ツインレイ女性の共依存とツインレイ男性の回避依存が生じるスピリチュアル的な解説

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイ女性が共依存気質で、ツインレイ男性が回避依存気質のケースが多いようなんですが、真逆もあるようで。ツインレイ女性が回避依存でツインレイ男性が共依存となっていることもある。

私たちの親に対しての愛着により形成された問題により表出することで、特に運命的な何かはないが、大本を辿れば、時代的な背景は伺える。

多くの母親が子供への干渉が強くなりすぎる主婦という状態だったのがバブル期の親世代。

男性は子供への干渉が少ないブラック企業時代とも言える。休みなく働いていた。

その世代に多くの私たちが持つ性質が危ぶまれた状態にもなったってことだな。

男性の回避依存は父親と同化。

女性の回避依存は母親を否定。

男性の共依存は父親を否定。

女性の共依存は母親と同化。

私たちの人生のなかで構築される夫婦関係とは、親の関係性を常に模している、または真逆を表現するようになっている。

その親がどのような親なのか——により、ツインレイの回避依存と共依存の構成を持つのかが変わってくる。

 

ツインレイとは時代の流れのなかに生じるねじ曲がった認識を正常化させていく役割を持っているのかもしれない。

そのひとつに多くが恋愛依存となり、なぜか恋愛が上手くいかずに結婚に至れない状態の精神があるように思う。

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ツインレイが回避依存と共依存である理由

回避依存は『心を差し出す』気質があり、共依存は『心を受け取る』気質がある。

同じように、回避依存は本心と向き合えない、共依存は向き合いすぎるとも言える。

 

ツインレイの男女は、お互いの人生経験を交換することになる。この人生経験の交換のためには『心の奪い合い』が必要なのである。

そのとき、共依存気質は相手の心を受け取ることができ、回避依存気質は相手へ心を差し出すことができる。

最終的に共依存側が回避依存の気質を内包することにより『心を差し出す』ことができるようになり、回避依存側は共依存の気質により『心をうけとる』ことが出来るようにもなる。

共依存側は回避依存側の心が理解できるようになるし、回避依存が自分の心を防衛するたびに傷つくようになる。

まァこれは悪い事例でもあるが――。

 

ツインレイたちは、心を循環させていくために、回避依存と共依存の気質によるカップリングが生じるが、それゆえに、現実的には男性性と女性性の偏りを持ったカップルともなりえるだろう。

性別と回避依存と共依存

私たちの精神構造の中には『両親』が存在している。その両親により学んだ愛の構成を、そっくりそのまま夫婦や恋愛関係により表現するようになる。

私たちの精神構造には「アニマとアニムス」という意識が存在している。

男性原理と女性原理である。

私たちはその性別を存在を否定したり、肯定したり、善悪で分けてみたりなどを繰り返しているわけなんだが、そっくりそのまま、根底にあるのは両親の姿である。

そして、両親の仲がどのようなものだったのか——が重要である。

父と母の関係性が共依存と回避依存のカップルの親元に生まれてきているツインレイカップルが多いような気がしている。

自身の親を否定することにより、回避依存。自身の親を肯定することにより、共依存となってしまう。

 

さて、この回避依存と共依存だが、ここに病的な問題として捉えられる唯一の問題は「人生的に困るから」である。

つまり、別に人生のなかで回避依存と共依存だろうが、困っていなければ特に問題視はされない。しかし問題視されている理由は、当人の恋愛や結婚に差支えが生じ、当人たちにとっては深刻な問題なのである。

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ツインレイ男性(アニムス)と回避依存

ツインレイ男性たちは『自立』をモットーにしているように感じられる。多くの回避依存者が求めているのは『自由』である。自由とは何か——といえば、束縛のなかにしか自由は存在していないわけなんだが、ツインレイ男性は束縛対象から自立することで自由を手に入れることになる。

いわゆる、健全な青年期に入れば、私たちは必ず親元から自立していくことになる。しかし、この自立が健全でない場合がある。

もし、健全でない自立である場合、有無を言わさずツインレイ男性たちは実家に引き戻されていくことになる。けっきょく、終わっていない課題のひとつになっているからだ。

この回避依存は『自立』を持っている為、彼らはとても自立的ともいえる。反面、とてつもなく束縛に弱いとも言える。

自由を得るために自立しているからだ。

これは女性性たる『束縛』を垣間見るとき、ツインレイ男性は逃げ出してしまうのである。もしそれが束縛ではなかったとしても、束縛された経験により勝手に束縛されているということだ。(幻想に縛られると、どうしようもないわけである。)

ツインレイ女性(アニマ)と共依存

ツインレイ男性は自立を求めて男性性を高めてきている。

ツインレイ女性は束縛を持ってツインレイ男性をこの場に収めておこうとする意識が働く。それは、ツインレイ女性の持つ気質が「共存」にあり、またこれはひとつの側面性からすれば『束縛』に値する。

ツインレイ女性たちにとって、ツインレイ男性は「共存したい相手」なはずなんだが、「共存しようとすればするほど逃げ出す」わけである。また、その共存もまた「相手を縛り付け、自分の視える場所に置いておきたい」という気質もある。

共存とは自立した個の存在により成立する。そのためにツインレイ女性たちは『個として自立すること』を求められている。

 

ちなみになとりは「自立したくないヾ(:3ノシヾ)ノ」とかしているけど、普通に自立の道を今突き進んでいる。

ひとりでご飯を食べる、ひとりで出かける。ひとりで何かをするなどだ。本来は出来ていたんだが、ココ最近まったく出来ていなかった。

ひとりで出かけてみると「母が死ぬんじゃないか」っていう不安が込み上げてくることもあって、こりゃ見捨てられ不安の子供時代の感情なんだろうと解釈。

根源には幼少期の母親を追いかける時期に、母が居ない経験から見捨てられ不安から共依存気質が成立しているらしく、この時期の親とのかくれんぼには意味があるんだろうなと思った。

とりあえず、感情の解消へ向かわせようと思う。

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ツインレイの男女における『共存』と『自立』

ツインレイ女性は『自立できない(ニート)』わけで、ツインレイ男性は『共存できない(孤独)』わけである

理由は、自分自身のなかに存在しているアニマ・アニムスの構造が束縛と自由に存在しているためにある。

束縛することで共存をしようとするツインレイ女性と、自由になること(逃げだす)で自立をしようとするツインレイ男性のカップリングは最悪だとは思えるが、これは私たちが持つ私たちのなかに存在する男性性と女性性の構造が『束縛と自由』により構成されているせいである。

傍ら、こんな問題など出さずに世間では「自立と共存」が出来ている人たちもいる。

そんな人たちと「束縛と自由」として精神構造を構築しているツインレイたちの違いは何か——というと、自身の持つ性別に対しての嫌悪である。

共依存してしまうツインレイ女性は、自身のなかに存在する男性性を否定している。これは男性を女性だと思っている。

ゆえにツインレイ男性は『回避』しようとする。ツインレイ女性による束縛が生まれる。

 

回避依存してしまうツインレイ男性は、自身のなかに存在する女性性を否定している。依存することよりも自立を望み、ひとりで生きようとする。

ゆえにツインレイ女性は『束縛』しようとする。逃げ出すから。

けっきょく、自身のなかに存在している精神構造がそっくりそのままツインレイの関係性を模しているともいえる。

 

これは究極なる男性性と、究極なる女性性の構築とも言える。マイナスの性別でもあるが。

究極なる男性性は、女性性を否定し、自身の性別を肯定し、全力で回避依存をし続ける人たちのほどんどがワーカホリックである。

究極なる女性性は、男性性を否定し、自身の性別を肯定し、全力で共依存をし続ける人たちはニートというか、仕事をしない人たちともなっていくし、誰かと共にでなければ『何か』をすることはない。

どちらも、自分のなかに存在する異性を否定することにより、自分の性別を高めていくことが出来る利点も存在している。

 

そして、この性別の思想はツインレイたちのなかに存在する善悪二元論により生じる性別とも言える。

着眼するべきは、親に対してどのように感じているのか――だ。

ツインレイ女性が自立し、ツインレイ男性が共存するとき

ツインレイたちは最終的に共依存と回避依存を克服していくことになるだろう。(だろう)

これらは、私たちのなかに存在する異性性を肯定することでツインレイ女性は自立し、ツインレイ男性は共存していくことになる。

このとき、ツインレイの男女は『共依存と回避依存を克服すること』になるだろう。

また、その余波は感じられている。

ツインレイ女性は仕事の興味があり、ツインレイ男性はコミュニティに興味がある。このときに上手くいかない理由は自分の無意識下に存在する異性性への否定である。

ツインレイ男性による自立をツインレイ女性が内包し、ツインレイ女性による共存をツインレイ男性が内包する。

この経緯は、ツインレイのサイレント期間により行われている。

地上のツインレイの依存と楽園のツインレイの依存の違い

地上のツインレイによる依存の経験は、表面意識による依存状態となる。ゆえに、地上のツインレイの関係性は、回避依存の中でも現実的な部分での関係性にでてきやすい。

たとえば、地上のツインレイの場合、出会いがしらに体の関係を持つことから始まる。一気に関係性を構築し、近づいたところでふたりの関係性は破壊されていくことになる。

サイレント期間では、地上のツインレイとは「離れた」と思うと「近づく」を繰り返す。

地上のツインレイたちのうち、回避依存側が「傷ついた」と思った途端(嫌われたんじゃないかと思った途端)に音信不通や連絡がこないなどのことが起きることになる。

そうすると共依存側は追いかけてすがりつく。

地上のツインレイでの課題は『私たちの意識による依存を終わらせていくこと』である。

つまり「地上のツインレイの相手と『切る』」ことにあるわけなんだが、私たちは共依存気質と回避依存気質を抱えているが為に、なかなか別れることができない。

いわば、これがランナー&チェイサーと呼ばれている所以にあるが、けっきょくのところ、ふたりの関係性は『依存』にある。

途中で、ツインレイ男性側がほかの女性とお付き合いをし、また、戻ってくる経緯も、なんとも回避依存っぽい雰囲気のように感じられる。

ふたりの関係性は常に追いかけっこの運命を抜け出すことはない。

最終的にツインレイの再会を迎えたとしても、常に追いかけっこの運命にある。

理由は「表面的な部分を解決した」からといって「本質的な部分を解決した」にはならないためにある。

地上のツインレイの関係性は『意識により生じる』ことになっている。そして、その意識ではない無意識レベルでの解決は楽園のツインレイで行うことになるため、地上のツインレイの意識により生じる問題は、最終的には無意識により生じる問題へと移行し、無意識により生じる依存状態へ切り替わったところで離別を迎える。

意識上での問題は解決されたためにある。それが「破局」なわけだが、回避依存側は常に「振ることを回避する」ので、共依存側は「自力で共依存を解く」必要性もある。

そのために必要なことは『事実を見極めること』のように思っている。

たいてい共依存側は「相手の気持ちを知りたい」のであり、「相手の思う通りにしてあげたい」他人軸なんだが、共依存が突き抜けると、回避依存が関わりたくないと思っている心を汲み取り、相手の思う通りの関係である『関わらない』を選択するようにある。

それが事実だからである。

また、地上のツインレイは自然消滅を好み、話し合いに乗らない、関係性を終わらせることができない回避がある。

共依存側は相手を忘れられない理由は『別れが明確にない』からである。

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楽園のツインレイによる無意識上の依存

楽園のツインレイの関係性は『無意識』により生じる。楽園のツインレイの段階へ差し掛かっているツインレイたちは、意識による問題を解決している人たちだけでもある。

つまり、意識的に地上のツインレイとの関係性を諦める方向へ向かわせ、依存関係を断つことが出来ることが重要にある。(地上のツインレイの経験が終われば恋愛依存はなくなる為、恋愛依存がないときに楽園のツインレイは出会う。)

楽園のツインレイの関係性は「相手が持つ無意識の異性性を吸収すること」にもあるため、楽園のツインレイが持つ無意識による経験を私たち自身の中へトレースしていく経緯が存在している。

ツインレイの相手へ、何をしても許す。何をしても愛する。この経緯はツインレイ独特の「究極の愛の体現」でもあるように思う。ひらたくすると、すべてにおいて相手の心を受け入れる姿勢のことである。

愛するとはいかなる心をも受け取る経緯にある為、私たちはツインレイの相手がなぜ回避依存になったのか、なぜ共依存になったのか。その経緯のすべてをサイレント期間で経験することになる。

また、克服を迫られる。

その経験のなかで、楽園のツインレイによる『負のツインレイの意識』を内包していく経緯もある(つまり、ツインレイを愛していた理由は嫌な部分があるからであり、嫌なぶ分は依存の部分にある。)。

負のツインレイの意識のなかに依存が存在し、また、私たちツインレイは、ツインレイの相手が持つ回避依存・共依存を自分のなかで成立させていくことになる。

サイレント期間では、ツインレイ女性は回避依存(自分の本心に向き合えずに逃避する)、ツインレイ男性は共依存(誰かがいないと生きていけない)みたいな状態になっているのではないかと考えている。

しかし、ツインレイ女性は元々共依存であるため、逃避した本心を受け入れることにあり、ツインレイ男性は元々回避依存であるため、本心から目を背ける経緯から本心を受け入れることになる。

つまり、ツインレイ女性が本心を受け入れればツインレイ男性も本心を受け入れることになる。エネルギーの方向性が違うだけなんじゃないかと思っている。

どっちにしたって向き合うことは余儀なくされている。

ツインレイの回避依存と共依存の結婚はどうなる?

回避依存している側は、恋愛中は共依存のほうが辛い。
だけど、結婚するとなれば回避依存のほうが辛いことになる。結婚は束縛であり、共依存者との結婚はプライベートの侵入を常にされ続けることにある。

ツインレイによる結婚を目指す人が多いと思うんだが、共依存が女性に多いことからツインレイの出会いから再会まで苦しむのがツインレイ女性で、結婚後に苦しむのがツインレイ男性とも言える。

んで、この苦しみをツインレイ男性に与えたいのか——ということを考えたとき、私は誰かを犠牲にしてまでしあわせになりたいとか、そこまでして結婚がしたいとか。そういう考えはなかったゆえに、私は第二サイレント期間を迎えたという感じだ。

 

第一サイレント期間では『回避依存と共依存の関係性』で、このふたつの関係性が成立し、次に結婚をそのまま進めることもできる。が、このとき、回避依存側のツインレイ男性が苦しむことが分かっていて結婚したいと思うのは、それはエゴのように思う。(そこに愛はあるのか?ってことだ。)

このエゴが働いたとき、第二サイレント期間の長さは短く終わるように感じられる。

第二サイレント期間が長いのは、相手の気質を内包するのに時間がかかるゆえに思う。この期間にツインレイ男性の精神を構造する回避依存を内包し、回避依存を共依存により直し、愛着の問題を解決する必要性がある。そりゃ時間かかる罠。

 

ツインレイ女性への愛への降伏として、サレンダーと呼ばれているものがある。この降伏は、私たちが持つ本心と向き合う経緯のように思う。

また、夢のなかで「連絡してもいいのか悩んでいる」と去年に得られた直感があったように思うが、回避依存の人にとって、逃げた事実に対し、相手が再び受け入れてもらえるかどうかも悩ましいことにあるんだろう。

もし、そこに本当に愛があったならば、再びの連絡は長く時間がかかるように思う。だけどそこに愛がないのであれば、再びの連絡は都度あるだろう。

回避依存の人にとって傷つく覚悟ほど難しいものはないように思う。

少なからず、私の強さは『人を傷つける覚悟』『自分が傷つく覚悟』のうえに存在している。傷つ合うことが怖くて人間関係はやってられねえからだ。

共依存の人にとってツインレイの相手がいないことを受け入れる覚悟ほど難しいものはないのかもしれない。

ひとりで生きる覚悟を決めていくことは、私たちにとっての究極の選択のように思う。

だけど、これはツインレイの彼が持つ強さでもあるように思うから、それを受け取っていくことが大事なのだと思う。

 

相手が持つ気質を愛せよ。私たちの道はここにある。