サイレント期間と反抗期についてと覚醒について(適当にばこばこ入れた)
基本的な部分での成長的な発達心理とあんまり変わらない。
ツインレイの期間は『大人』として成り立っていくまでに、大人になり切れなかった部分を大人にしていこうって話。
だから、ツインレイの人たちはアダルトチルドレンとなっていて、大人になって、ようやくツインレイと出会い、ふたりで大人になっていく——というスパンを経験する。
理由だが、ツインレイはツインレイの相手に育て上げられることで『双子』となる。
ツインレイたちはツインレイだからこそ、現実世界でも双子という概念に合わせようとしてくる。双子だからこそ、双子にされる。
だから、ツインレイなんだよねってこと。
ツインレイの相手の親を模すツインレイに育て上げられることで、自分のなかにツインレイの相手が成立する。このツインレイの相手の親に育て上げられることで、自分自身のなかに『双子の概念』が成立するのである。
ツインレイは、ほとんど「子供時代の成長を再び模している」ということになる。そして自分の半分が子供のままの自分を残し、大人と子供の分離をさせ、半分の子供の部分をツインレイの相手に育て上げてもらう。ほら、ツインレイとなりましたってことなんだと思う。
だから、ツインレイの相手に育てられる経験をして、ようやく『ツインレイ』であり、ツインレイの定義とは「相手の親になること」「相手の子供になること」が必須となる。先天的に魂が双子ならば、精神までは双子の領域にまで育てることができるということ。
そして、ツインレイに出会うまでの間に私たちは「大人」にまで到達していなければならない。もう半分は子供として残しているかもしれないけれど、半分が大人だからこそ、ちぐはぐした存在になっているのである。
サイレント期間は、半分の子供として残した部分を大人にしていく経緯である。
ツインレイたちの親殺し経験は片方のみ
ツインレイ男性たちは自信が育っていない。ツインレイ女性たちは社会性が育っていない。
つまり、男性は母殺しをせず、女性は父殺しをしていない。
母殺しをしなければ、いつまでたっても甘えたまま。父殺しをしていなければ、いつまでたっても社会性が育たない。
とはいえ共、ツインレイたちは『片方は甘えたまま』で『片方は社会性の欠落』で出会わなければ、相手を育て合うことは出来ないので、片方が欠落している状態になる。
ツインレイ男性たちは社会性は育っている。しかし、自信がない。
ツインレイ女性たちは自信は育っている。しかし、社会に出られない。
という、謎の意味わからんロジックのなかに陥ってしまう。これはもう『強制的に』獲得ができないような人生になっている。途中であきらめるしかない、もう自信がないのはしかたねえ、もう社会に出られないのはしかたねえ。じゃあ、今、自分にできることをしよう。
ツインレイたちがもし、プラスに働くのであれば「今の自分にできることをする」ことにあったのかなと思う。
自信がないなりの努力と、社会に出られないなりの努力があるということだ。そのなかでも出来ることはあった。
さて、このような状態で出会うツインレイたちは、男性には自信がない。女性は社会性がない状態。
ツインレイ男性は女性に社会性を齎し、ツインレイ女性は男性へ自信をもたらす。
この社会性と自信が、それぞれ、自分自身のなかに成立するとき、ツインレイのサイレント期間は三年以上ってことになる。ひとりの人間が自分のなかに残している未熟さを精神的に『大人』にまで昇らせるまでの時間が早くに終わるだなんてことはない。
ツインレイの相手に与えられるもの
ツインレイのふたりは、子供時代に『愛情』を与え合うことになる。
ツインレイ男性は、ツインレイ女性へ父性を与え、父性のなかから社会性を齎せようとする。
ツインレイ女性は、ツインレイ男性は母性を与え、母性のなかから自信を与えるようになる。
サイレント期間の終わりごろには、ツインレイ女性は社会性を自身のなかに宿らせ、ツインレイ男性は自信を自身のなかに宿らせている状態が目標である。
ツインレイ男性は、サイレントの始まりの時点でツインレイ女性から与えられ続けている自信を供給されなくなる。ツインレイ女性は真逆に社会性を供給されなくなる。
たがいにエネルギーのシェア状態により、自分自身のなかにもたらしているために、お互いがお互いを『自立させている』とは言えない。
与えているから相手は成立しているのである。それは自立しているとは言えない。
サイレント期間の始まりでは、相手に与えられているものがすべて断たれていく。
ツインレイ男性は、ツインレイの別れと分岐点として、自信が失われていく。ツインレイ女性は社会性が失われていく。
サイレント開始時のツインレイたちの決意
ツインレイたちがサイレント開始をしたとき、私たちは私たちのなかで『決意』を固めている。それは大人になること——だ。
相手の自信を受け取って育ち、今度は自立したい気持ちが生まれてくる。
サイレントの開始の時点で私たちは『反抗期』にはいるが、この反抗期で母殺しと父殺しが生まれる。
親を否定するということ。サイレント期間の開始は、必然的にツインレイの相手を殺すことが求められる。まァ、精神的にではあるが。
精神的にツインレイの相手を殺し、また、自分自身も相手を殺していかなければならない。
殺して尚、次にどうするのかといえば、青年期にさしかかり、青年期を終えていく段階で『大人』となっていく。
サイレント期間は青年期とも言える。
サイレント期間が始まる理由は『反抗期に突入して自立しようとしている』のか。それとも『失うことへの恐怖から逃げ出した』のかは、また別の話でもあるみたい。
母親を失うことへの恐怖から逃げ出すツインレイ男性もいるってことだな。
サイレント中のツインレイたち
ツインレイたちは、自信と社会性のどちらかを失ったまま、そのまま再起不能と言うわけではない。
自信を一次的にとはいえども、もらってきたものを今度は再び、その立ち位置に戻ろうとする力がやってくる。
いわば、私たちは欠落している部分があれども『持っていた経験』がなくなったわけではない。
つまり、持っていたものを再び取り戻すことになる。
それは、ツインレイの相手を『自信』または『社会性』の代理品として必要するのではなく、今度は自信と社会性のふたつを持ってツインレイと出会うためにである。
ふたつでひとつではダメなのである。ひとりで自立している段階に差し掛かり、ようやくツインレイたちは双子になれる。
ツインレイたちはふたつに分離して生まれてきてはいるものの、もう既にひとつなのである。そのひとつではあれども、半分がかけている部分を補い合うために生まれてきたわけではない。この地球で「ひとつ」として完成する為にふたりは出会っている。
サイレント中のツインレイたちは、ツインレイの相手がどのように自信を身に着けてきたのか。どのように社会性を身に着けてきたのか——を経験する。相手が持っているものを我が物として身につけようとするのである。
サイレント期間中のツインレイたちは、ツインレイの相手を模し、ツインレイの相手となり、自分のなかに新しい概念を構築していく。
それはツインレイの相手が与えてくれた分だけ与えてもらえる。
そして、ツインレイの相手がどれぐらいの大人だったのか——によって、与えられる。つまり、ツインレイの相手が青年期のままであれば、青年期にまで育て上げることができない。とはいえども、どちらも青年期である。
どれぐらいにまで『大人に成長するのか』によって、ツインレイのサイレント期間は長引くし、ツインレイのサイレント時の精神分離バラバラ事件は激しくなる。
サイレント期間の後半には『大人』に戻っている
最終的に、私たちの残り半分の部分が元々の精神状態にまで戻ると『最初の自分』に戻っている。
つまり、残り半分の成長期間がサイレント期間であり、残り半分が終われば、サイレントは終わる。
最初の自分である自分に立ち戻れることができたら、これで『終わり』となる。再会ね。
お互い、相手の気質を内包して、残り半分を成長させることが出来た。
けっきょく、私たちは見えない部分の異性性は、他者により吸収し、他者により完成させていく——と言える。
でも、自分の等身大以上のものは残り半分を吸収することは出来ない。等身大以上のものを手に入れることは出来ない。
私たち自身の等身大の『自分の大きさぐらいしかツインレイの相手はない』のである。
なんで、ツインレイの相手の霊性が高いと思うのかっていうと、それは自分には見ていない部分がそこには見えているって思うから。
でも、相手からすれば、自分にとっての盲点がそこにある。これがお互いに認識し敢えて対等であり、循環となる。
とはいえ共、その循環の量は人それぞれの精神的な発達によって、発達している分しか発達できない。力量以上は手に入れることができない。
ツインレイ男性にとっての社会性は、ツインレイ女性にとっての家庭力でもある。
ツインレイ女性にとっての自信は、ツインレイ男性にとっての信頼を勝ち取る力でもある。
いわば、男性にとっての社会性も、女性にとっての自信の意味も違うし、前半は「相手のやつをそっくりそのままいただく」しかなかったんだが、自分のなかに内包して、自己のものとして吸収してしまえば、自分のものとして能力を使いこなせれるようになる。
私にとっての社会性が、サイレント前は「社会における人とのコミュニケーション能力」だったとしても、サイレント後には「子育てにおけるコミュニケーション能力」に変換されているって感じ。男性が持つ男性エネルギーと女性が持つ男性エネルギーの意味は違う。
つまり、相手にとっての社会性をそっくりそのまま完コピしても、自分のなかに本当の意味で取り込んでしまえば、自分流に使いこなすことができる男性性エネルギーが成立するということ。
エネルギー上での自立はここにあるかなと思っている。
自分の性別による使いこなせれる性エネルギーと同じ分だけ異性性の性エネルギーを使いこなせれる。
なとりが発達心理が息をするようにわかるのは、元々の性別の性エネルギーによる『みなぎっている謎の自信力』みたいなものと同量ってこと。
とはいえ共、そのためにものすごい勉強は、このサイレント期間にさせていただいた。
ものすげえ勉強した。意味が分からんほどに勉強したし、考えまくった。
私の道は子育てにあって、子育ての為に必要な勉強をツインレイを通してし続けてきたんだなと思う。
そのときに、自分のなかに『回路』が精製された。
簡単に言うと、忘れるかもしれないけれど、知識を勉強した背景は消えない。そこで『一回考えた』ら、そこには回路が生じる。忘れてても、そこには回路があることには違いない。
だから、忘れちゃってもいい。その思考力の本質は残っている。過去は消えない。
一回導き出した数式は、ずっとここに存在している。値を当てはめるだけでいい。値を当てはめればすぐさまに計算ができる。
最終的にこれが『直感』になるとき、私は脳裏に映像とか単語がでてくるっぽい。
直感は、論理性の高さに依存すると思われる。どんだけ論理的に思考を回して勉強し続けたのかによって、最終的に「どの分野の直感を得られるのか」は人それぞれ違うみたい。
私は、サイレント期間中に発達心理を勉強しまくってたから、子育てに関することに対しての直感が使えるっぽい。数式を暗算で叩き出せるのが直感。
もう数式見れば、答えがポッとでてくる。そもそも数式も使わない、値見るだけで正解が分かるみたいなところが直感。
でも与えられた数式は忘れる。暗記は忘れる。自分のなかに根差していないから。
覚醒って新しい風の時代への適応人種のことかな?
単純に、論理性の回路を増やしまくって、自分の分野が確立して自分のなかに根差した。だから、その分野での値をみれば答えがすぐさまに脳裏にポンとでてくる。
数学者が「素数は直感的にわかる」って言うやつと同じだと思われる。
これからIT社会となって、AI時代という。
人がコンピュータに勝てないって話も出てきている。でも、コンピュータに人が勝てるものがある。それが直感。
計算をして結論を出す、これがコンピュータ。時間がかかる。
結論が出て、次に論理がわかる。これが人。早い。
早さで言えば、人のほうが結論を出すのはめちゃくちゃ早い。それが可能なのが人の脳。
そこまでの論理を鍛え上げれば、人はコンピュータ以上の速さと正確性をもたらす存在。
これは論理的思考をし続け、考え続け、勉強し続けた人がたどりつく直感的な境地に近しい。
だからさ。霊能者のなかでも化け物クラスがいるんだけれどね。幽霊が視えるとか、そういうんじゃない。
ただもう「当てる」人たち。彼らのIQはすごい高いよ。賢い。マジ。
先天的に論理性を持って生まれてきている。後天的に鍛えていくこともできる、安定はしないけれど。
で、その先天的な論理性を学ぶことは出来る。これが後天的な帝王学になるけれど、学んだものは学んだものだよね。
数式を教えられて値を代入して答えをだす人と、数式を値から導き出して答えを出す人じゃ雲泥の差がある。
前者は目的がわかってないケースが多いけど、後者は何がしたいのかの目的を理解している。
たとえば、立方体体積の計算式。
縦×横×奥行(x³)
みんな知ってる。でも、これいつ使うの? 私は使ったことないね。生活のなかでいつ体積の計算使うのよ。
面積ならばまだわかる。
縦×横×6
いやでも、これも生活のなかで使ったことないね。立方体自体がレアだよね。最近はマイクラが常に立方体かな。
最近はトートバックのマチの長さが10cmだなって測ったかな。
でも、この体積や面積を必要とするとき、この計算式を自ら導き出す人たちがいる。目的の為に必要だから。
計算式は手段に過ぎない。手段について、色々論争があるけれど、どんな手段を用いても最終的な目的は皆同じ。目的のための答えが欲しい。
どの計算式を使うのかは、みんな違う。
目的は同じなんだけれど、最後に目的すら忘れる人たちも続出している件。
理由は勝敗に飲まれていくから。
勝敗についてよりも『目的を重要視している』ことが大事。
目的の為に数式を求めている。
闇は最後に、目的がすり替わっている。
ツインレイに勝つことへ目的がすり替わり、自分の目的である「ツインレイの再会」を放棄している。
そう。もうどうでもよくなっている。自分の人生が、自分の望みがどうでもいい。そんなことよりもツインレイの相手や周囲のツインレイに勝つためにどうしたらいいのか——ただそれだけを考えている。
目的がわかっているからこそ、回答も出ている。
そこに値はある。目的と値があれば、数式も導き出せる。
だから私は数式を生み出し続けてきた。数式があれば、自分の目的が達成できるから。
多くの人がこの数式を利用して自分と言う値を当てはめる。
それは目的の為だったのに、最後は目的すら忘れてしまった人たちもいたということ。
他人の数式を使ってもいいし、技術が必要ならば技術を求めればいい。
でもそれも目的の為に使っているのであって、それは勝敗の為ではない。
そして、これが覚醒か未覚醒の違いかもしれないって思う。
覚醒している人は、勝敗よりも目的を遂行する。そのために努力をする。
未覚醒の人は、勝敗に溺れて目的を忘れた。勝つために努力をする。
つまり「なんのために生まれてきたのかを忘れた」ってこと。
人に勝つために生まれてきたわけじゃないのに、人に勝とうとして自分の人生を忘れた。
話を最初に戻すけれど、覚醒者はコンピュータに勝つ。
風の時代だからこそ、新しい人種が生まれ始めているって話なんだとも思う。
新しいIT社会への適応人種ってことかな。
風の時代のツインレイは、ものすげえ論理性の先にある直感がある風の時代への適応人種。
ITに勝つる!
で、風の時代に子供時代を過ごす子には「勝敗へのこだわり」に関しての問題をクリアしてあげることが重要なんだと思う。