魂の声である『大事にする』と『好き』を循環させる。

Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
kindleの読み放題『Kindle Unlimited30日間の無料体験』では、ほかの三冊も同時に読み放題
大事にする、そして、大好き! このふたつの気持ちは、彼と私のなかで分離し、彼は「大好き」の魂だし、私は「大事にする」の魂だし。
この過程で、お互いがお互いにそれらを差し出し合うことが循環しきれていない事実に気づいたので、その件について書いておきたいなと思った。
魂の記憶を戻している人たちは、一方の課題は終えている状態だと思われる。

この『大事にする』と『大好き』は、私と彼が分離したときの魂のことであって、すべての人がそういうわけではないと思われる。たぶん、それぞれ分離するだけの理由があって、その理由は自分の記憶を辿るしかない。
この循環思想は、前に『愛と信頼』により書いたことがあるんだが、あのときは愛と信頼で書き上げたものが、こたび、自分の魂で思想を引き継げるとはなかなか乙やなと思いながら。
では、順序だてて書きあげていきたい。

大事にする方が先に覚醒する。それは出会いによって記憶を思い出す。もちろん、大好き側も半分は覚醒するし、影響によって思い出しもするんだけれど、まだ明確には未覚醒状態。
覚醒とは『大事にする気持ち』を思い出すことと『大好き』って気持ちを思い出すことなんだが、大事にする側は思い出しているんだが、大好きって側は思い出していない。
ので、大事にするのが一方通行で、大好き側は、大事にする側を好きになる感覚がわからない。覚醒とは、その魂の本質的なテーマを理解することに意味があるのだと思う。これは魂の記憶を思い出すことが覚醒として定義される。
そして、一方通行となるが、大事にする気持ちを大好き側に提供するわけだが、すべてを差し出しきると『受け取る』が完成する。その後にサイレントに突入することになる。これで往路の完成である。次は復路である。

まず、大好き側は魂を覚醒されることをしなければ、大好きって気持ちが思い出せない。大事にする側は受け取る部分を作り出さなければ、大好きって気持ちを受け取ることができない。
そして、出会いにより『大事にする——受け取る』が構成されている手前、再会により『受け取る——大好き』が構成されていなければならない。
風呂に入ってから寝るのが前半。寝てから風呂に入るのが後半である。
ゆえに、片方が先に覚醒をし、しかし、一方通行であることから、サイレント期間に入る。サイレント期間中の最後にもう一方が覚醒をする。
サイレント期間中では、覚醒のために浄化をするのか。はたまた、相手を受け取るために浄化をするのかで違うが、覚醒とは『記憶を取り戻すこと』でもあるため、記憶を取り戻した時点で覚醒とし、その覚醒に合わせて、浄化が進むとも言える。
ただ、記憶を取り戻すタイミングがそれぞれ違うのだと思われる。
私は大事にする側だが、大事にすることが魂のままにできたのは、それなりの気合と根性があったからとしかいいようがないし、ただ「そうするべきである」というべき論でやり抜いたに過ぎない。(つまり、覚醒して、そのままスムーズに大事にすることには多くの問題を抱えていたから、その部分をサイレント中に浄化する必要性が合った)
まァ、順序的なことを言えば、こんな感じなんだが。
とりま、おおまかにいえることは、出会いからサイレントまでの間には一方通行の間違ったような愛し方しかできない状態なんだが、サイレント中に、魂の記憶を取り戻したり、その魂のままに生きるまでの浄化が進むことにより、最終的には再会により、ふたりともが覚醒状態で循環することができる——ということだ。
サイレントの期間の課題は『自立』と『共存』にあり、自立している人は共存が出来ていないし、共存できている人は自立が出来ていないという問題に着手しなければならない。
自立とは孤立ではないし、共存とは依存ではない。
サイレント直前に共存側が依存しきることによって、一方通行的な関係性を構築しきることができるが、同時に、互いを破壊する為、離別に入ると言える。共依存しきってしまえば、お互いが破壊される。
自立側が孤立をやめ、共存側が依存を止めるためには、自分のなかにある問題を浄化していく必要性がある。
そして、私たちの中にある問題は『孤立』と『依存』のどちらものテーマが眠っていることにある。
私は今、孤立しているわけなんだが、とりわけてこれが問題と言うわけでもないんだろうなと思うが、それでも、私のなかに『好かれたい』という欲求があることには最近に気づいている。(私は私のなかに彼を見つけているからな)
これは反転していて、大好き側が孤立しているが、その孤立の根源には『好かれたい』という欲求が眠っていたということ。でも、好かれたいじゃなくて、誰かを好きにならなきゃいけない。これが彼の課題であり、彼の覚醒である。
精神では孤独、現実では孤立。どちらも他者が存在しているからこそ生まれるものである。
根源には『さびしい』という感情が存在し、さびしいから好かれたいのか、さびしいからいっしょにいたいのか。
さびしくて好かれようとすれば孤立(現実)し、さびしいからいっしょにいようとすれば孤独(精神)になる。
これは、私が孤独と孤立の両立を起こし、強烈に「さびしい」と感じた際に、彼を引き寄せた。
彼は孤独と孤立の両面を持っている人だった。私自身のことである。同じなのだ。私は彼の持つ孤独と孤立を愛していたし、受け入れた。大事にした、苦しかったけれどね。それでも、それが彼だと言うのであれば、それを愛さねばならない。
だけれど、今ならば間違いだったとわかる。
今度は、いっしょにいて楽しい人を大事にしたいし、好きになりたい。
私は彼といっしょにいて楽しかった。でも、同じ分だけ、さびしかった。それはそこに孤立と孤独があったからなんだと思う。好かれたいって思っていたし、いっしょにいたいって思いすぎていたんだろうな~と。
最初はとても楽しかった。でも、どんどんさびしくなった。
始まりがさびしいで出会っているから、やっぱり、最後もさびしいで終わるんだと思う。孤立と孤独でさよならをした。
さびしくて好かれようとすれば孤立(現実)し、さびしいからいっしょにいようとすれば孤独(精神)になる。
いっしょにいて楽な人を好きになりたいし、楽しいからいっしょにいたい。
さびしいは、孤立と孤独を生む。でも、だからこそ出会えた唯一。
だからさー(´・ε・`)
共依存者に孤立は自立を促し、回避依存者に孤独は共存を促す。面白いことやってんねん。
共依存した部分は自立させられるし、回避依存した部分は共存させられる。
孤立は周囲に人がいない状態。孤独は周囲に人がいるけれどメンタル的には孤独。
どちらも『ひとり』がテーマ。他者がいて自分がいる。だから『孤(個)』が生まれる。