地上のツインレイから楽園のツインレイへの移行の男女人格の流れ(精神統合まで)
精神修業をしていたって話な。
地上のツインレイのラストでは、男女の人格が明確に分離するとき、現実でも地上のツインレイとは別れることになる。
地上のツインレイは女性が独立し、男性が依存となったとき、別れない。対立を起こしながら結ばれる。
女性が依存となり、男性が独立となったとき、別れる。対立を起こさない。
後者は本質に気づいている。依存とは「あなたの結論が私の結論です」という自他統合的な意識の芽生えだから。
女性側は『女性的な真実の依存』をするようになり、男性側は『男性的な真実の独立』をするようになる。
女性は「あなたの意見が私の意見です」となり、男性は「私の意見があなたの意見です」という道になる。
女性は支配を全て排除するようになるが、女性人格にとって支配は『エゴ』と呼ぶ。
男性は依存をすべて排除するようになるが、男性人格にとって依存は『エゴ』と呼ぶ。
女性は「相手の言いなり」であり、何が起きようが、相手の言いなりになる必要性がある。人に合わせることや人の意見を自分の意見に出来なかったりすると、そこには支配がある。エゴです。
男性は「相手を言いなりにさせる」であり、何が起きようが、自分の意見を通していく必要性がある。人に合わせてしまったり、人の意見を鵜呑みにしたり、自分の意見が樹立できていないとき、そこには依存がある。エゴです。
楽園のツインレイのスタートラインとなる出会いの段階で、女性は「あなたの意見が私の意見です」を突き進む。男性は「私の意見があなたの意見です」を突き進む。
途中で、残っているエゴを排除していく必要性があるので、女性は支配欲求(ブチギレたい)を抑制しまくり、男性は依存欲求(甘えたい)を抑制しまくる。
抑制の関係性ゆえに、ふたりは「支配」と「依存」という関係性を構築できずに、サイレント期間へ突入する。
サイレント期間では、女性は男性人格と向きあう必要性がある。ツインレイの相手に依存する(いいなりになり合わせる)のではなく、男性人格に依存する(自己依存)するように流れていく。
男性は女性人格と向き合う必要性がある。ツインレイの相手を支配する(合わせてもらう)のではなく、女性人格を支配する(自己支配)するように流れていく。
彼は私に出会って「本当に自分の意見がないんだね」って笑っていた。意志を持って「自分の意見がない」にまで持ち上げている。
私は彼に「合わせるよ!」と伝えている。それは私が女性としての役割を果たすよの意味である。自分の意見は持たないよ、あなたの意見に100%賛同する。
これ、このまま進むとやばくね? って思っても、彼が「それでいく」と言うのであれば、それでいこうってなっていた。ちなみに、このままじゃうまくいかないなと思ったんだが、彼が「そうする」ということだったら「じゃあ、そうしようか(´・ω・`)」ってなっていたりもした。
意志を持って合わせるってことは、その先に「別れ」とかが視えたとしても、それが相手の意思ならば、それに合わせないといけないルールが女性人格ルールだったりする。それが『依存』だから。
最後の最後に、女性人格は『自己依存(自分のなかに存在する男性人格への依存と合わせる)』をし、男性人格は『自己支配(自分のなかに存在する女性人格への供給と支配)』という状態になって、男女の人格が『支配と依存(提供と享受)』による結合を起こすことになる。
人格そのものは『統合』されるが、支配と依存は『結合』される。
たぶん、これが『自分の精神統合』を意味していると考えている。