みんな愛だった。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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こんな結論がでるとは思わなかった。

見えている世界が切り替わった。

みんな愛だった。

みんな、ブログを読みに来てくれていて、それが愛として受け取れた。

頭ではわかっていた。でも、心では受け取れていなかった。

ありがとう┏〇゛

 

色々な関わりがある。

でも、信じるならば、そのなかには愛があった。

ちゃんと循環している愛があった。

あたい、愛されてた。みんなに、社会に。

あたい、信じていた。みんなを。社会を。

ようやく心で愛を受け取れた。

みんな、見守っててくれた。

凄く満たされている( ˇωˇ )

 

すべてが愛なんだ( ˇωˇ )

あなたも、わたしも。

すべてが愛なんだ( ˇωˇ )・・・・・・

すぴりちゅあるばんざい\(°∀°)/

出会いは愛。結果、どのようになろうが、愛なんだな。

そこにある心の交流。

でも、私たちは一方通行しかわからないから、真逆のことなんて理解ができない。

そこは「信じる」部分でしかない。

信じているからこそ、生まれるものなんだろうな。愛の循環は。

愛を受け取るためには、ただただ信じるしかない。信じられないものを信じるしかない。

でも妄想は信じたらいけない。

相手の愛を信じるからこそ、愛が受け取れるというか。愛を信じてなければ愛は受け取れない。

あるって思わないと、そこに愛があったとしてもなかったものになる。

愛は信じてようやく成立している。

相手の弱さを信じれば、返ってくるものは強さなんだな、と思った。優劣によってかえってくる。これがしっぺ返し。

愛はない。この世に愛は無い。信じなければない。

だけれど、人と人とが信じあえたとき、そこに愛が発生する。

ないものが生まれ始める。それは信じたからだ。

 

でも、妄想の愛と、真実の愛は別だよなって思った。

同じに見えるんだよな。

妄想は信じられない弱さにより生まれ、真実は信じられる強さにより生まれる。

真実の愛は、そこにある愛を信じ抜く強さのなかにある。

 

愛に気づくには『信じること』が必要。

でも、気づかなくても、いつもそこには愛がある。だから信じられなくても、そこに愛がある。

だけどさ、信じられない人といっしょにいても、苦しいだけだよ。

苦しくても信じたいのは、愛を信じているからだけど、精神に偏りすぎて現実が疎かになって、ボッコボコになるのは違うよね。

健全なる愛とは、精神的にも肉体的にも『満たされている』ことだと思う。

精神が100%になると、たしかにすべてが愛なんだよな。人間である肉体を放棄すればね。

でも我ら、肉体持った人間だから、現実的部分も満たされていくことも大事なんだよ。

 

すべてが愛だよ。すぴりちゅあるだよ。

でも、現実が伴わないものは、それはただの暴力みたいなものになってしまうよ。これが因縁みたいなもの。

つまり、現実性が伴わないことが『愛とはならない』んだと思う。

だから、愛は現実的であるべきだと思う。

すべてが愛ではない。私たちは人間だからこそ、現実性が伴われているものだけ受け取っていく強さを。

 

真実の愛。

それは金と婚姻届である。

でも、ちょっと待って。

100%の精神的な愛の世界を経験しておいでよ、信じ合えている世界を知っておいでよ。

きっと真実の愛の見え方が変わってくるから。