5次元

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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最近では5次元上昇という話があるが、4次元ではひとつの時間軸が構成されているということ。5次元にはパラレル世界が構成されていることに気づくこと。

このパラレル世界というのは「自分と同じだけれど同じではない」ことに気づいていくこと。これはまだ精神の領域の話である。

5次元とは「自分の人生は、自分の意思により決定していくことができる」ということ。

いわば、4次元での私たちは、自分の人生は決められたものである運命の上に沿って生きている——というだけ。時間のラインはひとつしかないので自分の人生は決められたものとしか捉えることできない。

しかし、5次元では自分の意思により自分の人生は決めることが出来るようにあっていく。

これが5次元の世界観であり、自分で決めることが出来ていく人は、パラレル世界的な理解を進めていく。

自分がこの世界線を選んだ場合、どのような結果になるのか——といういくつかの世界線を理解し、その世界線を過去にもいくつも分岐を持っていたことにも気づいていく。

何度も自分のもうひとつの分岐を生きている人たちに出会っていく。その人たちからへ私たちは伝えることを伝え、そして、別れもまた必然として受け取り、前に進んでいくことになる。

私たちは、意思決定により世界線を切り替えている。その切り替えた分だけ出会いを必要とする。そして、別れも必要とする。もうひとつの世界線を進む人たちとは同じ道を進むことは出来ないと、己の自己に言い聞かせていく役割を担って私たちのもとへ訪れるからである。

5次元へ進んでいる人は、自分の意思を持ち、自分の運命を決定していく力を持っている。否、その決定した分だけ、別れと出会いを繰り返していくのである。

これを人生の午後とも言える時期なのだと思う。

これらを踏まえ、私たちは考えなければならない。

さて、これを踏まえ、私たちはいかに生きるのか、と考える。

私たちは意思決定をした数だけ与えられるものを持っている。私たちはいかに生きたのかに道理を踏まえるために思考を巡らせている。

きっと、みんな一生懸命生きている。その人生が、もし「ひとつの世界線」を辿るだけのことだったとしても、一生懸命に生きているのだということ。

それでも、意思決定をする人たちは、複数の人生を生きている。

自分の意思を固めた分だけ、人生が分離していくのである。本来あるべき道から少しずつ離れ、本来の自分から解離し、自分を失い、そして新しい自分を再構築していく。

この複数の人生を生きている人たちがいる。この人たちを『5次元に生きている』として考えるべきだと私は思う。

それは、楽観して生きているわけではない。

それは、楽しい人生を歩んでいるわけではないし、なんなら、感情に任せて生きているわけではない。

必ずそこには、信念という固まった意思が存在している。そうやって私たちは自ら自己分離を起こして複数の人生を送って生きている。

 

そして、そんな風に世界線を意思決定で決めていくことも『楽にできる』という時代がくるわけではない。

5次元とは『複数の人生を同時に歩む』ということであり、その選択に信念や意思という自分が決定した『自分』が存在している必要性がある。

たとえば、どっちのバックを選ぶのかを意思決定とは呼ばない。

どちらのバックを持つ自分を選ぶのか——ということだ。そのとき、既存の自分ではなく、新しい自分を分離させて構築するがゆえに、既存の自分と新しい自分が共存するのである。

 

私たちは、5次元に『落ちる』のであり、『あがる』のではない。

私たちの精神はひとつであり、それをふたつに分離させたならば力量は『落ちる』のである。しかし、ふたつの人生を歩んできた人は人よりも多くの経験をつんでいるということ。

これを『地獄』とも呼ぶのかもしれない。

次元があがるとは、数字を小さくしていくことである。いわば、これを『抽象化』と呼ぶ。

私たちのなかに存在しているものがドンドン分離して増えていくとき、次元が落ちていく。しかし、ひとつに統合していくとき、私たちは抽象化され次元があがっていく。

私がもし人生をふたつに分岐させたとしても、そのふたつの人生をひとつに統合させた際には、4次元に戻る——ということ。この際、私の人生は二倍に増えている。

意思決定ではなく、感情に流され、自己分離を自ら起こすこともない人などは、「4次元」という言葉の世界に生きていると思う。

そして、3次元とは3D世界なので「一瞬=人生」という概念を持っている人になっていくる。

つまり、3次元的な抽象的理解を持っている人は、始まった瞬間と終わった瞬間は同じものだと認識していると思われる。なんなら、途中の過程においても同じこと。

いわゆる「変わらないものがずっとある人」もいるってことだ。

もし、ツインレイ。これを次元で定義するのであれば、私は3次元以上だと思う。それは3次元、2次元、1次元ということ。

抽象化された世界で「時間の概念」みたいなものがすっ飛んだ世界に存在している。

きっと、何度出会うことがあったとしても、いつだって、時間は変わらない。一定のまま。

何度で会おうが、再び出会う心は変わらないままである。

姿かたちが変わろうが、あなたがいかなる人生を送っているが。あなたが今生において、どんな悲しみを抱えているが、私たちは「あなた」に気づくことが出来るように設計されている。

だから、時間の概念の存在してない3次元階層に以上でなければ、ツインレイという『霊』が成立し無いことになる。

私たちは4次元において『時間』を手に入れる。

あなたがこのサイレントにいかなる人生を送ろうが、いかなる苦しみ、いかなる感情。いかなる経験を果たそうとしようが、私たちにもし再会することがあったとして、そのときの私たちの出会いは、毎朝同じなのである。

なぜならば、私たちに時間が存在してないからである。そんな霊の存在を私たちは知っている。

この世には時間がある。年齢。この年齢でさえも、霊においては全く関係のないものなのである。それが私たちの霊においてふたりの仲を裂く原因にはひとつもならない。時間の概念がないからである。

 

しかし、私たちの人生は、肉体により、老いにより成立している。

時間は待ってはくれやしない。これがこの世が4次元という世界にあり、私たちが人生を歩むという過去と未来を持っているということ。

だからこそ私たちは「時間」を大事にしなければならない。

いっしょに生きる、いっしょに死ぬ。どちらも同じ意味だと霊は思う。

だけれど、この世が4次元である限り、私たちの時間は有限である。

そして、有限であることを知っている人たちこそ、5次元という世界線を持っている。

この世の時間は限られている。だからこそ、意思決定をして自分を選び、分離させてはふたつの人生を歩み、なるべく早くにたどり着きたい場所にたどり着こうとする。

 

そして、必ず5次元までの存在を持っているのが人間である。

ここでは意思決定としたが、人はストレスなどでも自己分離をする。その際、分離した自己というものが5次元に存在し、複数の人生を歩むことはしばしばある。

しかし、意志決定をして分離させた自己は「意思により生み出した」ものだからこそ、その存在への認識は生まれるが、ストレスにより分離させた自己は「逃避により分離させた」ものだからこそ、その存在と向き合うことはなかなか難しい。

ツインレイの話でもランナーチェイサーとあるが、自己への逃避なのか、意思により分離したのか。それにより、最終的な結論は違うと思う。

5次元の在り方が『自分の意思』なのか『自分からの逃避』なのかである。

このとき、4次元では『時間は有限』なのか『時間は無限』なのかが変わってくる。

3次元では『霊』が存在しているが、この3次元的な霊と『真逆』なのか『繋がれる』のかが変わってくる。

どれが正解かと踏むことはなかなかできないが、

  • 5次元・・・・自分の意思(・)
  • 4次元・・・・時間が有限(〇)
  • 3次元・・・・霊と繋がれる(∞)

として定義してみると、わかりやすいかなと思う。

  • 5次元・・・・自分からの逃避
  • 4次元・・・・時間が無限
  • 3次元・・・・霊と真逆

であるとき、私たちは『何かから逃げている』ことがわかる。では、何から逃げているのか。それは『霊』だというおとも視えてくる。霊から永遠に逃げ続けているのが『輪廻』である。

私たちがするべきことは「人間として生きることを受け入れること」であり「魂(霊)として生きることを受け入れること」ではない。後者は逃避である。

霊と繋がっている人は、自分の意思により行動を起こし、自分の意思により『自分を決定している』のである。

次元