永遠の駄目出しという僻み根性。

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Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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【ひがみ七訓】
つらい事が多いのは、感謝を知らないから
苦しいことが多いのは、自分に甘えがあるから
悲しいことが多いのは、自分の事しか考えないから
怒ることが多いのは、わがままだから
心配する事が多いのは、今を懸命に生きていないから
行き詰まりが多いのは、自分が裸になれていないから
あせる事が多いのは、目先しか見えていないから
引用:僻みの七訓
これを読んで思ったこと。
よくわからん(;’ω’∩)・・・・・・何言ってんの?
だった。相関性あるんか??
僻み七訓と呼ばれているものだけれど、よくわからないので分析してみることにした。
文章パターンが、すべて
ネガティブなことは多いのは、〇〇という問題があるからだ。
という構成になっている。
つまり、マイナスが起こり得る理由は、マイナス的要因が自らにあるからだ――ってことなんだと思われる。
-+-=+
ってこと?
これはなにかって言うと、僻みが生まれる七訓なんじゃないかと思われる。
つまり僻み根性がある人は、こういう思考回路をしているよってことなのかなー、と。
文章を少し変えてみるとわかる。
お前の人生が苦しいのは、お前がちゃんと感謝してないからなんじゃないの。
これを読み上げてみると、なんとなく、心が捻れている感覚がする。
これが僻み心理なんだと思う、永遠のダメ出し。また、それは自らに向けられる言葉だと思う。僻み人格へ向けて。
僻み人格は、感謝がないし、自分を甘やかしてるし、自分のことしか考えてないし、ワガママだし、今を一生懸命にいきず、自分を丸裸に出来ず、目先のことしか考えてないってことなんだと思う。
で、僻み人格は言うわけ、他人に。
おいてめー感謝しろ、自分を甘やかしてんじゃねーよ、自分のことしか考えてないんじゃないの? ワガママ言うな、今を一生懸命生きてないんだよ、自分をさらけ出すこともできてない癖に。目先のことしか考えてないんじゃないの。
投影ってことだ。
じゃぁ、僻みってなんだろう? って考えてみるけれど、羨ましい気持ちを素直に受け取れないこと。結果だけが欲しくて努力はしない、その結果を受け取ってる人たちが羨ましい気持ち。
「べ、別に羨ましくなんてないんだからねッ」
っていうハンカチ噛み噛みしてるツンも僻み。
人は羨ましいと想ったら、何かしら、その立ち位置に近づこうと努力するものなんだけれど、何も努力せずに結果だけが欲しいのが僻み。
結果は誰かが与えてくれるから、ずっと待ってるだけでいい。
「成長したくない、甘えたい」っていう心理が、何もせずに結果を得たいけれど、結果は得られるはずもないから僻むしかないって感じ。
私が再会を目指すとして、再会する為に自分磨きもせず、自分にある問題にも気づかず、誰かの駄目出しばっかりして、再会している人たちへ「お前はこれが出来ていない」っていう指摘だけはしている。
つまり、憧れている存在への駄目出しをする。根底には、自分がそうなりたかったっていう心理。
再会している人達に対して思った印象は、再会していることは素直に「いいなー」とは思ったけれど、彼らになりたいとは思わなかった。
私があまり『羨ましい』という気持ちに囚われない理由は、個人をみているからなのかな、と。
再会したいけれど、再会している、その人になりたいという思いはない。再会している人の伴侶の方と結ばれたいわけじゃないから(;’ω’∩)
結婚したいけれど、結婚している人の夫と結婚したいわけじゃないから羨ましいと思う気持ちが個人に向かわない。
これってなにか? っていうと、結婚している母は受け入れるけど、父と母のような結婚がしたいわけじゃないっていう心理だと思う。
どうなりたいのか――を個人に見つけることがなかなか難しくて、この人になりたいと思う気持ちは羨ましいって気持ちを生み出すんだと思う。
でも、その羨ましい気持ちを否認すると、僻みが生まれる。羨ましい対象に攻撃を向ける。
なんで羨ましい気持ちを否認するのか――。わからんけど欲求不満とか幼児期に満たされなかった想いがあるんだろうね。
こうして欲しかったっていう思いが強すぎて、羨ましい対象が自分では無いことに腹立たしいイメージ。自分の望みが叶わないことに怒ってるんだけど、何も努力しないから僻むしかない。
私、今回、かなり努力したと思うんだ。僻む暇もないほどに個人の奮闘をしていた。
でも、努力に見合うだけの結果が得られているかどうかは別問題なのよね。
ここで比較が生まれるならば、私は結果が得られなかった人で、もちろん、結果が得られた人もいたんだと思うよ。
僻んで何もしなくても再会した人もいれば、しない人もいる。
面白いなって思ったよ。ツインレイ。
人格に比例してないのよ、結果が。
再会している=人格統合している
ではないんだよね。(なとり調べ)
でも、わかることはあるよ。
再会したい、でもツインレイに憧れはない。
だから当人に駄目出しを言う。努力しない、憧れてないから。
つまりさ、私はツインレイにはなれないねん( ˇωˇ )努力してないから。爆
ツインレイへ僻み根性があるんやわ。当人に憧れてないけど、やっていることは同じだなって思った。
永遠の駄目出ししてんのよね( ˇωˇ )
そろそろ自分への駄目出しを終えたいなと思う。
再会できないのは、自分に問題があるからだ。
どう思う? そんなはずないじゃん。爆
さすがにもうないよ。爆
逆にしてみよ。
再会できないのは、相手に問題があるからだ。
これで課題の分離が出来た。
でも、もうひとつ、新しい視点が欲しい。第三の答えが欲しいんだ。
再会とは何か。それは問題の有無ではないことだけは理解した。
では、再会とはなにか。問え。