【体験談】神の夢を見ることと私のツインレイの覚醒の話。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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たびたび、神さんの夢を見ていました。

なぜか、神さんと私についてを書こうと思いました。

それはツインレイの覚醒後には自分の使命を思い出す——というところの『使命』を思い出したからかもしれません。

 

1年間に片手を指折るほどには、神さんの夢を見、また、神さんに先見をいただいていました。

これは二十五歳半ばほどからつづき、今でもたまに必要あらば——ではありますが、夢見で神さんに教えてもらわずともわかる範囲も増えました。

死にかける前には必ず神さんがでてきました。

たいていが「おしゃかさま」でしたし、作務衣さんたちは「仏教のお寺」によくいました。

神さんたちの領域として『人上がりの神さん』もいますし『神として生まれた神』もいます。

そのうちの『人あがりの神さん』が、色々と教えてくださっていたように思います。

最終的には、神さんとして生まれた神さんからも、縁あらば教えてもらうこともありましたが、基本的に、神さんとして生まれた神さんは人に興味を持つことはありません。

神としての役割を持って発生している神さんと、前世が人だった神さんたちが人におくる情が存在するのとではまるで違います。

 

この段階が、私自身の『魂の青年期』です。

青年期に差し掛かると、大人が子供の進路相談に乗るように、青年期では神さんたちが面倒を見るようになります。

この地球で『覚醒者』として定義されているのは、この『青年期』のことのようです。(神の啓示を受けるとは、神さんが面倒を見るということ。)

青年期の魂は、神さんと繋がることが出来ます。

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しかし、私がみてきたお釈迦さま。全員違うかと思いますが、全員同じに見えます。

一番の問題は『お釈迦さまの区別がつかない』ことなんですが、これは私の視力の問題なのでしょうか。

起きているときにみたときも、一応は特徴を記憶しました。

私がみたのは、蓮の花のうえに座っていて、背中に丸い輪っかを背負っている。そして、金色だったってことですが、調べてみたところ、お釈迦さまとはほとんどこのような姿をしていらっしゃる。

困りました。

それからも、夢見にてお釈迦さまを何度も見ていますが、どれも同じです。

覚醒と呼ばれはしても、そんなものかもしれません。ぶっちゃけ、よくわかりません。

神の啓示と呼ばれている内容も、特に『あーしろ』とか、そういう指示もありませんでした。

あったのは『どこそこの神さんにお仕えなさい』程度でした。その神さんにご挨拶に伺ったのは、相当にあとでして——。最初は「よくわかんないし、ほったらかしでいいや。」ぐらいでした。(私はそんなに信心深いとか、そういうタイプでもありません。ただ、習わしによく従う人です。)

ようやく神さんへご挨拶に伺ったのは数年後です。

参拝後に豪雨となりました。遠くに雨雲が龍のように横たえているのを見ました。

なるほど。自然のなかに神がいるとはこのようなことか——と思う瞬間は何度かありましたが、そのうちの一度です。

私がお仕えする神さんとは龍神さんとこの方です。だからか、周囲に龍に関わる人がこぞってよってもきます。

 

私の覚醒とは、たぶん多くの人が思っているような覚醒と言うよりも、本当にのんびりとしていたものでした。

お仕えすることになる神さんも、わりとのんびりしている神さんかと思います。

これから何をしなければならないのかもわかってはいるつもりなんですが、その過程にいたるまで、まだまだもう少し時間が必要らしく、のんびり待つことになっています。

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覚醒へ至るまで、私が何をしていたのか——ですが。

基本的に、特に『何かをする』ようなことはありませんでした。

肉もいっぱい食べていましたし、ニートで暮らしていたし、たぶん、普通に『俗っぽい人』だと思います。

ですが、そのなかで、私自身がずっとやっていたことは自己犠牲かと思います。人を愛することです。

自我が喪失するまで私は自分を捨てました。エゴを捨てろとか言いますが、私には『私』がいなくなるまで、自分を捨て犠牲にしました。

最初は『自分を殺す』状態でしたが、あるときに、殺している時点で自分が存在していることに気づき、自分の存在を消すようにしていきました。

最後まで自分を消し終わるのに十年かかっています。(本来は依存性人格となりますが、自ら自我を消すことになったのもあって、意味が分からん精神性なんだそうな。医者曰く、精神修業する僧侶みたいなもんだそうです。)

その段階で神さんが悪さしたのか——。死にかけました。あと30分、救急車が遅れたら私は今、この世にいません。

前日の夢に神さんがでてきて、どのようなことが起きるのかを教えてくれていましたので、死ぬことはないんだろうなと思っていました。死にかけていましたが。

死ぬほどの不幸は夢で教えられないと師匠に言われていたからです。

いわば、これが『試験』なんだそうな。あとから知りました。

当時は死にかけたあとも後遺症が続き、数か月は床に臥せました。数年は死にかけたトラウマを背負いました。途中で「こうすればトラウマが解消できる」というコツがわかり、解消しました。

ふと知りました。ただ「死にかけて怖かったんだな~」と思ったら治りました。

試験はほかにもあります。

肉体的な死を乗り越えたら、次は、脳の機能を自分でコントロールすることをやります。

ミスると脳が破損するので1年に一回はうつ病状態でした。破損領域を把握して破損部分を遮断する——みたいなことをやっていました。

最後はトラウマの負荷をかけて、解離性へと導く段階で解離を抑制しきれるのかです。

ぜんぶ『他者愛』で乗り切れます。脳をストレスで破損させた段階で抑圧をかけまくると、解離性になるんですが、ここで他者愛を導き出せたら治ります。

神さんからの試験は基本的に気合で乗り切れます。他者愛っていう精神性の気合で乗り切るのが神さんからの試験です。

精神疾患コンプリートします。基本的に他者愛があれば、乗り切れます。

医者曰く、自我がものすごく強いんだそうです。面白いものですね、エゴを喪失しきっているんだから、自我がないものかと思えば、エゴがない=他者愛があるという部分で自我を保っていました。

 

私の覚醒の道のりは、このようなものでした。

他者愛を自分のエゴとしていたので、底なし沼のように優しい人でした。それが私です。

 

ツインレイのサイレント期間では——。

『完了』のサインとも言える『自己犠牲した部分の自分』が戻ってきました。

神の道にある私たちにとって、自己犠牲は知性にあり、人としての美徳です。代わりに私たちは『自分』を犠牲にするのです。

その犠牲部分を受け取り、ようやく私は『私』として完成していきます。

 

この過程は、人としても、魂としても、両方ともがあります。

私たちは、親のために自己犠牲を働きます。

それは『人の両親』に対しても『魂の父』に対しても、自己犠牲的です。

親に従うことも、お父ちゃんに従うことも、どちらにしても『自分を喪失すること』です。

それは『愛しているから』です。だからこそ、私たちは『愛』と『犠牲』という表裏一体の世界に存在しています。

 

しかし、最終的に『愛だけ』になった代わりに、犠牲という自分が家出して、その犠牲となった自分を受け取るまでが私たちの覚醒です。

私たちは、自己犠牲した分だけ、誰かを愛したのです。その愛した分だけ、私たちは犠牲となった自分を愛することが出来ます。

人としての愛のベクトルを『ツインフレーム』によって体現し、魂としての愛のベクトルを『ツインレイ』として体現する。

このふたつの段階を経て、私たちはようやく『自己愛』を生み出していくことになる。

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他人を愛することが出来なければ、人に愛されることはありません。この道理を突き進むのが、青年期まで。

しかし、他人に愛されなくても、自分で自分を愛することができるようになるのが成人期です。

これが人のベクトルで出来るのか、魂のベクトルで出来るのか——。

 

ツインフレームの領域では『両親を愛しきった人たち』が到達します。

ツインレイの領域では『神を愛しきった人たち』が到達します。

だから、ツインレイと出会うまでの青年期では神さんたちがこぞって手伝ってくれるのです。

『神を愛するためにはどうしたらいいのか』を教えてくれるのです。そして『神に愛されている実感』を受け取ることにより、私たちはより、神のために働くことができるようになる。

私たちがより、神のために働く期間が『ツインレイの前段階の覚醒』であり、神の啓示を受け取っているような段階です。

ツインレイは、神と共にあったこと——。この世明けのツインレイでは多くを語りませんでした。

最終的に私は『神からの自立』としていますが、それはやっぱり『神である父の背中を追いかけ続けた自分』がそこにいて、神さんに愛されたかったからこそ、努力した自分がいました。

最終的には、神さんへ反抗したりもありました。神さんにとやかく操作されたりしていることも理解していたし、それが愛でもあることに気づきました。

 

私は、覚醒を『愛に気づくこと』かと思います。

とやかく何かしら『こうなっていれば覚醒だ』とかそういうわけではありません。

ただ『愛すること』をし続けた自己犠牲をした人にしかわからない成長の境地で『愛に気づく』瞬間があるということです。

それは反抗期を経て、ようやくのことです。

 

子供時代は『親を愛し続けること』であり、大人になってようやく『愛されていたことに気づく』のです。

それは、大人になってようやく『愛が他者へ届いていることに気づく』からだと思います。

自分が発した愛がまるで無駄ではなかったのだと知ります。そのときようやく、自己愛が生まれるのです。これが自立です。

 

今は、神さんの領域のことがなんとなくわかるかな~ぐらいです。

神さんの世界はこんな感じ、神さんってどんな存在なのか、とか。

たぶん、神さん背負っている霊能者さんとかが知っている領域を少しかいつまんで理解できている程度です。

予知関係は下手になっているかもしれません。前の方がもっとよくわかっていたかも。

メール相談では色を見ています。個々の色をみて判断するようにしています。

でも、慣れないからか、1回メール送ると1日何もできません。爆

 

私の使命については、次の記事にて説明をしていこうと思います。