ツインレイの光と闇は0チャクラのグラウディングの『存在』が関係している。

2023-06-13

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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先日いただいた白山龍紋石をもらって、ふと「0チャクラやん、これ」と思い、少し考えてみたところ、ツインレイの光と闇の違いはこの0チャクラの有無であり、グラウンディングをしているかどうかの違いということに気づいた。

 

0チャクラとは、『存在している』という感覚である。そしてその存在を受け取ることができる足の裏にあるチャクラにより大地のエネルギーにより存在を受け取っている。

つまり、大地と繋がれば存在感が増すよってことなんだが、そんなに簡単なことではない。

大地と繋がるってそもそも何なのか——である。

私たちは大地と繋がったとしても、存在を得ることはない。0チャクラとは1~7チャクラが形成されているからこそ、0チャクラが生まれる為である。

私たちは1~7チャクラをすべて形成した後、0チャクラという『存在』を生み出す。

1がなければ0は生まれない。1のない0とは無であり、そこには『存在がない』ということだ。

つまり、0チャクラを構築するためには、先ずは順番に1~7のチャクラの学習を進めていく必要性がある。

 

そして、ツインレイと出会ったとき、私たちは0チャクラの問題と向き合うことになる。

私たちは0チャクラが存在しているのか、それとも、存在しない無なのか——。そんな違いに直面をする。

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ツインレイは0チャクラを構成していく

ツインレイと出会ってから、何かを始めようとしても遅い。

はっきり言ってしまうが、ツインレイと出会った時点で『変わろうとして人は変われるのか』ってことだ。

私たちは人生をかけ、ツインレイと出会い、過去の人生による経験を振り返りながら0チャクラを構成する。

つまり、ツインレイと出会い、その後にようやく『存在』を持ち始める。その『存在』を手に入れるのが光であり、また存在を手に入れることが出来ないのが闇である。

私たちは同じように人生を送ってきている。それは私たちが赤ちゃんから大人になるまで、同じように成長過程を過ごしている。たしかに家庭環境も違うかもしれない。しかし、同じように肉体を、精神を構築して生きている。

振り返ってみて、自分のどこかに何かしらの問題をかかえているとき、その問題を『捨てる』方向性へ進む人たちもいるだろうし、『背負っていく』人たちもいる。

闇は『過去の問題を捨てた』人たちであり、光は『過去の問題を背負ってきた』人たちである。

1~7チャクラが人生を形成しているように、私たちはそのチャクラたちをどれぐらい背負ってきたのか。いわば、傷を背負って生きてきたのか——。

そして、最後の終着点に現れるツインレイの相手は、過去に背負ってきた傷を癒してくれる。その経緯がツインレイの出会いである。

しかし、背負ってもいない傷は、ツインレイに癒されるわけもない。

0チャクラは1~7チャクラにより形成されている


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1~7チャクラにより、0チャクラは形成される。私たちは経験をチャクラに入れているけど、その経験を受け取ってきた、傷を受けてきた人たちは0チャクラとして『存在』を生み出す。

いわば、1~7チャクラのすべてを手に取っている状態が0チャクラを形成することに繋がっている。

 

ツインレイは0チャクラを形成し、存在を生み出し、そして『ツインレイの分離』を行うようになる。

私たちはツインレイの片方が存在を持ち、ツインレイの片方が存在しないだなんてことにならないように、両方に存在を齎すようにする。

しかし、闇のツインレイは片方のツインレイが存在を持ち、片方のツインレイは存在を持たない。無となる。

 

光のツインレイは『存在・存在』による共存だが、闇のツインレイは『存在・無』というようなカタチに着地する。

前者は三元性たる『空』への到達があるが、後者は二元性に縛られ、今も肯定と否定を繰り返し互いを忌み嫌い合うだろう。

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0チャクラが0.5のときのツインレイ

ツインレイたちは0チャクラを育てている。

元来、ツインレイたちは0.5の存在感を持っていた。その存在エネルギーを1へ育て上げることに成功したのが光のツインレイである。そこに支配や犠牲のない世界観を持つことに意味がある。

ツインレイのふたりは元来すべてが0.5の存在だったのである。

しかし、ツインレイたちの方向性がどちらも0へ向かうツインレイもいれば、1と0に分離するツインレイもいたのが事実である。

どちらも0となる『どちらも空っぽである』という自分を受け入れていくツインレイ。

しかし『自分は空っぽではない』と自分を受け入れることが出来ないツインレイの違いだ。

 

ツインレイたちは『自分に価値がある』と思わない。

だからこそ、ツインレイは『大地からエネルギーをもらって存在をもらう』のである。

ツインレイが持っている感覚は共存である。つまり大地との共存をするために私たちは『自分には価値がない』『自分は何も持っていない』『空っぽ』『孤独』を受け入れていく必要性がある。

 

この経緯で、ツインレイたちが受け入れられないでいる問題の多くが『孤独』であり『無価値』である。

価値ある存在でありたい、孤独は嫌だといい他者に依存する。このふたつの意識が『闇』を生み出す。アク神である。

アク神については天津罪の読解とアクの大神についてで説明をしています。

しかし、無価値であり、孤独であることを受け入れられとき、私たちは価値である大地の存在を手に入れ、孤独である『ツインレイがふたりでひとり』を脱却し『個体』として認識することができる。

8チャクラと0チャクラ

このふたつは、角度の違いがあるだけである。

8と0は同じである。

図の説明:8を解析する

8を横から見ると0である。

いわば、大地のチャクラである0と、天のチャクラである8は同じであり、みえている角度が違うだけ。

存在がある人とは天とも繋がっているし、スピリチュアルとして成立している人は大地とも繋がっている。

人は神と動物の橋渡しであるとルドルフ・シュタイナーは残しているが、そのままである。

図の説明:人は0~8チャクラまで繋がっている

人は1~7チャクラのあいだで、人間的な経験を構築していくことにいなる。ゆえ、最後に8チャクラに到達したとき、0チャクラを導き出すことができる。

これにより人は『存在』を生み出すことになる。

しかし、反面、人間の経験を放棄することにより、分離状態となる。これが闇のツインレイである。

図の説明:ツインレイが闇として分離を起こしているとき

闇のツインレイは『存在が空っぽ』と『存在が無』となっているような状態となる。そして、空となるのは『理』でもある。いわば、理があってこそ支配者側のツインレイはなんとかやっていけるところもあったが、理が空となってしまったら、もうどう判断したらいいのかもわからなくなっていくだろう。

そして、チャクラの分離をさせるとき、上と下が反転するとになる。

8チャクラ側の『神と繋がっているタイプ』の支配寄りのツインレイの片割れは、1~3チャクラと繋がりが強くなる。

『神と繋がっている』ってことで、1~3という現実と繋げて、それで金儲けができたと簡素に言えるが、過去に縛られる。

0チャクラ側の『動物と繋がっているタイプ』の犠牲寄りのツインレイの片割れは5~7チャクラと繋がりが強くなる。いわば、判断が理性的でもあるが、同時に空想家・夢想家といえる。

未来に対して期待を持ったり、その未来を大前提に今を犠牲にする。

図の説明:支配者側の存在とは

存在そのものを『殻』にし固く閉じるだろう。そして、自身に『何もない』と言うことに対し、偽る為、ツインレイを『無かったこと』にする。ツインレイの相手は幻想である。

ツインレイのどちらもが同じ気質となる。過去は殻のなかに閉じ込め、今は欲望に溢れ、そして未来を無にして『何もない未来を偽る』のである。

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0チャクラが無であるとき

経験が構築されない場合である。ツインレイのどちらもが『過去を背負わない』という着地を見せる。いわば、切り捨てている状態となっているときである。

当初、ツインレイの存在は『半分こ』している状態である。しかし、ツインレイの相手と出会うふたりは片方へ存在を齎し、片方は無とすることになる。

これが『犠牲と存在』というようなカタチとなっている。

闇のツインレイたちは片方が存在価値を持つかもしれないが、片方は無である。存在の定義すら持つことがない無である。

 

これは、ツインレイの片方が『光』となる世界に存在し、ツインレイの片方が『闇』という世界に存在するとも言える。

しかし、本来あるツインレイたちは『存在』と『存在』を分かち合ったふたりである。

ツインレイの相手から存在を奪い、犠牲を生み出すツインレイは、はたしてそこに『存在』が生まれるのか? ということだ。

私はこれ、本来あるツインレイたちは見抜いていると思われる。そして、闇の犠牲側のツインレイたちも見抜いている。

0チャクラが無であるときの弊害

0チャクラが無であるとき。まず存在が『無』となるため、自分のアイデンティティを構築することが出来ない。

自分のアイデンティティを構築することが出来ないため、人のアイデンティティをもらって存在することになる。

つまり自分が無へ『あなたが嫌いだ』といったら、無の存在は『嫌いな存在になる』というカタチをとるしかない。

『私はこうしたいと思っている』といったら、無の存在は『それを援助する』しかない。つまり、何もないのである。ゆえに他者により行動を決められ、他者により発言を決められることになる。

いわば、無の存在は『存在と無』の争いにより『支配と奴隷』の関係性のうち、奴隷の立場に当たることになる。

これが旧来のツインレイでもあるように感じられる。いわば『支配者』と『奴隷』のうち、支配者層にあたる。共存ではない。

そして、無とは『なにもない』から、存在に対して『否定』または『肯定』を繰り返すしかないのである。いわば自分の意見も存在がなければ生まれないという常に二番煎じのやり方をとる。

彼らは『アイデンティティ』を持たない空っぽだ。それは0チャクラが空っぽだからである。

 

さて、この彼らをどうにか救済していく方法を私も考えたいとは思うが、正直、どうしようもないと思っている。

なぜならば、そこに『自分』があってようやく、自己の構築を行っていくため、そもそもその自分が喪失された状態の『無』であるものから『有』をどうやって生みだせばいいのかがわからない。

やることといえば、支配者側の存在を奪うしかないんだが、それが無にはできない状態である。いわば、これが『完全なる支配』である。

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0チャクラが支配になるツインレイ側

0チャクラが完全なる支配となったときである。それでもツインレイのふたりで『存在と存在』を構築し合った人たちには敵うことがない。

理由は、0.5+0.5=1の存在である支配者と、1=1+1の方程式を持っているツインレイたちには敵うわけがないのである。

闇のツインレイは存在を奪い成立しているが、光のツインレイは存在を繁栄させていくことになる。