神と人による聖なる結婚とツインレイ女性(ギリシア神話のエロスとプシュケーの結婚)
ギリシア神話のなかで神と人が結婚したことも度々あり、私たちの精神のなかに存在する『神の意識』と『人の意識』が結合する聖婚が描かれていることが多い。
そのなかでも、エロスとプシュケーの結婚はツインレイが持つ神の意識と人の意識による婚姻によく似ているのではないか——と感じられた。
ので、こちらのエロスとプシュケーによる人と神による結婚についてを記事にしたいと思う。
前置きとして、私たちの精神構造における体現が現実に起こり、ツインレイの期間ではダイレクトに自らのなかに存在している葛藤などが大きく表現されている。
ギリシア神話の多くの登場人物なども、私たちの精神のなかに存在している住人である。
ツインレイたちが行っている錬金術では、最初は『両性具有』を成立させ、次に『聖婚』を成立させていくが、その経緯で自らのなかに存在する『人と神の結婚』『神と神の結婚』『人と人の結婚』といういくつもの結婚が存在している。
いわゆる、私たちの精神構造で行っている結婚とは、自分のなかに存在する異種なる相容れない存在が結合することにより、より一層私たちの世界を広くさせるようなメカニズムなのである。
そのなかでも、エロスとプシュケーによる結婚は、人と神の結婚のなかでも、人を神格化させた後に結婚することになる。
プシュケーの名前の意味は『霊魂』『蝶』である。
エロスとプシュケーの物語と推察
プシュケーは人である。エロスは神である。
プシュケーは王と王妃の元に生まれためちゃくちゃ美人だったもんだから、ビーナスがその美に嫉妬するようになった。
このときの美とは心の美として定義しようと思う。いわば『美しい人が持つ女性性』である。その美しい女性性を神の女性性の象徴であるビーナスが嫉妬をしたわけである。
つまり、神が人に嫉妬をしたという構図だが、神が人の持つ女性性を認めるわけにはいかない。『神には神の女性性』と『人が持つ女性性』の対立を表しているわけである。
このふたつが自らのなかで葛藤を起こす状態が、プシュケーとビーナスの対立にある。
ビーナスの息子であるエロスは、ビーナスに『復讐』を頼まれ、プシュケーの寝所に忍び込む。
そのとき、プシュケーの寝顔に見惚れてしまい「黄金の矢(恋に落ちる)」で間違えて自分自身を傷つけてしまい、エロスはプシュケーへ恋に落ちることになる。
エロスはプシュケーが好きなもんだから、それ以外にやってくる縁談の相手を「鉛の矢(拒絶する)」で追いやることになる。
エロスは私たちのなかに存在する『恋心』なわけだが、好きな人以外を拒絶してしまう人の心理が描かれているかと思う。
プシュケーの両親は一向に縁談先が決まらないので、アポロンのもとへ神託をもらいに向かった。
神託は、王に対して「いかなる人間の義理の息子を期待してはならない」と告げました。その代わりに花婿となるのは炎と鉄の爪で世界を苦しめるドラゴンのような生き物であり、全知全能の神ゼウスですら恐れさせる存在であると述べたのです。引用:エロスとプシュケーの愛の物語
とにもかくにも、プシュケーは山へ花嫁として見知らぬ怪物のもとへ嫁がされることになる。神託は絶対だからだ。
すると、西風のゼピュロスに連れられて豪華な新居に住まうことになった。ここでようやく『プシュケーとエロスの結婚』が成立し、ふたりは神と人の結婚を果たすことになる。
だけど、エロスは決して自分の姿を明かさなかった。夜にプシュケーのもとへ行き、目覚める前には帰っていく。これがエロスとプシュケーの結婚であり、いわゆる『夜の欲求』であり、夜以外は特になにもしないよっていうカタチに着地するのではないかと思う。
まもなくしてプシュケーは妊娠をすることになる。
ある日、プシュケーの姉妹の姉ふたりがやってきて「プシュケーの夫は怪物だ。」と言い始める。殺さねばならないと言い始め、真に受けたプシュケーも真夜中にオイルランプと担当を手に取ってエロスの顔を見ようとする。
すると、そこにはめちゃくちゃ奇麗な男の人であるエロスいて、プシュケーもびっくりしてしまう。そのとき、プシュケーはオイルランプの油をエロスに垂らしてしまい、起こしてしまうことになる。
エロスは姿を見られてしまったがゆえに逃げ出すが「愛と疑いはいっしょにはいられない」という言葉を残して去る。
プシュケーは人だからこそ『隠れている部分を疑う』のであり、神であるエロスは『疑われたらいっしょにいられない』わけである。
このとき、プシュケーとエロスは『人としての女性性による恋=疑い』を受け取るエロスは愛は離別として判断をしている。
また、その疑いは人の心に住まうささやき声なのだろう。
プシュケーはこのときはじめて『恋』をする。しかし、夫であるエロスはすでにここにはいないのである。
人は疑いを晴らした後に恋を覚える。神は疑われ確認されることで恋を失うのである。いわば、恋を軸としてふたりの関係性は決別をしているのである。
人が恋を覚えるとき、神は恋を失う。神が恋をするとき、人は恋をしていないのである。
プシュケーは、恋を覚えたことにより、ビーナスのもとへ向かう。ビーナスはもともとプシュケーへの憎しみがある。
激しい折檻をうけるプシュケーだが、ビーナスはエロスに会わせない。
人の意識では『悪いことをした』わけで、それにより『自罰意識』が芽生えるわけである。神である女性性は人である女性性を否定する構図だ。
そして、ビーナスはそれでもエロスに合わせることがないため、三つの試練を与えることになる。
- 神殿の大量の穀物を分類する
- 危険なところにいる未の羊毛を集める
- 冥界にいって美の秘薬をもらってくる
である。このうちの最初の二つは、バックボーンに存在しているエロスが手助けをし、なんとか終わらせることができる。
大量の物事を分別する能力を神による男性性により得て、待つ力も男性性にて乗り越えることができると言うことだ。
私たちのなかに存在する神の男性性が『女性性の神と人の橋渡し』を行うと言う構造でもありながら、神の男性性は人の女性性を強固たる存在へと昇華させていくのである。
最後の最後に存在する『冥界にいって美の秘薬をもらってくる』という問題では、死ななければ冥界に行けないので絶望するプシュケー。ついに死のうとすると、エロスが死なずとも冥界に行ける方法を教えてくれることになる。
プシュケーはこの段階で『無意識の自分』との繋がり方を神の男性性に学ぶと言うこと。つまり、ヘルメスの秘儀を受けることで冥界へむかうことになる。
ヘルメスとは『天』と『地』、『冥界』を渡り歩く存在であり、ヘルメスの持っている杖・カドゥケウスがあれば行き来できるのだと思われる。
カドゥケウスにまつわる超越的な力は、対立物(天と地・太陽と月・男性と女性・硫黄と水銀など)を統合して、完全性(を象徴する黄金)を作るとされる引用:ケーリュケイオン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
男性性であるエロスは、人の女性性であるプシュケーに『二元性を統合する』『錬金術』を教える役割が存在している。(これがツインレイの肝になってくる)
これが出来れば、とりあえずは冥界へも向かうことができるということだ。
そして、プシュケーは冥界で『美の秘法』を手に入れることになる。
が、ここで開けちゃだめだよってのに開けてしまう話が入ってくる。
冥界にいるペルセフォネ―は箱の中に『眠り』を入れて「絶対には開けてはならない」といって渡すことになるが、プシュケーは自分の姿が随分と老け込んでしまったことに気が付く。
こんな姿じゃエロスにあえても——と、自分の歳にコンプレックスを抱く。だからこそ、美の秘法である箱を開けてしまうのである。
エロスはそのとき、ビーナスへ許しを請い、プシュケーはエロスのキスにより目が覚めることになる。
そして箱をビーナスのもとへ届けるのである。
次にゼウスのもとへ向かい、プシュケーとエロスの結婚に協力を求めると、ゼウスはプシュケーへ『不老不死の霊薬』を与えることになる。
二人は対等になることで、晴れて神として結婚をすることになる。
そして、ふたりの間には『若さ』と『喜び』というふたりの子供が生まれることになる。
神の意識がふたつ結びつくことにより、若さと喜びというふたつが約束されると言うことだ。
プシュケーとエロスのふたりの結婚の経緯についてなかなか面白いツインレイとの関連性を見つけ出すことができる。
エロスとプシュケーの絵である。プシュケーは蝶の羽を持っている——。
ストーリーから分かる精神構造
ビーナスとプシュケーは、女性性としての対立を起こすが、エロスにより橋渡しが成立していく。
その過程では、プシュケーにいくつかの課題を出すビーナスにより、プシュケーはエロスの気質を吸収しているようにも感じられる。
- 物事を的確に判断する能力
- 適切な時間まで待つ能力
- 二元性を統合させる能力
この能力自体を男性性が持っており、ツインレイ男性とツインレイ女性が出会うことにより、ツインレイ女性が身に着けることができるようになる能力である。
また、反面として『情報を集める』ようなことや存在集めのようなことは女性性が得意とする分野なのかもしれない。
最終的には『冥界に行く方法』についても、エロスは手助けをすることになる。ヘルメスとは太陽の神でもあるが、同時に神託の神もである。
持っているカドゥケウスもどこへでも行ける杖でもあるため、ツインレイ男性がツインレイ女性へ与えるものも『どこへでも行ける力』だったりするのかもしれない。
また、このカドゥケウスは『二元性の統合象徴』でもあるため、二元性へと昇華していく必要性がある。
しかし、美のビーナスも欲しがった『美の秘法』。ビーナス自身も美の秘法はもっていないということだ。中身は『眠り』であり、プシュケーのキスにより目覚めるとあるが、ほかにもいろいろな記述が存在している為、どれが正解なのかもよくわからない。
が、とりあえず、プシュケーは眠りについてしまうのである。それは『外見に対して欲を張るから』でもあるように感じられるが、ビーナスの神の力を得るために必要なものは『美の秘法』ではないことは明らかである。
ここから、ビーナスとプシュケーを結びつけるものが『ビーナスに与えられたもの』では何一つないということ。
最終的にはゼウスのもとへ不老不死の霊薬をもらうことになる。
この構造から、プシュケーが神格化するにはいくつかの条件が必要だということがわかる。
これがツインレイ女性にとって覚醒に必要なものである。
- 自分自身が持っている美しい女性性
- エロスから与えられる男性性
- ゼウスから与えられる不老不死
- ヘリオスからの秘儀・対立物の統合
ビーナスからは『美』を与えられはしない。この男性性と女性性の結合により必要なものは『神による女性性』により与えられるのではないということだ。
また、ふたりの男女の結合(結婚)は『神である女性性』と『神である男性性』にある。
当初は、人と神という関係性にあるが、最終的にはエロスがプシュケーを人から神に格上げすることにより、ふたりは対等なる関係性を持つことができるという算段にある。
ツインレイのストーリーと神話の流れ
ツインレイの段階を、エロスとプシュケーの神話の流れは、ツインレイ女性側からみた『ツインレイの段階』を追っている。
出会いそのものは『みえない関係性』にあり、ツインレイ男性側がまずは恋に落ち、ツインレイ女性を囲い込むことになる。
ツインレイ女性はだんだんとツインレイ男性に対して『疑い』を持つようになるが、最後の最後に『相手の本性』を見てしまうことになる。その本性に触れたとき、ツインレイ男性は『疑われたことにより離れる』ことになるが、ツインレイ女性は『疑った結果、相手を知り、好きになる』というふたりのサイレント期間が始まっていく。
サイレント期間で望まれていることは、ツインレイ女性が『神の資格』を得ることにより、ふたりが『対等』に立つことで結婚が成立するまで走り切ることだ。
ツインレイ女性は、ツインレイ男性を追いかける(チェイサー)し、ツインレイ男性を追いかけることにより、ツインレイ女性は男性性を習得していくことになる。
その過程で、冥界へ向かうことなどが望まれる経緯も存在しているが、これは『二元性』を手に入れ、本来ならば対立しあうものを対立しあわないような構造へ組み替える手段をとっていくことにも繋がっていく。
最終的には『不老不死』とされているが、この概念そのものが『賢者の石』と同様の解釈でもあり、また神とは『死』そのものの概念が存在しないことにある。いわば『霊体そのもの』を自覚することにより、私たちは肉体による死を『死』とは捉えなくなる経緯についてを表している。
そして、ツインレイのふたりが結ばれることにより『喜び』と『若さ』を手に入れる。
反面『美の秘薬』を手に入れることはない。美そのものは主観的であり、また時代が変われば流動的に変わる概念にある。
この神話は自らのなかに存在するツインレイ女性の精神の成長過程にある。
同時に、私たちがツインレイのステージとして認識することになる現象にも当てはまる。そして、この過程を『蝶』に喩えたのである。
プシュケーと結婚した『恋』
プシュケーは『炎と鉄の爪で世界を苦しめるドラゴンのような生き物であり、全知全能の神ゼウスですら恐れさせる存在である』となる存在と結婚することになった。
プシュケーが結婚をしたのは『恋』である。
たしかにゼウスといえども恋には太刀打ちできないし、とても恐ろしいものである。
また、ツインレイ男性は自らで自らを恋に落とした——というのも、そのツインレイ女性が持つ純情さなのだろう。
ツインレイ女性は純情であるとき、ツインレイ男性はその純情なる美しさに恋をすることになる。
最終的には『永遠の恋』にいたるのがツインレイの愛なのかもしれない。
エロスの絵(キューピッド)はときおり、子供の絵で描かれているように無邪気な特徴も忘れてはならない。私たちは童心を持って交わっている。