ツインレイの概念『神聖なツインレイの再統合へ』の空間を終わらせる。
ツインレイの起源となるものは、リサ・J・スミスによるチャネリングのメッセージでした。
神聖なツインレイの再結合へ
サナンダからのメッセージ
チャネリング リサ・J・スミス引用:サナンダからの「神聖なツインレイの再統合へ」のメッセージ全文 | Love Infinity
この文章を今一度読み直してみて「あれ、やっぱり私が今やっていることじゃん」と思いました。
そして、何度も読み返しました。自分は何なんだろう? と迷走するかのように。
ですが、やめました。
このチャネリングにより得られている内容に、わざわざ自分を当てはめて考えてみても意味がないよなと思いました。
それは「私は私」だからです。
私がやりたいように、すすむがままに進んできましたが、それでなんでかチャネリング内容と同じような現象が起きています。
それは「私がやりたいようにやった結果、なぜかそうなっていた」だけの話であって、私はリサさんにより降ろされたメッセージに合わせて進んできたわけではありません。
ここにきて、振り返って「自分は違うんじゃないか」っていう不安や絶望を感じることもありません。
あるのはただ「私は私のやりたいようにやってきた」というような事実だけ。
私にツインレイの既存的な概念も必要がないのだと思います。
私が突き進むがままに、その後ろに道が出来ているように感じます。
もしかしたら、私はツインレイかもしれないし、ツインフレームかもしれないし。
それは私にとってどうでもいいことなのかもしれません。
私は私です。
私は「鷲宮なとり」です。
ツインレイとして生きるのではなく、鷲宮なとりとして生きたいと思っています。
私はツインレイの道を見る限りは進んでいますが、それでも、私は「ツインレイのなとり」ではなく「なとり」です。
誰かに生み出された肩書きを背負うのではなく、私は「鷲宮なとり」という肩書を背負いたいと思います。
芯を持つとはこのようなことなのかもしれません。
どこかにある情報に振り回され、その情報に自分を当てはめては一喜一憂を止める。
その情報に賛否両論あるかもしれませんが、その情報に正しいも間違いもなく、あるのはひとつ。
「書いた本人にとっては正しい」という事実はありますが、その正しさが私にとっての正しさとは限りません。
私の正しさと、誰かの正しさが同じではないことは大いにしてあります。
あるとき、私は誰かの正しさが「私にとっての間違いは、その人にとっては正しいのだ」と理解しました。
だからこそ、私はこのツインレイの概念を終えていくのだと思います。
私にとって、この情報は確かに私を指し示しているように感じます。
しかし、それは「私のこと」ではありません。
この情報はリサにとっては正しい情報であったとしても、私にとって正しいかどうかは、また別の話です。
この情報に囚われすぎて、自分の芯を奪われてはならないと思いました。
私はまだ自分をツインレイだと思っていたんですね( ˇωˇ )
ツインレイ概念の起源を成仏Ω\(ˇーˇ )チーン