カフェイン断ちをしていた件について
昨日のことなんだが、相変わらず、ハンモックの上にいたわけである。
寝られるわけでもなく、うつらうつらをずーっとしながら考えごとをしていた。
レイキも腹部にあてながらぼーっとしていたんだが。
ふと一気に眠気がやってきたのである。
たまーのレイキ中には眠気がやってきて寝ちゃうことがあるんだが、今回のはちょっと意味が違った。
たいていは眠るか、眠らないかの選択権が私にあるけれど、此度は無理だった。私に選択権はなく、吸い込まれるが如くに眠りについたのである。
今回は「何か意識の中身を組み替えようとしている」って感覚がした。
次に起きたときは猛烈に体が熱くて。
いや、もう熱なんて解熱してるんだけど、身体のなかにある熱がどどどどと大移動している感じでエネルギーを猛烈に循環させているのである。
なんだこれ?
そんなふうに感じて、しばらく「あついな」とか思いながらうつらうつらしてたんだけど、ふと、「ホットミルクに大量のはちみつ入れて飲みたい」って思って身体を起こしたら、なんと低血糖を起こしてるじゃないですか。
ぜったい、何か身体の中で大活動が起きて、糖が一気に消費されたんだわ。
そう思って、ポカリにはちみつ入れて飲んで、次にホットミルクを飲んだら、今度はチョコが食べたくなって。
チョコ棒を食べた。
糖が満たされたら、なんだか身体の具合がいいなと思って、布団に入ったんだが、猛烈に眠い。まだ眠いかってぐらいに眠いので寝ることにした。
爆睡して、トイレに一度起きた。
このときの私は『無』だった。頭のなかでずーっと考えごとをしているものがシーンと静かで何も喋らず、静かだった。
この静けさが異様な感じに思えたんだけど、あ、そうか、本来、人ってこれぐらい静かな世界にいるんだよなって思った。
それが本来で、たしかにここ最近、静かになりつつはあるけれど、それがデフォルトにはまだなりきれていない。
すごく不思議な経験だった。
これの原因なんだけどね。
ここ最近、依存を抜いているんだけど、もちろん、恐怖も最近はでてくるから恐怖も受け入れたりとか感情的なことも処理をしているんだけど、個人的には『依存』がテーマ。
ここいらでカフェイン依存をやめようと思って、最近、紅茶を買ったというのにインフルエンザにかかると同時にカフェイン断ちを始めたんだ。
あ、ちょうどいいやって気分で。
ほぼ毎日、紅茶二杯を愛飲している人である。朝起きたら紅茶飲まないとソワソワしちゃうんだ。
で。ちょうど、昨日でカフェイン断ち5日目当たりだった。
腹部で緊張があることがわかっていたんだが、カフェイン断ちを始めたら腸の緊張がなくなった。
レイキで明らかに緊張が落ち着いていて、カフェイン断ち始めて数日目には、軽く便秘が改善されつつあるのである。
カフェイン断ちをすると頭痛がすると言われているが、インフルエンザで頭痛になってたからよく分からなかったし、なんならカフェイン断ちをした直近の反動みたいなものは、インフルエンザに巻き込まれて精神的な問題も寝て過ごして終わったのだと思われる。(反応があったわけなんだが、レイキで処理しつつ過ごしていたのだと思われる)
そして「チョコが食べたい」。これがカフェインを欲しているっていうことだったんだなって思った。
今もチョコ棒食べてるけど、うめえな( '༥’。 )
あと、甘いものを強烈に欲しがっている。今まで甘いものが食べたいなんて、しばらくなかったというのに。
ただ面白いことに、紅茶が飲みたい、コーヒー飲みたいという欲求は落ち着いている。
カフェイン断ちをしていることすら忘れていて、チョコを食べてしまっていたんだが、こちらも控えるようにしようと思う。
意識の組み換えが起きた――と書いたのだが、たぶんカフェイン断ちが完了したのかなと思っている。
今のところ、自分の中からカフェインを摂取したい欲求はあまり感じられない。
インフルエンザの不調とごちゃ混ぜになって、カフェイン断ちによる離脱がどのようなものなのかがあんまりよく分からなかった(๑• – •`๑)
あとカフェイン依存は、向き合いたくない精神があるとき、カフェイン依存になりやすいのかもしれない。
私の場合、それは『無』だったんだけど、カフェインで覚醒していることで無に向き合わずにすんでいたんだなと思った。
向き合ってしまうと、依存もいっしょに抜く機会に恵まれるのかなと思った。
向き合えないものがあると、何かに依存したり執着を示すものなのかなと思う。それが何かは人それぞれ違うけれど、向き合えるようになると依存が抜けるし、依存を抜けば向き合えるようになる。