2│私のなかの男性人格が教えてくれたこと。自己支配、自己依存、ツインレイへの憑依、相思相愛
つづきです。
自己支配ということ。
前回は自分の身体はいかなることがあろうが、自分のものであるということでした。
他に自己支配していいものがあります。
自分の時間、自分のお金、自分の気持ち、自分の思想。その全てが自己支配していいものであり、自分の為に使っていいものである。
自分がしたいようにして、自分が生きたいように生きる。
男性人格は、ほかの現実的に存在している男性から支配を受け入れることを許しません。
他者支配は他人に時間を奪われること、お金を誰かに差し出すこと、自分の気持ちを誰かに奪われること(それは恋心として奪われた暁には激怒である)、自分の考え方を誰に合わせてしまうこと。
男性人格は「自分が支配したい」と言う。他の誰かに支配されることは真っ平御免なのである。
男性人格は、あなたに「与えた」時間、あなたに「与えた」お金、あなたに「与えた」心、あなたに「与えた」考え方。
あなたに与えたという傲慢さを持つ男性人格は、そのすべてを誰かに差し出してしまうあなたを怒るのではなく、あなたが横流しした対象に嫉妬し怒ります。
あなたには怒りません。
男性人格の満足とは支配にあり、傲慢を満たすことにあります。常に上から目線で提供をしています。
私たちは常にそれを受け取っていきます。
だからこそ、あなた(主人格)は、何かを持っていてはいけません。
それは能力であり、支配力、傲慢という優越。「何かを持っているからこそ得られるもの」を主人格は持つことが許されません。
なぜならば、主人格が何か持っていたら提供ができず、支配も出来ず、男性人格の存在価値がないので出てきません。
だからこそ、ツインレイ女性は『傲慢』を捨て、優位性を捨てていく必要性があります。
しかし、男性人格もまた、私たち自身のなかに存在しています。
男性人格はあなたに対して、多くのものを提供する役割を担い、提供したものを受け取って貰うことに自分の価値があります。
あなたはそれを受け取るためには両手が空いていなければなりません。多くの人が「持っている女性」だからこそ、持っていないことが女性には喜ばれるものなのです。
できる女性人格は男性人格がいりません。
男性人格は自分のすべてが女性人格のために存在しています。
つまり、男性人格が得たものはすべて女性人格に提供していきます。つまり『獲得者』でもあります。
ただ『与える支配』をしたいんですね。
女性に与え続け、その女性が楽しんでいることがとてつもなく支配する心を満たすようです。
自分の稼いだ金であなたが幸せそうにしている。
ここに悦がある。男性人格の喜びです。
自分で女性人格をいっぱいにしたい。それ以外のものが女性人格の心を奪っていることが許せません。
ツインレイ? どこの馬の骨だか知らん男が女性人格の心を支配している。:(っ`ω´c):グヌヌ
おれの女性人格なのに・・・・・・。
こういう感じになっているので、サイレント期間中にはやっぱりツインレイへの依存を捨て、自分のなかに存在している男性人格へ依存を切り替えなければなりません。
女性人格は自立している存在ではありません。依存していく存在です。
「あなたがいないと生きていけない」という考え方をしています。
それは現実に存在するツインレイという存在へ依存を示しますが、本来の女性人格は自分のなかに存在している男性人格へ依存している存在です。
現実の男性ではなく、自分の中にある男性へ依存します。このとき、『女性』は現実的に『精神的自立』を果たしている状態です。
余談ではありますが、男性の現実的自立とは女性との結婚にあるかもしれませんね。女性を100%の支配ができること。(与えることができること)
私たちはずっと精神の女性と現実の男性という結婚を果たしてきました。
しかし、私たちは精神の女性と精神の男性が結婚をしてから、次に現実的な結婚を果たしていくことが出来るようになりました。
ツインレイ女性に与えられた使命は「あなたは何して楽しみたいの?」ってことでもあります。
つねに精神の男性があなたに必要なものを揃えていく役割をになっています。いつからか、精神の男性が現実に「ほかの男性」を必要とするときがありますが、それは「種」が必要ってときだけかなとも感じます。
女性だけでは成し遂げられない事実ですから。
それは男性人格が『現実』を受け入れるときだと思います。現実的に「自分の体だけ」では成立できない事実がおせっせにはある。
私たちの現実とは「ひとりでは成し遂げられないことがあること」にあります。それが現実なんです。
そんなとき、私たちはようやくツインレイ男性を現実的に受け入れられるようになります。
ずっとサイレント期間中「たぶん、私が彼を拒絶しているんだろうな」という感覚がありました。
それは私のなかに存在している男性人格の嫉妬により彼が排除されていたようなものです。
男性人格は自分のものが奪われることが嫌なのです。まさに私は彼に「すべて」を奪われ、彼から「すべて」を取り返す作業をしていました。
私たちはツインレイ男性に奪われてはならないのです。私たちの精神に存在する男性人格にすべてを奪われ、支配されなければなりません。
そして男性人格が女性人格のすべてを支配したとき、ようやく現実の男性という存在を受け入れます。
自分の妻が自分の100%の支配が出来ていないのに、他の男のところに行かせたら、もしかしたら妻が浮気するかもしれない、奪われちゃうかもしれない不安に駆られているのが男性人格とも言える。
自分の中の男性人格は嫉妬の塊だと思っていただければいいかな、と。怒りの矛先は女性人格ではなく、現実男性へ向けられ排除する。
男性人格が自ら現実男性を求めるようになります。乗っ取って( ˇωˇ )憑依して( ˇωˇ )ありとあらゆることを楽しむ為にである。
その器となり得るのはひとりしかないのです。
そして、男性人格とはツインレイ男性とイコールになりますが、このとき、ツインレイ男性とは『私(男性人格)』なんです。
お互いがお互いを乗っ取り、お互いがお互いを満たすようになります。
もし、ツインレイ男性から「愛しているよ」と言われたならば、それは私の男性人格が愛していると思い、ツインレイ男性も愛していると思っている。
つまり、他者のなかに『自他』が成立していきます。
誰かと愛し合うとき、あなたはあなたから愛され、自分からも愛されていると言うことです。
ツインレイ男性は私たちの望みを叶えていきますが、それは彼らの意思でもあります。
私たちはこれを『相思相愛』とよんでいるのだと思います。
そのとき、私たちは精神的自立を互いに成立させ、ふたりで現実的自立という結婚をはたします。