自分しか信じられない時代になる。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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たしかにそうだなと思った。

彼が正しいのか、彼に愛情があったのか、彼がどう思っていたのか。

色々と思い出すと、今更過ぎる。

私は彼がどう思っているか以前に『彼を全肯定して受容した』ってのが事実なんだと思う。

あたいが正しいと思うよ。だって、彼のすべてを肯定して受容しきったんだから。あたいが全部正しかったと思う。

彼の気持ちなんてどうでもいいわ。彼に愛情があったかどうかもどうでもいい。

あたいは全部信じ切った、それが揺るぎない事実。

引用:ツインレイの期間の『苦しみ』とはどのようなものだったのかを思い出した。

けっきょく、自分が何をしてきたのか。それだけしか信じられない。

他人を信じるとか、信じないとか。どうでもいいかもしれない。

この人を信じるとか信じないとか。そういう邪推とかも、ある種、意味がない。信じようが信じなかろうが、邪推している時点で信じていないんだから。

最終的に「ツインレイの相手すら疑う」ことにすらなっていくんだと思う。

『自分しか信じられない時代になる』って言葉を、善悪二元論で捉えれば「相手は悪かどうかを自分で決める」みたいな。自分の判断を信じるみたいなことになる。つまり、他者が悪である可能性を孕んでいるっていう思想なんだよな。

つまり『自分しか信じられない』って、善悪二元論からすれば『他人は信じられない』って意味になる。

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私の場合『過去にそうするって決めた』とか『過去に信じるって決めた』みたいな。そういう自分を信じたらいいんだと理解する。

過去に私が信じた。そうするって決めて、やりきった。これって『揺るぎない真実』なんだよな。

過去にこうやって揺るぎない真実を自分のなかに構築している。

正直、記憶が戻っていなくて(なんで、毎度、私は記憶喪失なわけ?w)、信じようと一生懸命に頑張った自分を忘れていた。マジで、忘れていた。なんか、最後の最後まで、ものすげえストレスギリギリ状態でやりきったことを忘れていたもんだから『自分を信じる』とかも出来なかったんだけれど。

けっきょく、自分しか信じられないなって思った。過去の自分を、私は信じられる。

一生懸命に人を信じ切った私を、私は信じられるんだよね。だから、私は私を信じる。過去の私を信じれる。そこには既に事実があるから。

他者の介入など必要がないのだと思う。

彼がいかなる存在であったとしても、私は信じたんだよ。それが事実って感じ。そんな自分を信じる。彼は関係がない。

彼の気持ちも関係ないし、彼の存在も関係がない。

これが実は「自分軸」なんだと思う。そもそも私はそういう人だった。

自己の確立って、たぶん、地上のツインレイが終わっていれば終わっているんだと思う。

「自分の気持ちぐらい自分で決める」って感じかな。

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好きな人を好きになる感覚かな。好きな人を好きと嫌いのふたつにふらふらと揺らいでしまう感覚はない。好きな人は『好きでい続ける』っていう自分で自分の感情を決めていく。

つまり、私にとってツインレイの彼くんは「好きでいるって決めた」んだよね。いわば、決定なのよ、これは。

自分の感情ぐらい、自分の意思で決める。なんか、そもそも『好き』とかの感情が内側から湧いてくるとか、そういうことってないよ。なんで好きとかの意味も追求しても、よくわからなかったりするでしょ?

自分で好きなものは自分で決めていいんだよってこと。でも、好きが欲求のベクトルだと『すきが危ぶまれる』んだよね。

好き=欲求が満たされている、ってだけ。嫌い=欲求が満たされていないってこと。欲求満たされなくなったら嫌われるぜ。

私は元々「好きは自分で決めるもの」っていう感覚で、自分の欲求に好きを預けてはいなかった感じ。

好きなものを好きになる決定権を自己に持たせていた。それは「好きな人を好きになる」ってこと。

「彼くんを好きになるって決めたんだから私は彼を好きでいる」って感じかな。そこには意思がある。つまり『意を持って思う』んだよ。ただぼーっとしてても、彼くんのことを好きになれるわけではない。

そもそも元々好きだったわけではないよ。

「この人と結婚しよう」って思ったから「好きになろう」って思って「好きになろうと努力して」「好きになった」ってだけ。

空間も違うし、まるで『全くもって違う存在』に対して『好き』はあんまり感じないと思う。基本的には『嫌い』に欲求では判断されると思う。ただ、欲求が抑制され切っている状態では『すきの決定権は自分にある』って感じ。

だから、欲求がどう判断するのか——が嫌いになるたびに『好き!』に切り替える努力をした。

自分で自分の心を動かしていって、人を好きになっていくっていう努力をするのが私。好きになりたい人を好きになる。

自分の気持ちを彼が好きって決定させたら、それはもう変動しないの。変わらない。決定したことだから。

たぶんね、欲求がない人は人を好きにはならないと思うよ。だって、欲求=好きって意味だもん。

私もたぶん欲求レベルでの好きは認識していないと思う。自分で決定してきているだけ。

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明日嫌いになられるかもしれない人を好きになれる? 信じられる? 普通に信じられないでしょ。

私はそうやって『信じてもらうために自己形成』してきたところがあるんだ。

だから私は、過去にそう決めて貫いている自分を信じられるって感じ。

ほかにも色々と、私自身が『自己決定権』として、本来はもたないものを意識的に持っているものがあるんじゃないかな? と思う。

あと、私は自分を単細胞って呼んでいるけれど、これも実際『自分でそうしている』ところがある。

人って、相手が複雑だと、どうやって接したらいいかわからなくなる。

だから、自分で自分を単純化させている。感情についても、基本的に単純化させている感じ。

人が認識しずらいものとか「私をあいまいにする」とかも、あんまりやらない。わかりやすいようにしている。

「嫌われているんじゃないか?」とか、邪推する人もいるし、ちょっとそういうふうに思われるのもめんどくさいなって思った。

ので、単純化させた。とっつきやすい、理解しやすい、明確な——。そういうカタチに自己を構築させた。

わかりにくい人ってとっつきにくいでしょ。

それが私の地上のツインレイが終わった後の数年間で『自己形成』というカタチで、自己の確立をさせた。

だから、私は『私』という感覚がある。だって自分がなりたい自分になった。基本的には『人と関わるうえで他人にとって関わりやすい自己』を大前提に自分を形成させた。

 

自己の確立は、ツインレイの彼くんと出会う前に終わっていたんじゃないか——と思われる。

彼くんの空間を内包するにあたって、私は自己を組み替えることになったって感じなんだと思う。

つまり、自己の確立&他者の確立により接続をする感じ。

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元々のなとりはこんな感じだったな。

私は自分しか信じられないと思う。他人なんてマジで眼中にないんだと思う。

それは彼くんでさえもそう。信じるって決めた、好きになるって決めた、結婚しようと思った。だから精神的に努力をする。

なんかもう当たり前のことだと思う。いっしょに誰かと生きようっていうのであれば、それは努力するのはすんげえ当たり前のことだと思うんだよな。

人に好きになってもらえるのが当たり前、ずっと自分にとって都合のいい存在でい続けてくれるのが当たり前ではない。当たり前だって思っているのは、すんごい幸せな人生だったんだと思う。そのまま、お墓に入ったほうがいい人生だよ。

当たり前じゃないから、私は「当たり前じゃない人間」になろうと思った。

だって、さびしいじゃん。好きな人に明日嫌われるの、さびしいでしょ。

で、努力しきる経緯で「彼に嫌われている」ことも受け入れて好きになったよ。

最後の最後は「好きな人に嫌われた」って感じ。それさえも受け入れて好きになったら、次には、このままじゃいけなくなってしまったんだよな。

だって「嫌いな人と一緒にいるのはしんどい」でしょ?

最終的に、私は今、彼には嫌われていても好きな状態を維持している理由は、この『自己決定した意思』が関係している。

私は彼のことを『嫌いになる』状態になっても『嫌いにはならない』んだよね。好きになるって決めたから。

だから苦しいんだよね。人を好きになるって苦しいことだよ。

自分で自分を苦しめているのが私なんだと思う。自分で自分の首を絞めている。

人の為に形成した意識が自分の為にはまるでなっていない。