マカバスターによる三元性の理論と三位一体の完成(ツインレイの完成『図』)
ずいぶん前に、マカバスターがツインレイの最終形態なのではないか——という話を世明けでしている。
このマカバスターがツインレイより構成されるまでの経緯には『二元性による克服』が必要である。
三元性へ昇華していく過程により最終的には『マカバスター』の図を構成されていくことになるため、その経緯についてを触れている。
一応、これにて『ツインレイの立体図の完成』ではないかと思っている。
マカバスターとはこの図である。
マカバスター平面図 マカバスターの3D図
私たちツインレイは、マカバスターのように三角錐をふたつ構成し、合体することなのではないだろうか。
私たちが『魂に還る』とは、マカバスターの魂へ戻る経緯ではないかと思っている。そのために私たちは魂の構造を理解していかなければならない。
二元性から三元性へ上がっていく経緯
光と闇という話がツインレイではあるが、この視点はツインフレーム的である。
いわば、相手が善か、自身が悪か。このふたつによる視点を持つことしかできない。
ツインレイ自身は三元性——。もとい、一元性のもとに存在していることかと思う。
その経緯を経ていくことがツインレイであり、私たちはそのようにして心を手に入れたいと思っている。
この光と闇、愛と犠牲による相関性を図式で示していこうと思う。
善と悪は、このように二元性により生じている。いわば、これが『善悪二元論』である。
ときに、これを『男性性』『女性性』という天秤にしたとき、性質が違う2種類のものとして捉えるとき、二元性と考えることができる。
いわば、男性が善のとき、女性が悪となるという考え方は善悪二元論である。それぞれ性質が違うことにより、どちらも肯定的に捉えるとき、私たちは二元性へとなる。
まずは『善悪二元論』という優劣に関する思想を持つのが『低次の自我性』にある。
次に『二元性』という対等に関する思想と持つのが『高次の自我性』にある。
この経緯に必要なものは、エディプスコンプレックスの克服にある。両親における同性と異性の両方を肯定することにより、私たちは自身のなかに存在する二元性を肯定的にとらえることができるため、男女に対して異質な存在を対等的に扱うことができる。
このとき、性的な成熟を迎えることができる為、精神年齢を高校生レベルに達することができる。
ツインレイの場合、どちらかが性的未熟を迎え、どちらかが性的熟成を迎えている段階である。
片方が『異性に対しての関心』をおぼえているなか、片方は『異性の親へ恋をしたまま』の状態となっている。
ツインレイのうち、精神担当をしている側が『相手の未熟な精神』を内包し、その未熟な精神を成熟へと導くことにより、互いに性的熟成をむかえることができる。
ここまでは二元性による『光と闇』に、なぜツインレイの男女がわかれてしまっているのか。なぜ、そのように話されているのかの問題にある。この領域における光と闇のテーマは善悪二元論を二元性へ昇華することであり、このとき、私たちは両親を克服する段階へさしかかっている。
この段階は『ツインフレームの段階』として捉えることができる。
ツインフレームの段階で『男性性』と『女性性』の獲得をし、その後、ツインレイの段階へさしかかるとき、ツインレイたちは『愛と犠牲』という天秤を生み出すことになる。
この男性性と女性性による二元性が成立したとき、私たちは『愛』を完成させる。
この愛による完成は私たちを博愛主義者へと持ち上げていく。男性に対しても女性に対しても同じように、また別の性質であることを受け入れていくことになる。ゆえに、ここで『自分の性が最上主義』であることや『異性に屈する』ことなどの卑屈なども存在しない対等的な意識とは『愛』ゆえにある。
この愛の学習は『博愛』であるが、この愛は両親への愛を体現性している状態にある。
しかし、愛は『自身』を犠牲にするようなものである。
母と父を愛し、両性的な天秤が生じるとき、愛を発生させる。このとき、子である自分自身は『犠牲者』となる。
エディプスコンプレックスでは、異性の親による恋情をあきらめる必要性があるが、この恋情そのものを諦めることは『自身が同性の親を愛していること』が絶対的な条件であり、次に愛しているからこそ、自身は異性の親に対しての恋情を諦めると言う行為となる。
いわば、諦めた恋が存在している為、安定した精神を持っている人たちは必ず自身が犠牲となる能力を持っている。
いわゆる、健全であればあるほど、犠牲的な立場を自身に身を置き、人を愛する心を持っていることになる。
このとき、ツインレイ的な二元性が生じることになる。
愛と犠牲という二元性だ。
いわゆるツインレイとは『愛する』ことを知っている人と、『犠牲になる』ことを知っている人のカップリングと言える。
このとき、愛と犠牲による抱き合わせが生じることにより、ツインレイたちは『心』を手に入れることができる。
男性性と女性性の間に生まれた犠牲となる自身は、愛というものを持っている。その愛と犠牲が対峙し、そのふたつが統合されたとき、犠牲による経験と愛による経験が抱き合わさり、ふたつの経験は『無』となる。
無となった経験は『心』となる。つまり、いままでの『すべて』は『無』となり、『心』になるのである。
このとき、精神領域は『男性性』『女性性』『愛』『犠牲』により『無』が完成し、このすべてが『心』となる。
三元性による三位一体構造
私たちは、このように地上における父と母により『子』という犠牲者を生み出す。それが三位一体によるキリストである。
次に、子となる犠牲者はツインレイの相手を『神』としてとらえるが、それは『愛』の体現にある。
この犠牲と愛による統合は『霊(無)』を生み出す。
無は、反転すると『心』となる。その霊と心を統合することにより、神という概念が生じる。
いわば、この三つの三角形による統合後により生じる象意は『子(犠牲・キリスト)』『霊(無)』『神』という三位一体構造を生み出すことになる。
私たちの三元性的な理解による三位一体構造とはこのようなことである。
これは、中心地に三位一体とし、男女に反転させた構造である。
ここからマカバスター図を構築してみようかなと思う。マカバスターは三角錐をふたつ使用している図である。
マカバスターと三位一体
マカバスター平面図 マカバスターの3D図
ひとつの面がたりないと思うかもしれない。なぜならば、マカバスターの三角柱は四つの三角形により形成されているから。
だけど、もう完成している。三つの三角形があるということは、『点』はそもそも存在している状態である。
その点にたいしての定義と面に対しての定義をしようと思う。
これにて、四つの面が完成した。
心と父の点を『精神』とした。父から『心』を学ぶことにより精神が構築されること。
母と子の点を『親密』とした。母から『関係性』を学ぶことにより、人とのつながり方を学習すること。
霊とツインレイの点を『運命』とした。ここを『恋』と代打うってもいいけど、運命とさせてもらったのは、私たちは『人生』を背負って存在しているからである。
- 精神(心と父)・・・自己
- 親密(母と子)・・・他者
- 運命(霊とツインレイ)・・・縁
このようにして、私たちは構成されていると考えたい。
ちなみにマカバスターの3D図を起こすことは勘弁してほしい。脳内で展開してほしい。このふたつを男女で構築し、ガッ! と合体させることにより、マカバスターの3D図は構成されることになる。
そうするとライトボディが覚醒するらしいが、私はまだよくわっていない。最近お腹はいたいけど。
マカバスターによるライトボディの覚醒へ
無条件の愛とは自身が誰かに依存せずとも存在することができる心を持ち、相手が誰でありどのような存在であれども存在を認識し、存在を大事にすることができること。(『間違い』という定義の喪失にある。)
至高感とは状態が最も最適な状態であることを認識することができる状態のこと。
絶対的な平和とは『上下的な意識が失われている』状態であり、『なにかを奪い、奪われる必要性がない』状態であり、物質的のみならず、精神的な領域でも平和的な感覚を得ることができること。
ハイヤーセルフと一体化することにより、魂がどのような人生を歩むべきかを認識することができること。
これがライトボディの覚醒です。引用:ツインレイの無条件の愛はマカバスターにより完成する解説
マカバスターの最終的に点で構成される三角形はこの『無条件の愛』『至高感』『絶対的な平和』により構成されているのかもしれない。
無条件の愛とは自己の概念により生じ、絶対的な平和とは他者の概念により生じ、至高感とは縁により生じる。
一致しているように感じられるため、これにより、ツインレイの最終的な完成はマカバスターにいたること——でよいだろうか。
ちなみにこの三つは造化三神にもあてはめられるかと思われる。
- 至高感(運命)・・・天之常立神
- 無条件の愛(自己)・・・高皇産霊神
- 絶対的な平和(他者)・・・神産巣日神
四つの面が生じ、ようやく『魂』に到達する。その魂とは三位一体を意味している。
魂とは『自分』と『他者』と、それからそのふたつを結び付けている『縁』により構成されている。
他者とは自己である、そしてそのふたつを結び付けるまでの経緯のために、私たちはこのマカバスターを完成させることを必要とし、この状態となりようやく私たちは魂として自立した存在として認識されるのではないだろうか。
そして、この『魂』として構成するとき、私たちはそれ以外の概念を理解し、コントロールすることになる。
いわば、これが『自身の魂の管理者』へと降格することである。
ツインレイは最終的に『母と親密』になり、『父と精神的な繋がり』を持ち、『運命を信じる』ようになる。自分自身に絶対的な自信が生まれてくる。
それは神である父、母と、それから神による運命を信じていることに繋がる。
そして、もし、その善に背くことがあったとしても、自身が何を意図して行い、それが『心ある判断・魂による判断(無条件の愛・平和のため)』であることを神という両親が信じてくれている。
自身を創造した神による愛を一心に受け取ることが出来たとき、私たちは『神の子』としての『魂』を成立させることになるのである。