ツインレイ女性の経済的自立(経済的依存)と精神的自立(精神的依存)について
私は最近、自分のなかで『自立がしたい』という欲求が出てきた。ぶっちゃけ、どうしたらいいかわからないが、無駄に技術はある。その点でなにかしら経済的自立の方向性へ向かわせることは出来ないか——と考え続けている。(今までにない兆候である)
ツインレイ女性は、経済的自立と精神的自立について向き合うことが最終段階に存在しているが、その前にちょっとまってと言わんばかり経済的依存と精神的依存について考えねばならないのだなと知るには、状況が依存に溢れている。
ツインレイ女性は精神的自立をしていたとしても、経済的には依存せねばならないようになっている。
ツインレイ男性は経済的自立をしていたとしても、精神的には依存せねばならないようになっている。
ツインレイ女性 | ツインレイ男性 | |
---|---|---|
経済的(社会的) | 経済的依存 | 経済的自立 |
精神的(家庭的) | 精神的自立 | 精神的依存 |
また、もしくは反転しているケースもあるかもしれないが、先ずは、この相関性についてを考えねばならないのである。
経済的依存と精神的依存とは
ツインレイたちは、従来の構造として『経済的に自立するのが男性』『精神的に自立するのが女性』という社会の枠組みのなかにいた。おかげさまでツインレイ男性は精神的に自立することが出来ず、女性はと言えば経済的自立することができないようなメカニズムのなかにいた。
少し前から話をしているが、ツインレイたちが行っていることは『従来の構造を終わらせる』、そして次に新しい構造を始めていくことが求められている。
そのために、ツインレイたちは『先ずは従来の基盤となっている状態に染まること』が求められ、次にツインレイと出会い、その状況を終わらせていくことが求められている。
つまり、ツインレイたちの男性像とは『従来の男性によるビジョン』であり、ツインレイの女性像とは『従来の女性によるビジョン』により構築され、その家系が色濃く残っている家系のなかに生まれている。
ツインレイたちはその従来の型のようなものを打破していく必要性があるのである。
その型というものが、ツインレイ女性は経済的に男性へ依存をすること。ツインレイ男性は精神的に女性へ依存をすることとなっている。
このまま、そっくりツインレイの性格を起こしてみれば、ツインレイ女性はツインレイ男性のことをなんでも受け入れることができる精神性の豊かな人たち。ツインレイ男性はツインレイ女性に対して経済的に支えるが為にお金を稼ぐことができる社会的には優位な立場にさえなりえる人たち——として考えることができる。
代わりと言っちゃあいけないが、代償として女性は経済的な側面で自立することができない。だから男性と結婚しなければならない。
男性は精神的な側面で自立することができない。だからさびしくて女性と結婚しなければならない。
なんとなくわかってくる。理想が『ツインレイ女性の経済的な依存』と『ツインレイ男性の精神的な依存』を模している。そして、これが従来の私たちが抱えている日本の由々しき時代のなかで培われてきた女性像と男性像である。
ツインレイたちが何故サイレント期間へ突入するのか
そりゃそうだ。ツインレイたちは「このままじゃダメだ。」そのように思うからである。
当時はまるでよくわからなかった。だけど『このままじゃいけない。』と思うのである。その理由がどこにあるのかは、もはやこの自立をしようと思うこの段階からである。
ツインレイ男性はメンタルが激ヨワ状態で、ひとりで立つことが出来ていない精神状態であるからだ。ツインレイ女性は自分一人で生きていく経済力を持っていない状態であるからだ。
ツインレイ女性が経済的自立をし、ツインレイ男性が精神的自立を果たす
ツインレイ女性が経済的自立をし、ツインレイ男性が精神的自立を果たしていくにも、先ずは『自分たちのなかにある依存』について払しょくしていかなければならないことがたくさんある。
ツインレイ男性はツインレイ女性に対して『精神的な甘え』を持ち、ツインレイ女性はツインレイ男性に対し『経済的な甘え』を持っている。
もちろん、それが悪いことではないだろうし、なんなら、あたいもそれはそれでいいんじゃないかなと思っている。それはそれでひとつの道でもあるから、私はそれを否定することができない。
だけど、ツインレイという運命を背負っているからこそ、この『男女の理想の依存形態』を逆転させていく必要性があるのだなと実感をした。
男女の理想とは、どちらも自立をしていることである。お互いの男女が繋がる理由が、どこかに依存内容があるからではなく、どちらも自立をしたうえでしか『男女の性によるお互いへの尊重』など生まれないのではないかと思った。
ツインレイの精神的依存とは何か
精神的依存とは『誰かのせいにする』という、自分の精神的問題を他者のせいにし続けることにある。
他者のせいにし続けていくが為に、自分の精神的な責任をとることができない。まずはこれが問題なのではないか——と思う。
ツインレイ男性の多くをサイコパス的なイメージをツインレイ女性が抱えているが、私は自己愛者ではないか——と思っている。
この自己愛による問題の大元は『自分の感情の責任を他人のせいにする』『自分の行動の責任を他人のせいにする』といったような傾向性がある。
ツインレイ女性はこのように思っている。
いや、自分の感情だよね? 自分の感情ぐらい自分で責任取ろうよ。
え、自分がした行動だよね。その行動は人に指示されたからなの?
つまり、自分の行動や発言、感情などの自分が自分である責任をツインレイ男性は人のせいにしてしまいガチなきらいがあるのである。
ツインレイ女性は、自分の感情や自分の発言、行動による責任をとることができているが、ツインレイ男性はその責任をとることが出来ていないが為に、人のせいについついしてしまいがち。
これを『甘え』とも呼ばれているが、これは他者への依存である。
そして、その依存があるからこそ、ツインレイ女性を求めているのである。
この依存そのものをサイレント期間で、ツインレイ男性は抜け出していく必要性があるのである。
ツインレイの経済的依存とは何か
経済的依存をしているのは、ツインレイ女性である。人の金を当てにして生きている——ということだ。
いわば、ツインレイ女性は『男性の金をアテにして生活をしていく』ということになる。
ツインレイ女性は、ツインレイ男性が存在していなければ生きていくことができない。それは男性が依存先となり、結婚する理由は『経済的に男性へ依存することが理由』となる。
ちなみに、あたいは彼くんの心理がどのようなものかはわからないが「仕事していないから、仕事している人のことがわからないんだろうな。」とか思われていたかもしれない。爆
これも、ツインレイ女性が抱えている『甘え』であり『依存』である。
この依存があるからこそ、女性は結婚していく——という時代があった。まァ、古き良き時代ではないだろうか。その時代の『そろそろいらないイメージ』を終わらせていくための終止符をうつのがツインレイである。
そして、ツインレイ女性は『経済的自立』の方向性へ進むことになる。
ツインレイの男女と依存と自立のツインレイステージ
ツインレイ男性の精神的依存は、ツインレイ女性のサイレント期間に反映される。
ツインレイ女性の経済的依存は、ツインレイ男性のサイレント期間に反映される。
ツインレイ男性が、精神的に他者へ依存していれば依存しているほど、ツインレイ女性のサイレント期間の出会いは、精神的依存者に溢れかえることになる。
ツインレイ女性が、経済的に他者へ依存していれば依存しているほど、ツインレイ男性のサイレント期間の出会いは、経済的依存者に溢れかえる。
ランナー&チェイサーの期間では、ツインレイ男性は経済的依存を受け入れているし、ツインレイ女性は精神的依存を受け入れている状態である。それは『ツインレイの相手を受け入れている』というような状態である。
覚醒の段階に差し掛かり、ツインレイの男性は『経済的依存者を捨てる』し、ツインレイ女性は『精神的依存者を捨てる』ことになる。
その過程で『自立』へと進むのである。
ツインレイ女性 | ツインレイ男性 | |
---|---|---|
出会い | 経済的依存・精神的自立 | 経済的自立・精神的依存 |
サイレント開始時 | 男性の依存に気づく | 女性の依存に気づく |
ランナー&チェイサー | 精神的依存者に気づく | 経済的依存者に気づく |
覚醒時期 | 精神的判断ができるようになる | 経済的判断ができるようになる |
統合時期 | 経済的自立へ向かう | 精神的自立へ向かう |
ツインレイの覚醒時期の精神的判断と経済的判断とは
ツインレイの相手の依存が抜けていくことにより、ツインレイ女性は『精神的な判断』が出来るようになり、ツインレイ男性は『経済的な判断』をくだしていくことができるようになっていく。
これは、ツインレイの相手が『他人軸』である象意であり、またその他人軸とは『依存』である。
ツインレイの相手が『依存を手放す』ということは、自分自身のなかにある『他人軸が手放される』ということだ。
これがツインレイの相関的に行われている『依存の手放し(相手)』と『他人軸の手放し(自分)』である。この他人軸が『依存』により構成されているが為、私たちはツインレイの間柄も依存による構成をとってしまい、ふたりともが共依存状態へとなってしまうのである。
ツインレイ女性(精神) | ツインレイ男性(経済) | |
---|---|---|
他人軸(依存) | 経済的依存 | 精神的依存 |
自分軸(自立) | 精神的自立 | 経済的自立 |
表から、他人軸である『依存』を抜くことにより、自分自身の担当している自立が明確に自立的に向かっていくことになる。
この判断能力が戻ることが、ツインレイ女性にとっての精神的自立であり、ツインレイ男性の経済的自立である。これが覚醒のひとつの視点である。
次にツインレイの統合の段階で、ツインレイの相手が持っている気質である『自立』を自分の中へ内包していくことになる。
覚醒の段階で、自分が担当している自立を迎え、次に統合の段階で、ツインレイの相手が担当している自立を内包していくのである。
ツインレイ女性の精神的判断とは
ツインレイ女性が言うところの精神的な判断とは、自分自身がおかしいなと思うものはおかしいのである。この自分がおかしいなと思う直感のようなものを今までは他者に依存させ、鵜呑みをするように相手を信じることで生きてきたツインレイ女性も、自分にとっておかしいと思うものはおかしいのだ——と理解ができるようになっていく。
ツインレイ女性は『他人軸に依存させた理解』を『自分軸で判断をする』というようなカタチへ切り替えていくことができるようになる。それはツインレイ男性が精神的依存を手放すことにより、ツインレイ女性の判断力が戻るのである。
ツインレイ男性の経済的判断とは
ツインレイ男性による経済的な判断とは、自分自身が経済に対しておかしいなと思う部分である。ツインレイ男性はどこかで搾取されている部分が存在しているが、その部分が『どこにあるのか』については理解していない。
その原因はツインレイ女性が持っている経済的依存が繁栄されているためだ。ツインレイ男性はツインレイ女性が経済的依存を手放すことにより、ツインレイ男性が持っている経済的に対して(お金に対して)の純粋な自分軸視点の判断をすることができるようになる。
なぜ、ツインレイは経済的・精神的自立をしたのか。
自立をしている側のツインレイたち(女性は精神的自立・男性は経済的自立)は、自立があるからこそ、ツインレイ女性は『精神的に他者を支えることができる』『経済的字他者を支えることができる』というようなカタチとなっている。
であるがゆえに、ツインレイ女性はツインレイ男性を精神的に支え、ツインレイ男性は経済的にツインレイ女性を支えることにもなる。
もちろん、この相関性もなかなか素敵なんだが、私たちは『どうして自立したのか』について触れていかなければならないのだなと思う。
ツインレイ女性は『精神的に自立をしなければならない』のである。
ツインレイ男性は『経済的に自立をしなければならない』のである。
それは、家系の因縁からもそうではあるが、精神的に自立をしなければやってられない、経済的に自立をしなければやってられないというネガティブな側面性がある。
それは、ツインレイ達の傍に『搾取』が潜んでいる為である。
ツインレイ女性がなぜ、精神的自立を果たしたのか。それは精神を搾取され続けるがゆえに自立をしなければならなかった。
ツインレイ男性がなぜ、経済的自立を果たしたのか。それは経済的に責任を背負わされるがゆえに自立をしなければならなかった。
というツインレイたち自身の生きる過程による事情が関係しているかと思う。その各々が背負っている事情によって内容は変わってくるかと思うが、必ずその自立の裏側には『状況の事情』が隠れているのである。
そして、そこには『搾取』が隠れ、また『依存』も潜んでいるのである。それがいかなるものなのか——については、たいていが両親による問題かと思われる。
その搾取や依存と向き合うことになるのが、ツインレイのサイレント期間にある。
サイレント期間でツインレイ女性は『精神的な搾取とは何か』について触れ、ツインレイ男性は『経済的な搾取とは何か』について触れていく。
自立の裏側に存在している依存は、ツインレイたちを蝕むように存在している。その蝕みをひとつひとつ解消していくことがツインレイたちが求めている自立へと向かわせる第一歩となっている。
経済的に自立をしたい感覚
私は、もともとずっと『依存性パーソナリティー障害』みたいな人生を送っている。なぜか自立させてもらえないし、なぜか自立を肯定的に捉えることが出来ないという『経済的依存』を求められていた。
だからこそ、私は、お金稼げね~、だったら精神ぐらい鍛えてやるわ~! という感じで、精神だけは人一倍強くなろうと努力をしてきた。
出来ないことがあるんだったら、出来ることをやればいいということで、経済的に自立が出来ないんだったらそのなかで精神的にぐらい自立するってことを求めた人である。
結果、私はツインレイの彼に出会った。
そして、今、無性になぜか『自立がしたい』のである。どうしたら自立が出来るんだろうかってことを考えている。
それが一人暮らしなのか、経済的になのか。実によくわからないが、私は『自立がしたい』のである。
私のインナーチャイルドは「自立♪ 自立♪」を音頭している。
こんななか、私はいくつかの視点を理解した。
私は、ツインレイの彼と結婚したとして。したとしても、私は自分で自分のお小遣いが欲しい。
そして、ツインレイの彼に嫌気がさしたとき、私は彼と離婚も出来ない女性になりたくない。経済的に依存していれば、私は離婚すらできないのである。
嫌だなと思ったとき、その嫌な気持ちを優先してあげることが出来ずに我慢をするのか?
ううん、残念ながら無理である。私は「嫌なもんは嫌なんだ。」という感覚がある。嫌なものを嫌だという自分の気持ちを優先するために、私はやっぱり『自分で自分のお金』を確保しておきたいのだなと思った。
それは、私的にも外に出て働くとか、そういうわけじゃなく。家のなかで出来る仕事をやっぱりしていこうと思う。(そういう意味で私はかなり良い人生を送ってきたように思う。)
ツインレイ男性に経済的に依存することは、彼との将来をポジティブに捉えていくことだけど、同時に私の人生をネガティブな側面がちらついては彼と対等に立つことができない。
私は、彼と対等に立つことができるからこそ、私は『自分らしくいられる』んじゃないかと思う。
これからどれぐらいの期間を要して、私が自力で家のなかでお金を稼いでいくのかはわからない。
だけど、私は私で、自立の方向性へ向かって、自分のお金を増やしていこうと思う。それは誰かに手伝われたりすることも必要がないし、私は私で自分一人でやっていけること。
今までの経験がちゃんと生きる時が来たように思う。
あとはやるだけ、だけど、やることが出来ていなかったのが私だったと思う。
私は精神に対して『自立的な判断』をくだすことができるようになってきた。これはツインレイの彼が精神的依存が抜けてきたからだと思う。
彼もきっと経済に対して『自立的な判断』をくだすことができるようになってきていると思う。私のなかにあった経済的依存が抜けてきたからだ。
最近の覚醒段階から「終わらせていく」ではなく、先に進んでいるというような実感がある。
そして、私はまっすぐ歩いてきたんだなと知った。寄り道もせず、私はまっすぐに歩いてきた。ずっと寄り道しているんだと思っていたけど、私は最短距離を歩いているんだな。