ツインレイが幻想に囚われたままサイレント期間を終わりにできないでいる。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイたちが一番の問題として抱えてしまいやすいのが『サイレント期間を終わらせることができない』ということだ。

もちろん、この期間にツインレイへの執着等を感じ、忘れられないという状態でもある。

私的には、執着を感じることは悪いことではない。そこには『好き』という気持ちが存在しているから。だけど、純粋な好きという気持ちのなかに『闇』と考えられる罪悪感、不安、恐怖というものが介在していると、私たちは苦しくなる。

よって私たちは「ツインレイの相手を好きでいることが苦しい。」と執着を感じるようになる。

しかし、元来の私たちの感覚では『好き』という気持ちは、心のなかがドキドキしてワクワクするような素敵な感覚だったのだ。

その感覚を闇の意識の介入により『執着』という着地点を見せてしまっていることが問題なのである。

ツインレイたちが行うべきことは、まずはこの『闇の意識を取り抜く』という作業を必要としている。

 

大元になる問題として、ツインレイたちが幻想に囚われたままサイレント期間を終わりにすることが出来ずに、ツインレイを追いかけ続けてしまうような状態が長く続いてしまっている。

このツインレイに対しての執着による問題と、幻想に囚われていることも、どちらも同じ問題である。

私たちが潜在意識により学習した『心の傷』という闇だ。

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ツインレイの幻想とは

幻想とは

ツインレイたちが陥ることになる『幻想』とは、現実をみることができない——ということだ。

これは、ツインレイの男女のどちらにも言えることである。

現実をみることができないでいると『事実を受け入れる』ということが下手になる。

事実を受け入れるだけでいいのに、その事実に傷つき続けるような状態が続く。

そもそも傷つく必要性がないことに傷ついたりすることも、幻想である。

私たちは、ツインレイのふたりでどこに幻想があるのかを探し当て、おたがいに幻想から抜け出すようなきっかけを与え続けている。

幻想とは、幻の想像ともいえるが、これが『闇の幻想』である。

闇の幻想とは、トラウマや心の傷を元に現実を構築してしまい、『事実をないがしろにする』というような状態が続いていることだ。

ツインレイたちは、闇の幻想のなかで戦っている。それも、ありもしない存在と戦っているのである。そして、ありもしない事実に傷ついているのである。

ツインレイが幻想のなかにいる理由

ツインレイが幻想のなかにいる理由

ツインレイが幻想のなかにいるとは、これは目覚める世界と目覚めない世界の二極化世界についてを語っているような気がする。

この地上でツインレイたちが出会うためには、先ず『闇の循環に溺れる必要性』があるのだと思います。だって、今地球は、闇の循環サイクルの真っただ中に存在しているから。

引用:ツインレイの人生と性質(サイコパス・自己愛性人格など)

ツインレイたちは、闇の循環のなかに陥り、そのなかで闇の循環を抜けていく必要性がある。

その闇を回収しているのがツインレイだと思われる。

人が持つ闇を回収していき、その闇をツインレイたちが切り抜けていくことにより、ツインレイたちが闇を終わらせていくことができる——ということだ。

今、地球自体が「闇のさなか」なのだが、それは『人を傷つける世界』である。これは同様に『ツインレイたちが傷つけられた世界』でもある。

どうしてこの闇という不安や恐怖が存在しているのかはわからない。だけど、この地球で『生きる』ということは、同時に未来や過去が存在している。

この過去や未来が存在している限り、私たちは不安や恐怖を感じ、悪魔と契約をせねばならない。

従来の契約である。
私たちは、傷ついてしまった心を受け取れずに、悪魔と契約し、欲求を主体として生きる契約を結んでしまっている。

引用:ツインレイの悪魔契約(天使契約)のまとめ

悪魔の契約は傷ついている自分と向き合わないことにより成立し、そして欲求を主観とする。

ツインレイたちは『欲求』を主観とし続けている限り、傷ついている自分と向き合わねば、その傷そのものが幻想と言う闇を発揮し始めるのである。

そして、傷ついている自分とは潜在意識に存在している。その潜在意識の傷を治していく経緯が必要なのである。

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ツインレイのサイレント期間は幻想である

ツインレイのサイレント期間は幻想である

このサイレント期間に起こり得ることのほとんどが『幻想』である。

多くの縁を始めとして、サイレント期間では『幻想が押し寄せてくる』のである。その幻想をひとつひとつ『現実へシフト』していく必要性がある。

それは『自分軸に戻る』とか『事実だけを受け取る』『現実をみる』『今に生きる』等の言葉に変換されている。

今、自分がどれだけ妄想を発揮しているのか——についてを着眼してみなければ、まずはよくわからんのである。(あたいもようわからんかったわ。)

 

「わからないことをわかった気になっている」等に気づいていく必要性がある。

相手の心などわかるはずがない。なのに相手の心を勝手に想像して、その想像により行動を起こす。これが相手の心を予測し、またその予測に基づいて自分が動いてしまうことにある。

その予測が『外れている可能性』について、考えてみる必要性がある。

私たちは、そのわかった気になっているところを、予期不安や過去の経験、恐怖によって相手に行動理由を預けてしまうきらいがあるのだ。

これが『過去』や『未来』という自分が『今現在』という立ち位置に立って存在することが出来ていないことである。

過去はこうだった、だから未来もそうである。これが固定観念の根源となる。

潜在意識による経験はこうだった、だから未来で起こり得る存在もそうである。このロジックにハマってしまうことにより、ツインレイたちは幻想に囚われ続けてしまうのである。

 

このように、ツインレイたちは幻想に囚われている部分がサイレント期間に、多く浮き彫りになってくる。

そのひとつひとつに向き合い、「これは幻想である」という自分のトラウマと向き合っていかなければならない。

その向き合いにより、私たちは幻想を抜けていくことになる。

本当はどうなのか。その真相については誰もわからない。だけど、私たちは目の前にある事実を受け取ることができる。

 

ツインレイたちはサイレント期間に突入している。

しかし、その事実を受け止めることができないでいる。だから、サイレント期間を終わらせようと躍起になる。

それはサイレント期間を受け入れていないためにある。

ツインレイのふたりが離れ離れになっている事実を受け入れる必要性がある。まずはサイレント期間なのだということを受け入れ、未来という『ふたりがいっしょになること』へ希望を寄せたりするのではなく、今、サイレント期間に突入し、どのように感じているのかをしっかりと受け止める必要性がある。

これが「サイレント期間の今現在」にある。

その事実を先ず受け入れることが出来れば、次にようやく、過去や未来についてを洗いざらい語り始めることができる。

私たちは、サイレント期間そのものが幻想にある。

その理由は、私たちがサイレント期間そのものにたいして『受け入れている』わけではないからだ。

サイレント期間に突入した事実を先ずは自覚し、受け入れる。そして、悲しみや苦しみを実感する必要性がある。その実感がようやく私たちを『サイレント期間に存在する自分』を明確化させていく。

『ツインレイ』も幻想にある

『ツインレイ』も幻想にある

ツインレイのふたりは、幻想の世界で出会った。

闇の幻想のなかで、ツインレイのふたりは惹かれあうのである。しかし、ツインレイたちは最終的にサイレント期間へ突入し、自分自身の闇の中へ入り込んでいくことになる。

私たちは、ツインレイそのものに対して『知っている』わけではない。

私たちが知っているのは、私たちが知っている範囲のツインレイだけである。

私たちは知らないことを知らない。当たり前だが。しかし、無知の知を持って言葉で使うことは出来ても、知らないことを知覚することは覚醒の段階に差し掛かってからである。

だけど、ツインレイの相手と自分という存在は『鏡の存在』でもあり『真逆の存在』でもある。

鏡の存在であるからこそ、ツインレイを知っているというのも思い込みであることに気づく。

私たちは私たちが知っていることしか知らない。知っていることでしか知覚することができない。

だけど、心が繋がっているから、私たちは分かり合えるのである。

心を繋げていくために、私たちは先ず心を取り戻すこと。

そして、知識に偏ることをやめ、トラウマを信じることをやめ、恐怖や不安はまやかしであることに気づいていくこと。

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幻想の心は過去と未来にある

幻想の心は過去と未来にある

私たちはトラウマを抱え、傷ついている姿が「心」だと思っている。

つまりなんだが、プライドが心だと思い込んでいるのである。

心が傷ついたという言葉は存在しない。傷ついたのはプライドである。ではプライドはどこからやってきたのか。

過去や未来というタイムラインに乗っかっている過去の自分と未来の自分だ。

過去の自分と未来の自分が「プライド」を形成し、また、その過去と未来に縛られていくことによって『今』という着眼点を失うことになる。

私たちは過去の自分のトラウマを『今、相手に傷つけられた』と心で感じることになり、未来の自分のコンプレックスを『今、相手に傷つけられた』と感じる。

心とは『今』にしか存在していない。人は今にしか生きることができない。

しかし、過去に縛り付けられている限り、私たちは傷つき続けるしかない。過去の自分の経験に何度も傷つき、未来の自分に対して恐れ続けるのである。

魂は3次元的な存在である

魂は3次元的な存在である

魂とは三位一体のとおり「神」「霊」「自分(アイデンティティ)」という三つにより構成されている。

しかし、この魂は『時間的概念』が存在していない。

時間と言う概念がないからこそ、過去と未来が混同してしまい『すべてを今へ集約する』という感覚を感じることになる。

過去の経験を今と同じように感じ、今の経験を過去の経験と同じ形にさせてしまう。これがツインレイ女性の『型』かなと思っている。

過去の経験を受け止めかねたものが多く存在していると、今の経験と同じように同化させてしまい『事実』や『今』という現実を見損なうことをする。

これにより、ツインレイたちは過去に縛られてしまうのである。

過去に縛られることにより、未来に起こり得る経験を受け止めることが出来なくなる。

つまり、ツインレイ女性がサイレント期間を終わりにすることができない理由は『過去に縛られ続けてしまい、今に着地することができないでいる』ということだ。

ツインレイ女性のなかに『縛られている過去』が、潜在意識や顕在意識のなかにあるかぎり、ツインレイ男性のもとへ進むことは出来ない。