私が連絡先を消したり、データをすべて削除をした理由と、私が持つ私への絶対的な信頼。
Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
kindleの読み放題『Kindle Unlimited30日間の無料体験』では、ほかの三冊も同時に読み放題
これを書くことに意味があるのかはわからないんだけれども、とりま、ついでに書いておこうかなと思いました。
あのとき、私は彼と離別したあと、数か月後にやってくる私の誕生日に彼とのつながりをすべて断ちました。
その理由は、私のなかに「彼から連絡が来るんじゃないか」っていう未練がましい期待が存在していたから。
彼は進んだ。だから、私も進まねばならない。
彼は私を置いていったのか、捨てていったのかはわからないし、どんな理由で私の元を離れたのかはわからないんだけれど、でも、彼は先に進んだのである。それが事実。
だからこそ私も進まねばならなくて、あのとき、私のなかにあった期待を打ち払うためにすべてを消しました。
彼の写真とか、彼との繋がりとか。彼とのデータとか。
色々なものが私のスマホのなかにあったんだけれど、私はそのすべてを削除した。
そうやって、私は対応した。
それでも、当時、すごく辛かったのを覚えている。苦しくて、こう打ちひしがれた記憶がある。
それが私のなかで最善だった。
すべてを削除したのは私が前に進むために。これは彼の為ではない、私の為。
期待したくなかった。何よりも、私も前に進みたかった。
本当はそんなことしたくなかった。ホントは、連絡先だって消したくなかった。
やりたくなかった。やりたくなかったけれど、やらなきゃいけなかった。
前に進むために。
過去の思い出に浸ってても仕方ない。
連絡が来るんじゃないかって期待して待ってても仕方ない。
強行突破した。
このとき「これで縁が切れる」とか「これで終わりだ」というのも理解していたし。
それを自己破壊するように受け入れた。
正直、3年もひきずって今も、この件で文章を書いている自分がいるけれど、でもあのとき、私は彼との終わりをひとつ覚悟したのである。
彼との終わりを覚悟して、このまま、縁が切れて、もう二度と連絡がとれないことも、ある程度は理解して。
取り戻せないものがあることも分かっていたと思うし、それを受け入れた。
自我が壊れるかと思った。
このとき「縁があれば再び繋がる」とか、スピリチュアルの言葉とかって何の慰めにもならない。
現在今、ここで「切れた」状態で「再び繋がるだろう」だなんて何の慰めにもならないし、何の腹の足しにもならない。
だから私はスピリチュアルにそこまで傾倒していないのかなとは思う。
だってなんの救いにもならないから。
切れた瞬間の絶望を未確定な未来が救うことはできない。
「縁が再び繋がるだろう」ってことに縋りたくなる気持ちもあった。
だけれど、未確定で誰も保証をしない無責任に放たれた未来に縋る弱い自分が嫌だった。
断ち切ったときの自分を思い返しても、絶望しきっていたような気がする。
本来ならば、再会したいとか。もう一度会いたいとか、そう思うことが許されることもないんだろうなと思っている。
だって、一度は覚悟している。この縁が切れてしまうことを覚悟したうえで私は行動をしている。
だけれど、私が縁を切る行動をとったのは、根底にある絶対的な信頼も存在していたことも事実なんだ。
「この縁は切れない」っていう絶対的な信頼。
LINEを断ち切ろうが、私の持っている彼へと繋がる手段のすべてを打ち切ろうが、私と彼の縁は絶対的に切れない信頼。
だから、私は、自分で彼との縁を切った。
未来にはなにひとつ希望なんてものは抱いていなかったし、スピリチュアル的な「縁があれば再び繋がる」だなんていう未来への希望的観測だって打ち捨てた。
だけれど、私のなかには「絶対的な信頼」があった。いや、これは信念だと思う。
ただ私は私を信じていたし、信じ切ろうとしていた。
だからやり抜いた。どんなにつらくても、信じ切るために。
これは、私が私へ持つ絶対的な信頼である。
私は大丈夫という私への信頼。
たしかに絶望したし、現状は最悪だったけれど、私のなかには『私を信じる力』だけは残っていた。
なんとかなる、否、なんとかする。
ここから、なんとかする。取り戻してみせる。
運命がしてくれるんじゃない。
「私が」そうする。
どうやってなのかなんてわからなかったんだけれど、このブログは「取り戻そうとていた」のだと思う。
だから私は必死に理論を立てた。どうすれば縁が戻るのかを探していた。
運命とか、神とか、宇宙とか。スピリチュアルとか。
そんなものが私の縁を繋ぎなおしてくれるんじゃない。
私が、私で、縁を繋ぎ直すのである。
私が信じていたものは「私の力」なんだと思う。
私の願いは私が叶えるからである。
それが神しか扱えないと言われている縁だろうがである。
私は、誰かや何かが何とかしてくれるだなんて、期待をひとつも思えないほどに『自分ひとりで生きてきた』人だった。
されど、青い鳥。
すべてはここにあったのである。
「強い想い」がここにある。それを認めればいい。
自分で縁を切っても大丈夫と思えるほどの強い信念がある。
その想いが引き寄せてくれる縁がある。