自分のスピリットアニマル『ユニコーン』に会いたい。

Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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そういえば、スピリットアニマルっていう言語があったよなと思い、ちょっと考えてみた。
用語が三つあって、
- スピリットアニマル
- トーテムアニマル
- パワーアニマル
っていう私たちを守護してくれているアニマルがいるっていう話である。
スピリットアニマルとは、アニマルに私たちが選ばれて生涯に渡りサポートしながら、見えない自分と繋がりを深めてくれる存在のこと。
トーテムアニマルとは、家系などで引き継がれているアニマルたちが私たちを守護してくれている存在のこと。スピリットアニマルの家系版みたいな。
パワーアニマルとは、力を与えてくれるアニマル。自分でも相手からも選ばれる可能性がある。
このアニマルたちに私もレイキ中に出会うことがあったりもして、私自身が出会ったアニマルはお狐さんなんだけれども。
他にもお狐さんの夢はよく見ていて、とある地域のお狐さんが夢に出てきては「ついていってもいい?」とまで聞かれたことがある。(ここらへんの地域にいるよって感じで地図も見せてもらった。区域レベルの小さな領域を守ってる狐さんらしかった)
いやいや、お狐さんにも守るべき地域があるでしょうって思って返事はしなかった。
他にも、わりとヤバい現状になった時にはお狐さんが助けてくれたりとかもあったりするし、なんなら、私の母方の家系は農家で小さな稲荷神社を持っていたって話だから、私のトーテムアニマル(家系で引き継がれているアニマル)はお狐さんなんだろうなって思ってる。
先日、私の元に出てきた巫女服のお狐さん。
このお狐さんは、生まれた時からそばにいたと思うから、トーテムアニマルだと思われる。
さて、こんな話を何故しているのか――なのだが、ここ最近、あのユニコーンに繋がりたいって思っている。なんだかとても恋しいのだ。
ユニコーンの夢は二度見ている。ほぼ同じ夢。
丸い円の中から私を覗いているユニコーン。一度目は角がない白い馬が一匹で、二度目は角があるユニコーンが3匹だけ私を見ているのだ。
どちらも同じ草原からで、最初は夜に。次は昼から覗かれた。
私は何度か白い馬の絵を描いたりしていて、なんなら私は一番好きな馬は寒立馬なんだけれども。(っていう話をするぐらいには馬が好きだと思う)
とにかく馬好きで、そのなかでもよく白い馬を描いていたのだ。
私は、あのユニコーンに繋がりたいって感じていて、それは私のスピリットアニマルなのではないか――と思っている。
スピリットアニマルは、アニマルに選ばれて守護動物となって貰える。
ユニコーンの夢を二度見ていることになるが、どちらも『強烈な経験となる彼との別れ』と同時期に見ているのだ。
ユニコーンは七次元の動物だと書かれているが、もしそうなのだとしたならば、あのときの私は7次元にアクセスができたって話なんだと思う。
彼らは純白のエネルギーを持ち、愛、平和、静けさ、優しさ、希望、威厳、思いやり、そして魔法やミステリーを象徴します。あなたがユニコーン的な特徴を発達させるべく準備が出来た時、彼らと出会うと言われています。
(中略)
ユニコーンは誇り高い動物であり、スピリットアニマルとなるための人間を注意深く選びます。多くの人には見えない美しさを世界に見出す人の元に、彼らは現れます。
(中略)
彼らがスピリットアニマルになると、クラウンチャクラを開いてくれますので、宇宙からのメッセージを、より簡単に受け取ることが出来ます。
ここに『ユニコーン的な特徴を発達させるべく準備ができた時、彼らと出会う』と書かれているけれど、そのトリガーは彼との離別への決意だったんだと思う。
それは『多くの人には見えない美しさを世界に見出す』ことらしい。
私の決意は『見えない美しさ』ってことでいいのかな? 照れるね( ⸝⸝⸝¯ ¯⸝⸝⸝ )
とりま、そんなこんなで、ユニコーンの夢を見てから半年以内に、色々なことを思い出したり、第三の目が開いたりをしていた理由は、ユニコーンがスピリットアニマルとして活躍してくれていたからなんだなって思った。
とは言えど、ここ最近、ユニコーン熱がでてきてユニコーンに会いたいって思っている。
どうにかこうにか繋がりたいって思って、ちょっくら瞑想レイキ(瞑想に入るためにレイキする)してみると、私が馬の背中に乗って走っているイメージが見えた。
でも、それ以上でもなければそれ以下でもない。
ただ会いたいのである。どうしてなのかは分からないし、会ったから何? とも思うし、何か用事があるわけでもない。
ただ会いたい、ユニコーンに。
ユニコーンって処女を好むという話だけれど、私は非処女である。
なんでユニコーンが私に? と思うけれど、何者にも侵されていない精神を持つことが処女に匹敵するのかなと思っている。
肉体的にってよりも精神的に。
肉体的に言えば、女性は男性に介入されることにより非処女となる。
精神的に言えば、女性は男性に介入されることがあったとしても、それさえも自らである――と考えられるとき、ずっと処女なんだよね。
つまり誰かに害されることがあろうが、その全てが自分の意思であるっていう考え方。
なにか酷い目に合わされても、自らが自らを酷い目に合わせているのであって、誰かに酷い目に合わされたわけではないっていう理論。
私は彼との離別後、自他統合的な感覚が芽生えていたから、もしかしたらユニコーンの好む処女とは、このことではないかと思った。
人のせいにしないってこと。何があろうが、誰かのせいにしている限り、あなたのなかには誰かが侵入している。これが異性を知っている、異物の介入を許しているって意味に繋がる。(非処女ということ)
自分の中には自分しか存在していないっていう話である。それは自分の世界には常に自分しかないから、他者も常に自分を意味している。
他者を攻撃するとき、自分を攻撃しているに他ならないし、自分を攻撃する人は自分のなかに他者がいるってこと。
で、私はずっと私の中に『彼』がいたわけなんだが、これこそ『自分のなかに他者がいる』わけだが、途中で気づいていくわけである。
と言うか、私は彼を取り込もうとしているのだから、私の中に彼がいることに私はすごく驚くのだが、それでも自らの中に存在している彼とは自分なのである。
新しい要素を取り込むとき、やっぱり自分のなかに新しい要素が異物としてはいるから、これは非処女なわけなんだけれど、その彼をすべて自分に吸収してしまえば、私たちはいつだってピカピカの乙女なわけである。
処女性はいつだって手に入るものであり、いついかなるときも私たちは自分の中にあるものは『自分』でしかないってことなんだ。(でも、やっぱ最初は異物が入っているから「なんだこれ?」ってなるんだよな。)
自分のなかに生まれた異物を排除しようとすると、その異物への攻撃が生まれる。つまり異物は取り込まれた時点で自分だから自分で自分を攻撃するっていう仕組みになる。
アレルギーとかもそうだよね。異物への拒絶心は自分への拒絶心でしかない。
で、どんどんと取り込んでいくと最終的には『自分は何者にも侵されていない』『自分はいつだって自分でしかなかった』っていう結論がでる。
そういえば、ユニコーンに会っている二回は、どちらも異性との別れである。
そのときにいつも思うことは相手が別れたがっている=自分が別れたがっているっていう事実。
相手=自分
この理論が自分の中に成立し、一度目は、異性が決断した別れも、私が決断した別れ――として捉えていた。(ひっくり返って一致する感覚があった)
あなたの意思は私の意思であるという感覚。
二度目は私が決断した別れは、彼が決断した別れなのである。
ユニコーンは、7次元らしいが、自他が同一的に認識されるときに現れるのであり、7次元では、あなたも私も同じってことなんだと思う。
私がどう思っているのかも、あなたがどう思っているのかも、どちらも同じ思い。
でも、ユニコーンはもうちょい突っ込んでくれている。
あなたも私も別々の個体であるから、別れたいと思う一致の気持ちはあれど、その原因となる理由は各々により生じているってこと。
現象は同じでも、内面は別であり、同一ではないのである。
別れそのものに対して、一方が別れる時、もう一方も別れざるを得ない。だから同一なのである。
関係性においての結論はいつだって同一なのだ。関わり合いが一致するということ。
でも、内面においての心理や何を思っているのかはわからない。
どうしてそう思ったのか、どうしてそうしようとしたのかの動機は違う。思考だけは別のものではないかと思う。
気持ちは一致するけれど、思考は一致しない。
気持ちを優先にする時、私たちはいつも、すべての現象において受け止められる。
でも、思考を優先するとき、私たちは一致することは無いし、受け止められないことも起こり得る。
ユニコーンは「気持ちを優先して生きていくと現象を受け止められるよ」って言っているんだけれど、どうして思考が生まれるのか? っていうと私たちが穢れているからなんだと思う。
だからユニコーンの角は解毒の意味を持っている。
1回目のユニコーンの夢では自他統合へとなった(気持ちを優先する)が、角がなかった。だから解毒はやらない。
2回目のユニコーンの夢では自他統合(気持ち優先)だったし、ユニコーンの角があったから解毒をする。
解毒って何か? っていうと、自分のなかで受け止めきれていない感情があったりすると、それが毒化するって話になるんだと思う。
自分の本当の気持ちにしたがって生きると、現象に対して苦しみは生まれないんだが、自分の気持ちに従えない時、現象に苦しみが生まれる。
彼らとの別れ。
一回目も二回目も「別れたくない」とは思わなかったが、二回目の解毒の為に色々と彼のことが思い出されて忘れられないことは苦しかった。
解毒されたら、最後に残るものは「自分の気持ち」だけだと思う。
で、私は今ユニコーンに会いたい。
理由は分からないけれど、今ユニコーンに会いたいのだ。