ツインレイを好きになってはならない縛りがある件(言い訳はいらないヨ)

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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人を好きになるのに理由はいらない。

でも、私たちは知的生命体ゆえに、理由がなければ人を好きになってはならないと思っているのかもしれない。

そのなかでツインレイっていうワードは「人を好きになってもいい」っていう条件みたいに提示されているような気がする。

例えば、既婚者がほかの誰かを好きになった時、ツインレイであれば好きになってもいいんじゃないか的な。

でも、既婚者であっても、ほかの誰かを好きになっても(ある一定の倫理を守っていれば)許されているはずである。

ツインレイって、人を好きになる言い訳にとっても利用しやすいんだと思う。

そして、ツインレイの人を探す人は、条件が満たされた相手でなければ好きになれないんだと思う。自分にとても厳しい人たちだった。

人を好きになるのに理由はいらない。だけど、私たちはずっと言い訳してる。

誰なのかはわからないけど、ずっと誰かを好きになるのに言い訳してて。

ツインレイだって言えば、いいわけが通用するからツインレイでありたいっていうか。

条件が満たされている運命の人ならば、好きになってもいいでしょ? みたいな。

 

でも、私たちは心まで縛られているわけではない。心だけは自由なはずなんだ。

誰を好きになってもいい。だけど、好きになるのに理由やいいわけが必要な人たちがいる。

もちろん既婚者とかになってくると、社会的ルールもあるから、ある一線的な部分だけは守らなくちゃいけないけど、好きな気持ちだけは認めてあげてもいいんだと思う。

好きって感じることに罪悪感があるのかもしれないし、否定されるような感覚もするのかもしれないし。

なんならプライドが高すぎて、タカビーらしく、何かしらの運命的な肩書きがなければならないっていう縛りがあるのかもしれないし。

でも、ツインレイっていうよりも、大事なのは「好きになった気持ち」のほうで、だのに、そこにたくさんの「好きになった理由」や「好きになったいいわけ」を並べてて。

なんなら最後はひっくりかえって「相手は自分を愛している」っていうエロトマニア的な妄想にまで発展してしまう。

究極の好きな感情の自己否定は、自分の気持ちを相手に投影して、相手が自分を愛しているみたいなところに至る。

ここまでくると、本当に精神病理に触れてきていると思う。それぐらい自分の気持ちを否定しているってこと。

認めたくないってこと。

で、個人的に、ほとんどの闇側だなって思った人達の心理がここにあったように思う。

その為に「ツインレイ」っていう用語が必要だった。

でも単純に「好きがこじらせた」だけのことも多いんだよなって思ってる。

つまり、ツインレイ=好きを拗らせているスピリチュアル女子みたいな感じ。

でも、この領域から抜けていく人たちは本当に抜けていく。

ツインレイには興味がなくなっていく。あえていえば、このツインレイっていうワードが自分に適応するかどうか、とか。運命論にそこまでの興味は示さなくなる。

自分の気持ちに素直に向き合った人たちは、ツインレイであるかどうかよりも、自分の中にある「好き」のほうが重要になってくるんだと思う。

育ちの過程で『自分が好きなものを否定された』場合、自分の好きが貫けなくなるんだと思う。

ちなみに私も、親と姉のダブルコンボで否定されてきたのもあって、自分がなにが好きなものを持つことにすら罪悪感は凄かったし、なんならよく分からなかった。

好きな人を好きになることが難しくなってた人たちがたくさんいたんだと思う。

 

そして、ツインレイっていう領域の人達は「ツインレイだから」っていう言い訳を手に入れた。

ツインレイだから仕方ないって言葉にできる。

運命の相手だから、何か問題があっても仕方ないっていういいわけが手に入る。

言い訳を手に入れる代わりに、同時に、言い訳の分だけ問題を抱えていると思う。

いいわけをしなければ、いいわけの意味がないから。

ツインレイである代わりに、何かしらの火種を抱えているといってもいいと思う。

闇を軸にするから、私の場合『さびしくてふたりが揉めやすい』になる。ここで真逆だよね、だってツインレイだもん、仕方ないねってなっちゃう。

全然、仕方なくなんかないですよ。

 

でも、そのいいわけが必要が無い領域にいく人達もいる。

ツインレイだから仕方がないっていう言い訳を持たない人達もいる。今回は32人。いいわけが無い領域へ向かう。

それぞれ皆、言い訳をす必要性がない領域に行く。

ツインレイといういいわけが無い領域である。その分の言い訳をするための火種を抱えていない領域だ。

何かしらの多くの言い訳をする人には、言い訳をしなければならない状況が与えられるけど、言い訳しない人達や、ふたりの関係性に意味が無いことを理解し、理由がないことを受け入れている人たちは「いいわけする機会」に恵まれることがない。

ツインレイだから我慢ができるのと、ツインレイではないけど我慢する必要性がない相手と結ばれるのと、どっちがいーい? って感じ。

 

単純に、自分の気持ちに正直だった?

正直になる機会は与えられるけど、正直になれた? 自分の気持ちを認められた?

って話だったような気がする。

人を好きになるのに、ツインレイなんて理由はないほうが幸せだと思いまする。

そういう『当たり前の世界にある幸福』が一番の幸せだと思うけど、特別にこだわりすぎると、逆に白紙になったり、問題を多く孕むものだなと思いました。

 

それから結婚も同じのような気もする。

理由がないと結婚をしちゃいけないなんて、こともねーべよ。

ツインレイの彼くんが『理由が満たされていなければ結婚できない(1人前でなければ)』っていう縛りも、かっこいいなとは思うけれど。

そういう人なんやな( ˇωˇ )と思って、そのまま受け入れていたなとり。(そういう人なんだなと思って受け入れてしまうから、色々問題が生じた件)

いやいや、理由がなくても18歳以上ならば、許されてるべよ。

自分に厳しい人だったなーと振り返りながら。

理由が満たされていないと、何かをしてはならないっていう縛りもあるみたい。

人を好きになってはならない。

こっちは『自信が無い』んだと思う。

女性側も自信の問題はあると思うけど、極論言えば、自信が無いから人を好きになってはいけないのかもしれない。

結局のところ「それは本当に自信なんですか」って話で、自信が明確に樹立しているのであれば、同時に「他者からの信頼」も得られるものだと思う。

でも自信がない人は信頼されないんだと思う。

最近ようやく彼くんの自信が成立したような気がしなくもない。

他人に信用されるだけじゃなくて、自分で自分を信頼しないといけない。自分はやっていける、できるって。それが成立して自信になる。

他人からの信用のみならず――。

自己信頼の高さが自信とも言えるんだろうな。

エロトマニア的なものや、人を好きになるのにも自信は関係していると思う。

 

信頼が成立していないと『いいわけ』が必要かも。

いいわけが必要なのは、自分が自分だけで成立させることができる自我意識の未発達性にあるかもしれない。

その部分を言い訳で補填する感じ。

だから言い訳の分だけ問題が生じる。でもいいわけでペイすることができる。

「だってツインレイだから仕方ない」

で、この言い訳はまだ必要かい?

これがないと、やっていけそうにないかい。