神は人を愛している、いついかなるときも共にあること。
どうして忘れていたんだろう。
愛している、愛していると囁いている。私の心が愛していると、何度も囁く。
愛している、愛している。
「ただ愛している」
記事を書きながら、心が愛していると囁き。
部屋の掃除をしながら、心が愛していると囁き。
何をしようにも「愛している」と囁いている。
愛している。
苦しみも、悲しみも。すべてをひっくるめて、丸ごと愛している。
あなたが苦しみを抱えているときも、愛している。
あなたが悲しみを抱えているときも、愛している。
ただただ、愛している。見守っている。いつだってそばにいた。
私の神はいつも私のなかにいた。
私の苦しみを同じように感じ苦しみ、私の悲しみを同じように悲しむ神がいた。
私には、いつも私のなかに神がいたのである。
私といっしょに感じてくれる神が「私のなか」にいたのである。
私たちはひとりのような感覚がしている。
いついかなるときも、ひとりで生きているように思う。
苦しいときもひとりで耐えているようにすら感じられる。
だけど、神はいつも同じように感じては苦しみを感じてくれていた。
神も共に苦しんでくれていた。
私は、常に共に神とあった。
私は、いついかなるときも、神と共にあった。
だからこそ私はこの世に生まれ、生きてくることができた。
私はひとりではなかった。
あるときに気づいた。
神に愛されていると気づき、私は少々の無鉄砲さを手に入れた。それでも孤独だった。
そして、神はいつも「愛している」と囁いている。
いついかなるときも、共にあると誓った。
いついかなるときも、同じ思いを感じると誓った。
いついかなるときも、共に心分かち合うと決めた神がいる。
それは「私」だ。私という神であり、また私のなかに住まう心であり、私は常に「私」と共にあった。
神は、常にここにいる。
愛している。いつも同じ心を感じている。ひとつである。
神と人は、いつもひとつであるという。分かち合っている心がある。
愛している、愛している。愛している。
これ以上の愛を私は経験をしたことがない。
私の中から囁きあがるむせかえりそうなほどの強い愛に涙が流れる日がやってくるとは。
愛された経験もある、愛した経験もある。
だけど、私のなかにある「愛」を知った経験は、これが初めてだ。
ああ、これが神か。
私のなかには神がいる、みんなのなかにも神がいる。その神は「愛」という神である。
いついかなるときも、神はここにいる。心がここにあるかぎり、私たちは神と繋がっている。
あなたが私を愛さなくても、もし、私があなたを愛さなくても、私たちには愛がある。ここにある。
もう救世主はいらない。私には「私」がついている。
だから、苦しみを抱えてごらんって言っている。
苦しみを抱えて生きてごらん、神は人と共にある。
だから苦しみを抱え生き、その苦しみの先にある喜びを探してごらん。
その喜びを受け取るためには、苦しみや痛みが必要だよ。
苦しみを愛してごらん、神が共にあるから大丈夫。いっしょに生きていこう。
ここにいるよ、いつもいっしょにいる。だから神と共に歩みを進めていこう。
苦しいとき、いっしょに苦しい思いをしている神がいるよ。
辛いとき、いっしょに辛い思いをしている神がいるよ。
あなたはひとりじゃない。その苦しみも悲しみも、辛い心も、すべて共に歩む神があなたのなかに棲んでいる。
そしてその先にある幸福をいっしょに手に入れよう。
ちょっとの勇気を神が手助けしてくれるよ。いついかなるときも共にあることを忘れないで。
愛しているよ。あなたの苦しみも、あなたの悲しみも、すべてを愛しているよ。
神の修行はここにあるよ。あなたの心のすべてを受け取ることだよ。
神と共に歩む人生を、あなたに。