破壊を受け入れること。コーザル体の破壊と創造
ようやく『破壊』を受け入れることが出来ます。
私は確かに創造側でした。生み出しては構築をする。それが私にとって創造でした。
しかし、創造が永遠というわけではありません。
キツネやモルモットとか狼、牛で実験があることなんですが、この話を読んだのはドーパミンの本でした。
動物の個体のなかでも、人間によく懐く個体を交配していくと、ホワイトソックスのような白い紋様が生まれる。モルモットでも白い部分があるのは、人間に対して温厚な個体を掛け合わせた結果である。
狼とかは交配を続けていくと、尾が上がり、丸まっては犬のようになっていく。
柴犬なんかは狼に最も遺伝子が近いと言われているけれど、もしかしたら、長い歴史の中で人に懐いた狼を交配し続けた結果なのかもしれない。
この辺、論文でどこまで出てきているんかは、最近、図書館に行ってないもんだから分からないんだけれど、これにもひとつの落とし穴がある。
どんどんと白い文様が増え人に対して温厚になる個体と、従来の人間には反抗的な個体を掛け合わせ始めると、三代目あたりには、確実に本来の攻撃性の高い個体へと様変わりするらしいのだ。
つまり、人の手が介入することで家畜は生まれるが、人の手が介入しなければ、自然本来の種別を維持することができるということ。
この温厚な個体をかけあわせていくと、繁栄力が高まるわけである。それは人の手を加えていくと、出産率があがることもあげられるが、個体同士の敵対も減るのかもしれない。
これが私たち人間にも適応するという話になってくるが、単純に、私たちが温厚な同士で交配し続ければ繁栄により人間の個体数が増えるわけである。
そこで、では攻撃的な個体が繁栄する一族に血が混じったとしたならば、そこで繁栄は終わるわけである。少なからず、三代目には終わってしまう。攻撃種というエゴイズム個体になる。
これが自然な姿とも言えるのかもしれないんだが、この攻撃的な個体は、無駄な繁栄や人間の個体数を増やしすぎない抑制として存在しているようにも感じられる。
つまり、攻撃性や敵対性を持つ個体がいなければ、私たちは無限に人間が増えていき、国が抱えきれないほどの人数になる。
国は約一億前後の人数が一番に安定するのだそうな。今、日本の人口は一億を切っている。
増やし続けても国は負担だし、減らし続けても国は負担。つまりはどっちにしたって調節が必要なのである。
攻撃的な人や破壊的な人を私は好きになることはできない。
少なからず、自分を傷つけてくる人を私は好きだとは思えないのだ。
だけれど、破壊には破壊の役割がある。エゴイズムにはエゴイズムの役割がある。破壊者とはエゴイストである。
国がエゴイズムに系統する兆し(自国ファースト)が増えると、戦争が勃発する予兆になる。
そういやレディーファーストのあとには男女における優劣の戦争が勃発しているようにも感じられる。
つまりはエゴイズムが生じるということは『繁栄し過ぎている』のかもしれない。
過ぎたる繁栄は、どこかで抑制がかけられるんじゃないかと思ったんだ。
それが破壊。
領土は広げすぎてはならないし、狭すぎてもならない。
広げすぎるときにはエゴイズムが自国を破壊し、狭すぎれば自国を広げるためにエゴイズムは他国を破壊する。調度良い部分を目指していかねばならない。
人間にも言えることで、破壊はある程度の自分の領域を維持するために必要なものなのだと思われる。
完成したものは破壊される。そうやってお金が回っている。
完成させ続けてしまうなら、そこには破壊が必要なのである。切り捨てていかねばならないというか。
これは、国単位で見た破壊の話。
少なからず、私は創造をしている人だった。
だからこそ、破壊は自らを壊されていくようで痛みが伴った。
それは自分の作品を目の前で破り捨てられ、唾を吐かれているような感覚だった。
でも、創造したならば破壊をしなければならない。人とともに生きるとはそのようなことなのだ。
もし、サイレントというものがあるならば、それは創造したならば破壊せねばならないということなんだと思う。
もしくは真逆側では、何も無いのであれば、創造しなければならないのだとも思う。
誰かと共に生きていくのに、何も無ければ必要なものを取り揃えなければならない創造が必要で、持っているものは破壊して適応する形に組み替えては創造する必要性がある。
大人の私たちは、すでに個人として完成していながらも、誰かと共に生きれるような共存体系のもとに自立しているわけではない。
自立の上に共存があるが、ひとりとして自立しているのと、ふたりとしてふたつが共存を受け入れられるようにして自立しているのとではワケが違う。
破壊は、私たちを自立へ招き入れてくれる。それは共存のための自立である。
私は元々自立している人だった。でも此度は、共存のための自立を求められた時、破壊を迎合し、自らを全破壊することが求められたのである。
それはよりよい自分である姿を維持しながらも、誰かと共に生きることができる自分へのアップデート。
どんどんと白い文様が増え人に対して温厚になる個体と、従来の人間には反抗的な個体を掛け合わせ始めると、三代目あたりには、確実に本来の攻撃性の高い個体へと様変わりするらしいのだ。
神の手が加わり神に育てられた存在は、温厚な個体で繁栄的かもしれない。
理性で育てられた個体。
でも、破壊を受けいれた時、本来の存在へと元に戻る。
従来の人間の姿に戻るのである。
じゃあ神の手とは何か。それは理性であり、ブッディ体だと思われる。
さしずめ、創造と破壊はその下のコーザル体のことかもしれないなと思う。
コーザル体は国家レベルの話だからな。だから国の話でも書いてんのかな。
なんとなく国家のこともわかるのはコーザル体に繋がりつつあるってことだと思う。
昔からミサイル飛ぶとか夢見があったときはコーザル体に繋がってたのかも。
その上にあるのが自然現象だと思う。ブッディ体に繋がってると災害予知になるんかも。
私が美しいと思ったもの。
私の背中に咲いた花のような発疹。
散歩道の桜の木の下に降る雨。
神社で舞い散るイチョウの葉。
姪っ子といっしょにみた桜吹雪。
引用:神へと繋がる美しい心
これがブッディ体の意識に繋がってるってことじゃないかと思われる。