ツインレイ男性が生まれ変わり自立するまでの経緯(干支)
ツインレイといえば私のなかでは『理義』である。
理義字といえば、ふたつ同じ字がならぶ双子の字のことだ。たとえば、林もそうだが竝の字もおなじように理義字である。
理義とは正義と道理であり、ツインレイは出会い、そしてサイレント期間に理義である存在を卒業していくことになる。
次は『亘』の字へ変化していくためである。
かごめ歌の段階で、濁点を消した文章を読解してみると、酉の方角から二を卯のほうへ射るということが分かった。
ツインレイのふたりは自分の才能を「あるようにみせかけているところあるよね?」と。んで、その才能みたいなもんが本当はないっていう感じ。
過去の功績を背伸びして相手にみせたところがある。
んで、それを卯の方角へ射ればいいらしい。
しかし、これでは不十分であるようだった。
見落としがあったと言うことである。
『一一 てらう』とし、みせかけのプライドを持つこと。
そして、もうひとつの視点が『一一 手合う』とし、(自分の仕事を)自分だけの力でやり遂げることや、自分の能力が扱いきれること。ほかにも感謝することである。
このふたつが存在しているように思う。
酉の字から『曲がっているもの』を抜くと一日となる。
または『曲がっていないもの』を抜くと四になる。
このふたつのどちらが正解なんだろうと悩んでいたのだが、どちらも正解である。
人はプライドを抱えているとき、自分を曲げることが出来ない。感謝することが出来ない。
人はプライドを持たないとき、自分を曲げることができる。いかなる環境であったとしても感謝することができる。
この違いでもある。
プライドの矢をまっすぐに卯へ放つとき、卯は逃げ出すだろう。これがツインレイの相手に逃げられるということだ。
もうひとつの『曲がっている物』とは勾玉なのかもしれない。曲がり続ける、間違え続けている自分だ。そんな自分を大事にしていること。
そして、その曲がっているものは『精子』となって、卯に宿るとき、卯は『卵』になる。いわば、これが受精である。
ツインレイは『プライドによってツインレイの相手を逃がすか』、『感謝によってツインレイを生まれ変わらせるか』の違いが生まれてくると言うことだ。
四のツインレイ女性とは
これがツインレイの再会が出来ない事例のひとつではないか、と。ツインレイの相手にプライドをかざしてツインレイの相手を逃すような形になるのではないか、と思っている。
卯は逃げ足が速いから直ぐにいなくなるだろう。
このとき、酉側にはツインレイの相手と自分自身のプライドが二本あり、それを捨てることになっている。
残るものは『四』である。
この四の数字を少々調べては見たんだが、脳の記憶力的なナンバーとしても存在している。しかし、どれも的を得ているようで得ていないような感覚を覚えてしまった。
一、二、三と言う形で、四になると、なぜか一本増やすように字を形成しているわけではなく、四になると形象を変えることになる。
亖を4として読ませていたわけだが、途中で『四』となった。
四は当て字なわけで、数字の四であることにこだわりをもたずにはいいようだ。
なぜ「亖」が用いられなくなったのかと言うと、これは人間の認知能力―“4”の数量が直感的認識の上限である—に関わっている。“4”が直感的認識の上限であるということは、「亖」を構成する線の本数が人によっては即時に認識しにくいということであり、このような認知上の不安定さが、「亖」の表記を廃れさせた原因と考えられる。
(中略)
「四」はもともと鼻から鼻水が流れ出る様を象った象形文字で、後の「泗」に該当する字と見られる。
ほかにも四は『口の中に歯や舌が見える様子』ともされている。なんとなく喉な気がしますが。
ここから憶測するに、卯にプライドを放ったトリである四は、
- 認識されなくなる
- なみだとはなみずがでる(水の害)
- 口を噤むことが出来ない、黙れない
というような状態になるのだと思われる。
まんなかのなみだとはなみずがでる(水の害)がよくわからないと思うのだが、これは色情因縁ってものかと思う。だから異性関係でうまくいかないから鼻水がでるほど泣き続けることになるということ。
卯のツインレイ男性とは
卯という字の成り立ちは以下の通りである。
「同形のものを左右対称においた」象形から、「同じ価値の物を交換する」の意味を表します。(「貿」の原字)。
(中略)
また、「左右に開いた門」の象形とも考えられ、すべてのものが冬の門から飛び出す
漢字の「卯」は、門を無理に押し開けて中に入り込むさまを表した字で、「冒(おかす)」と同系の語。
1920年の林義光 『文源』では、「「卯」という字は「鍪」の本字である」と主張されています。
(中略)
「卯」字が甲骨文で(殺す)の表記に使われていることから、「卯」が何かを切断した形に由来するという主張が、1920年代以降多く存在します。
まとめてみると、
- 同じ価値を交換する
- 左右に開いた門から飛び出す
- 門を無理に押し開けて入り込む
- かぶと、頭を保護する防具
- ひとつだったものをふたつに切断した形
ということがわかる。
プライドの高いツインレイ女性から逃げ出すことになった卯となるツインレイ男性は、
- 同じ価値のものを差し出さなければ手に入るものがない
- 自分のなかにある本心がつい出てしまう
- 本心を無理やりに暴かれてしまう
- 守株待兎
- 自身のなかに分離を生み出す
というような状態になるようだ。
いたずらに古い習慣やしきたりにとらわれて、融通がきかないたとえ。また、偶然の幸運をあてにする愚かさのたとえ。
けっきょく、逃げても逃げても、自分の本心からは逃げることは出来ない。しかし、他者に暴かれり、自分の本心がでるような状態に陥っていくようである。
ツインレイ女性は『黙れない』状態になるが、ツインレイ男性は『黙らせない』状態になるようだ。
隠していることが隠せない状態へなっていく。
また『冒涜』の意味もあるように思う。自分には運が向いている等の思想に傾倒し、現実性を失い、突っ走っては失敗をする。そんな状態になるような気がする。
頭でっかちとなってルールにこだわっていく。
亘のツインレイたち
①「求める」
②「めぐる」
③「伸べる」、「延べる」
④「(時間的、空間的に)わたる」
⑤「連なる」
亘の字は二という字のなかにグルグルと回り続けている旋回が描かれている。
上記の通り、私たちツインレイが望んでいる意味が込められているように感じられた。
卵のツインレイ
酉から『八』たる感謝が精子である。それを卯に持ち出す必要性がある。
ツインレイたちは『感謝』をする。その心が『卯』に宿るのである。
しかし、その感謝が見せかけのものであってはならない、感謝とは心からするものなのである。
思ってもいない、心からではない感謝は卯を卵にすることはできない。なぜならば『感謝の心』を生み出すべきところは心なのである。この心を偽ることは出来ないわけだ。
ツインレイの相手に感謝するシーンは、いっしょにいる期間に起こり得るだろう。しかし、サイレント期間では感謝するにもしかねる相手と対峙することになる。このとき、相手に何かしらの意味で感謝する心が芽生える瞬間があるだろう。
それが『いかなるものなのか』はわからないし、私はそれを明確にしたいとここでは思わない。感謝感謝ばかりして心が伴わないお化けが生まれるからだ。
私たちはあるとき、ふと感謝をする。その感謝は心からである。思い立ったかのような感謝だ。
なぜ、闇側が感謝されたがっているのかを今理解した。卵を創り出すためには『感謝を集めなければならない』と思っていたのかもしれない。違う、感謝をしなければならないのである。
人は勝手に感謝をしてくる生き物である、それが人だから。その行いのどこかに人のために移す行動があるのであれば、そこに必ず感謝が生まれる。しかし、それを言葉にして受け取る必要性もない。
そして感謝できないものに対し、私たちは感謝をしてはならないのだと思う。その審判は自らが行い、心に従えばわかることである。
だから私は感謝の種類についてを解明しない。必要性が無いからである。
一日のツインレイ
このとき、私たちは『一日』の概念を生み出す。
私はずいぶん長く『生活がしたい』と言っていた。
それは一日の概念がなかったためである。
毎日が、昨日の続きをし続けている。昨日の続きの延長をし続け、私たちのなかに『一日』という区切りはあるようでなくなってしまったように思う。
おはようとおやすみはある。だけど、明日は昨日の延長の日々。長く疲弊するような一生を過ごしている。
だけど、私は毎日生まれたいのだと思う。
毎日、朝起きたら、その日を過ごしたいと思っている。毎日が同じ単調な日々であることを私は受け入れたい、そんな生活がしたい。
毎日が特別じゃなくていい。毎日が単調に同じくても、それが幸福である。
ようやくここにきて、一日をいただくことができる。
戊亘のツインレイ女性と、並のツインレイ男性
戌という字から一を引いて、一日に追加することで『亘』が完成する。
残るのは戊である。
戊とは『山』である。五行でいうと土だ。まァ、富士山でもいいのかもしれない。
亘の字は、二の字に日が挟み込まれ、ふたりのなかを循環している文字である。
いわば、大地を通してふたりが循環をする。そのようなメカニズムをツインレイ女性は生み出す。
ツインレイ女性は元来、ツインレイ男性へエネルギーを供給するとエネルギー枯渇に陥っているような状態だった。それは大地からのエネルギーを手に取ることが出来なかったためでもある。
ゆえ、このように大地からエネルギーを取り入れる、存在を手に入れることにより、ツインレイ男性に潰されることがない存在となる。
ツインレイ女性は循環が欲しいのである。
私は彼とサイレント期間にはいるとき『循環が出来ていない、それは搾取になる』と話していたが、それは私自身が大地と循環していない空の住人だったためである。ゆえ、エネルギーが枯渇し、地面に落ちてきた存在だ。
ツインレイ男性は、卵を割って『辰』を生み出す。
この辰とは『立つ』である。しかし、一匹ではない、二匹である。
卯の次は一匹の辰だが、卵の次は二匹の辰が生まれる。
それが『竝』である。竝とは『並』のことである。並ぶということだ。
ツインレイのふたりはふたりで大地に並び立つことができる状態となる。
ツインレイ男性は『ツインレイ女性といっしょに生きていく』という感覚を身に着けることになるだろう。
ツインレイ男性はツインレイ女性と『いっしょにいる』ということができない。彼曰く『逃げたくなる』と言っていた。ふたりの関係性が冲である限り、ツインレイの片方が攻撃し、片方が逃げ出すようなぶつかり合いを生み出してしまう。
彼は平和主義者ゆえに戦いたくなかったのだと思われる。
そして、ツインレイ男性は並である『普通』を手に入れていく。そんな自分を受け入れることになる。
ツインレイの男女の関係性とは
ツインレイ男性は『並(竝)』となる。
ツインレイ女性は『戊』となる。
ふたりの関係性は、ツインレイ女性の大地のうえで『亘』となって循環し続けることになる。
滅
少々余談となるが。
滅。この字は『水』と『火』を、『戌』の字に加えることにより出来上がる。
滅の字は『滅びてなくなる』の意味もあるが、仏教用語だと『涅槃』の意味がある。
ツインレイは『悟るか』または『滅びるか』のどちらかになるとも言えるんじゃないかと思っている。
智慧(ちえ)を磨き修行を積んで、迷いや煩悩(ぼんのう)や執着を断ち切り、悟りに到達して、いっさいの苦・束縛(そくばく)・輪廻(りんね)から解放された最高の境地をいう。
(中略)
「永遠の平安」「完全な平和」「絶対の安らぎ」とも訳す。
ツインレイ女性は悟れば存在を確立することができる。
しかし、滅となれば存在が消えることになる。滅がツインレイの魂の統合ではないだろうか。
いわば、ひとつに戻ってしまうということ。そして、魂はツインレイ男性のもとで『卯』として存在することになる。
存在が消える場合、ツインレイ女性は心が無いことに苦しむ。ツインレイ男性は心があることに苦しむ。
火と水はツインレイのふたりである。
ツインレイのふたりが火の心(なんにでも立ち向かう強い心)と、水の心(なんにでも適応する柔軟な心)を大事にしているとき、ツインレイは結ばれるのではないだろうか。
これが理義なのだと思われる。道理と正義だ。
そして、ツインレイ女性側に『火の心』と『水の心』の両方が宿ったとき、それが『悟り』になるのか、はたまた『消滅する』のかはツインレイのふたりが火と水の心をどれぐらい育て上げることができたのかということなのだと思われる。
ちなみに私は師匠に『水の心だよ』と教えてられて育っておりまする。
なんにでも適応することができる、形を変えることができる柔軟な心を鍛えなさいってこと。よって不平不満(人のせいにする)があんまりにも生じない人でしたが、今回のサイレント期間は堪えました。爆
人のせいにできないから、じゃあどのように状況を判断すればいいのかが混乱を呼び起こしたような気がする。