言葉や単語だけの理解に偏って、今。
私たちは生まれ、先ず言葉を覚え、次に文章を学んでいるように思う。
それは英語を勉強する過程でも同じように、まずは言葉、そして文章となる文法を学んでいく経緯を経ていく。
この多くは検索にも使われている。
たとえば、私は自分の書いたnoteがGoogleの検索順位が何位なのかを知るために、『ツインレイ 再会 前兆』という単語で検索をかけることになる。
つまり、私たちは何を知るにもまずは単語が重要なのである。
単語を知らねば、検索をかけることができないし、何を知りたいのかも理解することができない。
だから私たちは先ず単語をひとつひとつ説明する必要性がある。
しかし、本当に理解するためには『単語を理解する』のみならず、『文章を理解する』必要性がある。
単語を理解しようと努めてみたとしても、文章を理解することができなければ、的を外してしまう。
ツインレイ情報の多くは『単語的な理解』となっており、文脈が抜け落ち、多くの情報の欠落が生まれている。
いわば、単語を理解するとはヨチヨチあるきの赤ちゃんがしている学習のことであり、大人だと自身を思うのであれば、文章として理解する必要がある。
夢占い、日月神示なども同じである。
まず、そのものが『なにを意味しているのか』の全体像の流れを理解した後に単語の意味合いを理解せねばならない。
つじつま性を持たせ、ようやく人は単語のみならず、すべてを理解することができる。
夢は内容がごちゃごちゃになっていることが多く、ひとつひとつの繋がりが絶たれているように感じられるかもしれない。
しかし、すべての流れは正しく整頓されており、単語的な意味をその後に理解することが出来れば夢占いは成立するのである。
夢は文章という流れを掴むことが出来れば単語の意味合いも右か左かの判断ができるようになる。
真実は特に文章のなかにある。しかし、私たちは無闇に単語を説明し続けていたように思う。
拍車をかけたネットの検索は、ライターの創造性と発展性を失わせ、単語のみの理解という幼児性へと縛り付けた。
ツインレイにも同じように言えることである。
私たちは多くのツインレイの単語で検索をかけただろう。
3次元統合、5次元統合、自己統合。
だけど、大事なことは単語ではなく、すべての単語を繋げる輪である。
依然、多くの単語の説明されているインターネット社会で、文章となる輪についての説明に目を留めるひともわずかなんだろう。
単語の説明の方がわかりやすく、また理解に容易い。
私たちは順序を間違えているのである。
しかし、その視点の間違いに気づけなくなるほど、私たちは毎日抱く疑問を単語に起こしては検索の窓口に打ち込んでいる。
私たちは理解を失っていく。私たちが知るべきことは言葉と言葉の繋がりであることを忘れ、ひとつの単語が浮き彫りにされていく。
ツインレイを語るためにはツインフレームの思想が基盤であり、魂の法則性が重要であることを忘れる。
私たちはたったひとつのツインレイという単語だけで、すべてを語ろうとしている愚か者であることを忘れてはならない。
すべての単語が平等に存在し、繋がりがあることを忘れてはならない。
だけど、私たちはツインレイという特別感からそれ以外を検索ワードから外し、ふたつの接点を失ってしまった。
もし、私たちが手に闇を染めた始まりがあるとしたならば、それは単語で検索するという行いかもしれない。
言葉の意味合いなど、流動的なものである。
その人の想いひとつで意味が切り替わる。その思いを読み取るには文章が必要である。
状況が分からなければ相手の心のうちなど、単語で言い表せるわけもない。
悪は単語を与えるが文章は与えない。当たり前である、自分に分が悪いことを知っている。
そして悪は文章を知らない。単語的な存在なのである。