています。それがお父ちゃんと言うタカミムスビなのか、はたまた、タマヨリなのかはわかりません。
ですが、私は神を愛している。神の心を受け取っていることを意味している。
だから私は、ある種ひとつの側面では神なのかもしれません。私は神を愛しているからです。
私は「ひとりの人間として」どのように立ち振る舞うのかについて考えてきました。
それが私なりの愛です。
ひとりの人間としてしか、私はあなたを愛することが出来ません。
私は確かに神の声を聴き、神さんの名をいただいている人ではありますが、私は「ひとりの人間としての立ち振る舞い」しか出来ません。私は神にはなれません、超常現象も起こせません。
しかし、ひとりの人間としての別れが必要なのであれば、私は別れます。それがどんなに愛おしい人でも、私は別れます。決断します。
あなたが本当のあなたになれるまで、私は別れます。さよならを惜しみなく与えます。あなたを愛しているからです。
そして、どんなに出会いたくないと思う人とも、私は出会います。何度だって迎合します。あなたを愛しているからです。
それは私が「ひとりの人間としての愛」を持って、その人と結びつくことを受け入れていきます。
それが私が私としてここにあり続け、私が私として出来る限りの「私が人としてできる立ち振る舞い」をし続けることが、私の愛だからです。
私が持つ1人分の愛です。
もし、それがどんなに自分にとって苦しいことであろうが、それが相手の為にならないのであれば、私はその決断をします。
それが「ひとりの人間として」の私の在り方です。そしてこれが『私の愛』です。
私の愛は『出会い』と『別れ』のなかにあります。だからこそ、私は別れ続けることも惜しみませんでした。そして出会い続けることもしました。
しかし、私は未熟です。一つ言えることは、本当に出会いたい人には出会えていないからです。
ただひとりとして「あなた」として立ち返り、戻ってきません。
私はあなたに出会いたい。そのために、私は何度だって私らしい自分になるために、出会い続け、別れ続けます。
そして向き合い続けます。
会いたい人に会うために、恐れてはならないことがあります。新しい出会いを迎えていくこと、別れを受け入れていくことです。
会いたい人があなたにもしいるのであれば、出会いのなかで何度も繰り返されていくなかで、ようやくたどり着く人がいますから、それまで何度だって、出会い続けていくしかありません。
そして「あなたらしいあなた」になる手助けを多くの人にしてもらいましょう。愛し合いましょう。それは出会いと別れです。
もし、そのなかに「なとり」がいるのであれば、出会いましょう。そして別れていきましょう。私はあなたを愛します。そしてあなたに愛されたい。
私はその出会いと別れを惜しみなく与えていきます。
それが私の愛の形だからです。
私はあなたに出会いたいです。ですが、あなたがもしあなたではないのであれば、私はあなたとは別れます。
どうか、恐れずに私を愛してください。そして、愛されてください。その愛の連続のなかに、あなたが生まれることを私は信じてやみません。
一人目は優しい子。
二人目は創造の子。
三人目はあなた。
私はあなたを生みたいのです。だから私は何度だって産み落とします。あなたに出会うためにです。