ツインレイステージの簡略的な解釈
Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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統合――分離――結合
これが単純なツインレイのステージの形成。
統合とは、元々自分の中にある要素がひとつであったものであるということ。
自分の精神構造内に「他者」を生み出すとき、それが分離となる。
当初、ツインレイの相手と統合されているのではなく、そもそもツインレイの相手という分離を精神構造に生み出し、千切る(契る)ことが分離である。
つまり、ツインレイは出会った時から統合している――とは、ツインレイとは出会っていませんの意となる。
統合されているものを自己分離としてツインレイの相手を自己の中に発生させ、結合(分離したものを統合させることは出来ない、結合がせいぜい)させることで再開となる。
統合(出会い)――分離(サイレント開始)――結合(再会)
ってことになる。
で、この分離の段階でアイデンティティの拡散が起こり、自己がバラバラの崩壊となることで、ツインレイの相手が自らの中に発生する。
サイレント中に何やってんのかなっていうと、
- 前期――明確に分離し切る
- ランナーとチェイサーにより自己分離を明確に起こす
- 中期――分離を自立させる
- 分離体を自立させることで人格をツインレイの相手を模して成立させる
- 後期――分離体を結合させる
- 自立している分離体を結合させて仲良し状態になる
- 浄化を必要とする
個人の精神構造では、このような感じになっている。
本心=現象である。
今の状況は自分の本心のままである。
もしツインレイの相手がそばにいないならば、それはツインレイの相手と一緒にいたくないっていう本心があるってこと。(この理屈を理解する必要性がある)
で、その原因を浄化させていく必要性がある。
サイレント期間だが、この期間でやらねばならないことが
- ツインレイの相手を追いかけない為に自分を殴る感じで自立を目指す(約二年)
- ツインレイの相手を自分のなかで人格を形成させる
- 自己統合と自己浄化(約二年)
- 人格ふたつを結び付けさせられない原因となっている問題を浄化させる
っていうことをやっている。
私は2021年の秋にサイレント開始しているんだが、そこから順繰りに何やってたかっていうとこんな感じ。
ひとつの人格を確立させるのに、約二年は確実にかかる。というか、長い目で見て三年ってとこだと思う。
ひとつの人格を全ダウンロードを自分にしていくのに、馴染ませるにも時間がかかるってことだ。
その後、自己統合(結合)するにも時間がかかる。どんだけ分離しちゃってんの!? っていうバラバラの人格を全員仲良しにさせていくにも時間がかかる。(みんな色々抱えてるねん)
で、自己浄化って書いているけれど、私が今やっていることが自己浄化。
自分としての個の確立(自己統合)、ツインレイの相手の確立(自己統合)。
次にこのふたつを結ぶにも、浄化しなければならない男女の課題が眠っている。
つまり異性へのトラウマを解除する必要性。
▼異性へのトラウマ解除のためのおすすめ
このトラウマが全解除出来て、ようやくツインレイの統合(結合)と呼ばれる事象が起こり得るけれど、これもまた自分のなかで起こり得ているのもあって自己統合でしかない。
私はサイレントに入る時に2025年に全てが終わるって直感で得ているんだが、約4年ということになる。
あたい、全部終わったら婚活するんだ( ー̀֊ー́ )・・・・・・!!
サイレントって何やってんのかっていうと、自己分離を自己結合させるだけ。
一個だったものを二個にして、二個を結びつけている。
そんだけのことなんだが、そんだけのためにすごい時間がかかるんだよな。
この期間、何をしなくちゃいけないのかについては本能的にわかるから、その方へ導かれていけばいいんだと思う。
でもね、一個だったものを二個に出来ていない人は最後に二個をひとつに結びつけることは出来ないんだよ。ないものは無いから。
分離していないものは結合できない、ないもんはないから。
最後には一個(統合)=二個(結合)ってことになって、一個であろうが二個であろうが、そりゃ同じやで( ˇωˇ )っていう理論を持つ人になる。
二個の段階で優劣が決まる人もいれば、比較する人もいれば、二個は一個だよ(どっちも同じ扱い)っていう思想にまで展開される人もいる。
何が違うのかっていうと、自分にとっての異物(ツインレイの相手)を分離の時点(サイレントの始まり)の段階で愛しきっていたのかどうかによると思われる。
自分とはまるで違う異物を全て丸ごと自分の事のように愛していたならば、最終的には二個は同じものとして定義される。
でも、自分とはまるで違う異物を見下したり、侮ったりとか、なんなら、自分のほうが大事だったりとかすると最後に二個は同じものとして定義されないと思う。
自分とは違う異質のものを見下す人は今度は自分が見下されるだろうなって思う。
異物が「異物のまま」ってこと。つまり、分離が中途半端になるから、二個は結合されずに中途半端な結合に留まると思う。
異物だろうが、よくわからんだろうが、そこには一理ある(はずだ)という相手を信じる気持ちも大事だったんじゃないかと思われる。
協力者ってあるけれど、協力者は協力者じゃないけれど、協力されているっていう視点は、現実的ではなく、もっと違った視点で助けてくれる。
そういう意味ではほぼ全員が協力者。見え方による。
でも現実的には全然協力はない。見え方による。