ブループリントによるホワイトペーパーの破壊、星と共に生きるなとり。
昼寝から起きたらイメージが視えた。
この白い紙はうっすらと黄色味がかっている。そこにとげとげしている感じの場所が虫食いされているようなイメージ。
これを視て「人生設計図が虫食いになってしまった・・・」と感じた。ゾッとした。(速攻、なおさんに相談したぐらいには驚いた。話して落ち着いた、ありがとう( ˇωˇ ))
先ほど「ブループリントってあったよね、だったら、ホワイトプリントもあっていいんじゃないの。」って思って検索した。
あったわ。ホワイトペーパー。
私たちは「宿命」という生まれ持った人生設計と、「運命」という後天的に生み出す人生設計を持っている。
前者がブループリントならば、後者はホワイトペーパーということである。
で、この運命を破壊した可能性がある。身に覚えがある。
地上のツインレイのとき、私は「運命論の否定」をしている。運命論の否定とは「運命っていう言葉で人生から逃げてはいけない。」ってことなんだが、ホワイトペーパーによってブループリントの否定をすることができるのだと思われる。
それを私は地上のツインレイによって実行した。
ホワイトペーパーによって地上のツインレイは生み出された運命ということ。でも私はそれを受け取らなかった。
地上のツインレイによる運命を否定することにより、ホワイトペーパーにより書きだされている運命や望みを徐々に削除していき、最終的には楽園のツインレイという宿命に出会う。
この宿命との出会いは「生まれる前に決めたこと」なのだと思われる。(「面白そう」ってことで彼に決めたのである、覚えているよ。)
ホワイトペーパーには他にも色々と書き込まれているために、その内容をすべて過去にさかのぼり「全削除」した可能性がある。
なおさん曰く、私は占星術上では「そのまま」の人のようで、確かに私も占いの結果を聞く限り、まんま私である。
たぶん、占星術のホロスコープはブループリントのおおまかな人生設計図であって、ホワイトペーパーによる運命を組み込むことによって右にも左にも寄り、ホワイトペーパーの内容を破壊する役割を冥王星が行っているような気がする。
つまり、ホワイトペーパーによって引き寄せたものとか、宿命とは程遠いものなどを手に入れている人たちは、ある一定の周期で宿命の位置へと戻されてしまうということ。
自分のブループリント設計にない内容をホワイトペーパーで引き寄せた場合、その内容はある一定の周期で破壊したり、正しい立ち位置に戻していかないと宿命を放棄しかねなかったりもする。
で、宿命に引き戻されるとき、私たちは「ホワイトペーパーの破壊」を受けるわけなんだけれども、その破壊が苦しかったりもする。
で、なとりの場合、ホワイトペーパーの内容は人生の子供時代のときのみぐらいしか入っていない状態にまで自分で破壊したんじゃないかなと思う。さすがに子供時代については星まわりの影響を受けないと無理なのかも。
それで、自分のホワイトペーパーの運命論をすべて破壊したんじゃないか——と仮説を立てる。
そうしてくると、私の人生は「ブループリントのみ」になる。運命がない、宿命のみの人生。シンプルだなと思う。
これが「使命」なんだろうなと思う。自分の人生をまっすぐに生きること。自分の人生以上に何かを求めず、その場に降ってわいてでてきたものに翻弄されながらウロウロして生きていく。その人生がいかなるものであれども受け入れる。
あ、なとりだなと思った。
ホワイトペーパーは「星の影響」を強く受けるんじゃないかなと思う。だけど、プループリントはなおさんがいうように「星に守られている」状態になるのかもしれない。
星の庇護下で「自分の人生を生み出している」わけであって、星の影響が絶対的に守りに入るようになる。私は私の人生を生きる、この人生をブレさせない! っていう生き方は「星まわりを徹底的に生きる」わけで、そりゃ星の守りを受けるだろうと理解する。
星は星の役割を徹底的になとりへ提供することができるようになる。
でも、この人生をブレさせる、ホワイトペーパーを使うということは「ブループリントをブレさせる可能性」もあるわけで、その可能性があるブッティンブ部分は破壊するしかないし、翻弄するしかないんだと思う。
たとえば、結婚を30歳でする予定を決めてきている場合、この世でホワイトペーパーに25歳で結婚をするにしてしまった場合、30歳以前に一度離婚の経験をする必要性がある。またはブループリントを放棄するので運命という苦しみを受けることになるんじゃないかなと思う。
理由はブループリントの効力が働いて、ホワイトペーパー側からブループリントへ移行させようと力が働くから、これが「苦しみ」に感じられる。
人生の大まかな決め事がブループリントにあるから、それを実行して生きていくのが一番に「自分らしい人生」になるんだと思う。
ツインレイのうち、地上のツインレイは運命論だった。その運命の出会いを果たしたけれども、私はブループリントの生き方をしようとしていたから、地上のツインレイは結ばれなかった。自分の生き方を運命によって再び改ざんしようとは思わんかったんだよな。
このときが過度期だったような気がする。ブループリントへ移行していくトリガー。
そして、楽園のツインレイは宿命だった。この出会いは宿命だったんだと思うよ。でも、ホワイトペーパーの破壊がまずは必要だったんだな~と思った。
宿命を手に入れるには、運命による色々を破壊して、自分に無理がない人生を提供しなければならない。
「星に守られている」「星と共に生きている」ってかっこいいなって思った。
なとり、星に守られているし、星と共に生きている。かっこいい・・・・・・。
でも確かにそんな感じのところある。星は味方だと思う。常に私の人生をバックアップしてくれている。
占星術のなかでも、当たりにくくなるのはホワイトペーパーの影響が強いのかも。そして、星もドぎつい意見いってくるかもしれない。星々はブループリントの味方だから。
じゃあ、ホワイトペーパーの味方は誰なんだろう——。