愛し合いたいという欲求。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私は暗闇のなか、彼の心を知ることも出来ず、彼の意思を確認することも出来ずに、私のなかにある「彼を信じると決めた決意」だけを温めていました。

何度も信じられないような出来事が起こりました。

そんな暗闇で、何度も私が彼を信じ抜くことが出来たのは、ただ「決めたから」という意思でしかありません。

ですが、本当は信じられなったのです。

信じられなかったから、私には意思が必要でした。

意思は、信じられない私を諫めることはできましたが、それはただ抑圧しただけでした。

私のなかには募る不信ばかり。その不信がすべて噴き出たとき、彼と私は離れることになりました。

本当は、信じられなかった自分がいたことを、私は隠していました。

 

どうして私がこんなことをしたのか。

私は、彼と愛し合いたいと思ったからです。

彼と本当の意味で、心から愛し合いたいと思いました。

だからこそ、私のなかに存在する不信を隠しました。

しかし、隠したところで「ない」わけではありません。

 

愛し合いたい欲求があったからこそ、私は信じようとしていました。

しかし、満たされることはありませんでした。

信じ抜いたところで、愛し合うことはできませんでした。

そこには『隠されていた不信』があったからです。

私は、この「彼を信じられなかった自分」が本当の自分だと思います。

そして、そんな私を愛したいと思いました。

それが本当の私の姿だからです。

 

愛し合いたいと思うのは、もしかしたら、私たちのなかに愛の循環がないからなのかもしれません。

愛は私たちのなか、ひとりのなかで循環しています。

どんな私をも愛していること。

もしかしたら、循環に他の誰かが加わる日がやってくるかもしれません。

そんな日を望んでいました。

それが私の「愛し合いたいと思う欲求」の姿です。