ツインレイの成長は善悪二元論から二元性へ概念をアップデートすること。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私たちの世界は、二元性により生まれている——という宇宙の法則を多くの人が知っていると思う。

ツインレイに対しても『二元性』が適応されるのだと考えるのがベターだろう。

ツインレイに対して私たちは自分を見つけ、そして自分と同じ存在が目の前にいる——という感覚から自他統合的な感覚を覚えることになる。

  • 自分と他者の境目がなくなる
  • 自分と他者が糸で繋がっているような感覚
  • 動物の気持ちが分かる
  • 他者の状態や感覚がわかる

引用:自他統合と自他分離|ツインレイの覚醒シリーズ⑥

この感覚により、私たちはワンネス経験をするということだ。

この過程では『自分』と『他人』という概念による善悪二元論から二元性へとアップデートする経緯を経ている。

ほかにも、善悪でくくってしまい『悪を悪いもの』として定義したもののほとんどを二元性とし『悪を排除』『ふたつを対等』にするような構成をとっていくことになる。

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善悪二元論とは

ツインレイと善悪二元論と二元性
善悪二元論とは、善と悪により分類し、悪を排他する意識のことである。

図の説明:自分を善として他人を悪とする
図の説明:自分を善として他人を悪とする

この意識は必ず『自分が善』であり『他人が悪』である。

もし、自分が悪い人間をやる! としたときも「それを選択する自分は善」である。

ほかにも、人の悪を背負うことも「人の悪を背負う自分が善」であり、いかに『悪』になろうとしても、私たちは『自分を善』としてしか生かすことができない。

どんなに悪いことをしたとしても、人は『自分を善』とし、過去に悪いことをしてしまったことに対して「あのときは悪い子だった」等の発言があるときも、自分を悪とはせず悪い自分を解離させることで自分を善に保つようにしている。

つまり、私たち人間は常に『善』でしかない。悪い人間はどこにもいないといえるが、常に人は『自分を肯定的な存在にしか構築することができない』ということだ。

私たちは『自分が思う善の道を進む』ことになるのが人であり、いかなる悪人であれども、自分の悪は解離させ、悪を体現しているときも自らは善として捉えているのが人である。また、私たちが人を『悪』だと思う意識も、人の主観によって違い、この善悪の概念は個人によって違う。

 

特徴として、善悪二元論は『悪を創りつづける』ことにあり『自分は善』であること。その悪の定義は人それぞれ違い、悪を忌むところがある。

人に悪を見つけては「あのような人間にはなりたくない」と思うのが私たちのなかに存在する善悪二元論的な思想である。また、これが人の本質にある。

「あいつは悪い人間だ」と言っているやつが『悪い人間である』というような構造も生まれたりする。

善悪二元論の過程で学習することは、社会のルールや法則、他者という存在である。情操を学ぶ段階が『善悪二元論』である。

 

ちなみに善悪二元論が『悪い』っていうわけではない、若い考え方だとは思う。そして人の在り方だとも思う。

人は必ず自分と他人による葛藤を生む。この葛藤そのものが善悪二元論状態へ陥る。

二元性とは

二元性とはふたつを循環させるような思想になる。このふたつは『善悪』としてひとつを悪として排他させない構造をとる。

図の説明:自分と他人はどちらも自分である
図の説明:自分と他人はどちらも自分である

私たちの概念そのものは『二分化』されることは免れない。理由だが私たちは物質という肉体を持っているがゆえに、他人という概念を捨て去ることができない。

他人の肉体を『自分の肉体だから使ってもいい』とはならないかと思う。他人の肉体は他人にしか動かすことができない。では自分の肉体ではない他人は悪である——とはならないが、善悪二元論だとそうなってしまう。

自分の思い通りにならない存在は悪である——、と。

しかし、他者と自分が共存するような視点を持つことができるのが二元性にある。男性性と女性性などがわかりやすいかもしれない。

図の説明:自分の性別と異性についての二元性
図の説明:自分の性別と異性についての二元性

別の存在だが『共存』することができる。これが二元性である。『自分のなかに存在する異性性を受け入れる』ことにより二元性は成立し、『自分のなかに存在する異性性を排除する』ことにより善悪二元論は成立する。

しかし私たちは確かに『異性ではないという事実』が存在している。

これは概念であり、事実ではない。しかし、この概念という精神構造が常に私たちの世界へ影響を及ぼしている。

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善悪二元論の悪を排除すること

私たちは、当初、善悪二元論というような精神構造にある。

ゆえに、私たちは『悪』を生み出し続けている。これが未熟な精神にあり、他者へ『悪』を生みつけ、その悪により自らをあげることを行っている。

しかし、私たちが悪だと思っているものは『自分のなかに存在する悪』である。つまり『他者が悪』というわけではない。

だけど、私たちはよくわかっていないので『自分のなかに悪など存在せず、他人が悪なんだ』と思っている。他人が持っている要素はすべて自分が持っているから、そこに『悪という他者』が発生するのである。

図の説明:精神内にあるものを理性で抑圧し、外部の世界へポイ!
図の説明:精神内にあるものを理性で抑圧し、外部の世界へポイ!

これが精神構造と世界への転用にある。

ツインレイも同じ原理である。この段階でツインレイが出会うと「ぽい」される。自分のなかに存在している異性性を外部へ抑圧した段階で出会ったツインレイの相手ということだ。

そして、サイレント期間は『再吸収』の時期となるが、ツインレイの相手へ執着をすると言うのは『外部へポイした自分の精神構造内に存在している異性性に執着がある』だけで、別に当人に執着があるわけではなかったりもする。(というさみしい話もセットしておこう。)

 

このなかでも、私たちは『自分の中に持っている犯罪性』や『自分の中に持っている悪意』などを抑圧し、自分のなかから理性を持って排除しようとする。

もっとも健全な人は「人を殺してはならない」と思っているし「人を傷つけてはならない」とも思っている。ちなみにサイコパスは思わないので、人を殺しても特に病むことはないし、人を傷つけても病まない健全さがある。

この『自分のなかに存在する犯罪者』と『自分のなかに存在する悪意』を抑圧しきることにより、外部に『悪』が発生する。この原理をユングは『影(シャドウ)』として定義した。

そして、錬金術の経緯で、この影(シャドウ)との対峙は余儀なくされているものであるとも。

悪を排除し再吸収する経緯

ツインレイたちは自らのなかに存在している悪を排除することにより、外部へ悪が発生する。その悪を再吸収している経緯が『サイレント期間』でもあり、サイレント期間中では『自分の影(シャドウ)』とも向き合っていくことにもなる。

図の説明:サイレント期間にぽいする
図の説明:サイレント期間にぽいする

ぽいした意識が外部へ発生する経緯では別れを経験することになる。ただ、この過程が存在しなければ、私たちは「葛藤しない」のもあって、辛い経験を影(シャドウ)とは行うことになる。

また、自分の性別に関しても、ツインレイの相手は「ぽいする」ので、相手にとって良い感じな精神に切り替わり、私たちの中へ再統合されていくことになる。

図の説明:別れにより統合されていく性別の影
図の説明:別れにより統合されていく性別の影

この過程では私たちのなかにも『犯罪的な自分』とか『サイコパスな自分』とか。相手の嫌な部分や嫌いな部分が自分にも存在していた(理性で抑圧している為、過去形となる)という事実を受け取っていくことになり、その吸収を行っていく。

そのとき、私たちは『相手を軽蔑している事実』や『相手を嫌っている事実』にも気づいていく必要性がある。

つまりなんだが、ツインレイの相手のことを私たちは嫌いなんです。嫌いだから別れがやってきたんですが、私たちは『嫌いになっていない』と思い込んでいている。しかし事実そこには「嫌いだからさよならをした自分」が存在していることに気づいていかなければならない。

私たちは『嫌いな部分を分離させ、外へ排出させた』んですね。その過程で私たちは『自分の裏側(理性で抑圧した影)』をここでようやく知ることになる。

いわゆるこれが『気づき』である。

なんと、影とは私が理性で抑圧した自分であって自分の本性そのものはまさに『これ』なのか、と知る。自分の本性とはサイコパスで犯罪者であり、まさかの自分の根源そのものがここにあったのか! ならば、相手を許さなければならない——とはならないです。(許すという概念すら、上から目線ですしな。だから『許さない』か『許す』かでいえば、対等性を持って『許さない』を選択し、影が自分へ再吸収されていく『自分を受け入れる』経緯がある。自分を許すと相手も許せますからね。自分のことを許せないし受け入れられないから『影』が発生する。)

図の説明:他者愛と自己愛が成立する
図の説明:他者愛と自己愛が成立する

ツインレイの過程で書いてしまったので少々複雑化してしまいましたが、自分という存在と他者という存在が循環するようになる——ということ。

他者と自己が循環するためには、先ずは『再吸収』する必要性がある。この再吸収の過程で私たちは自らのなかに存在している『影』を受け入れることで、自分が絶対的に受け入れられなかった自分を吸収する過程が存在しているということだ。

同じように『異性性(ツインレイ)』の相手も、自らのなかに存在する異性性であるとし、それを受け入れていくことでツインレイの相手を許せるようになる。

人間はずっとこれを行い、魂をこねこねしているということだ。

 

このこねこねしている段階で地上のツインレイは『相手を受け入れる』ことで、親の概念を吸収する。次に『自分の相手』を創造するわけでが大抵失敗する。理由だが「よくわかってないから」だと思う。

ツインレイの過程で、サイレント期間を呼び起こし「相手を受け入れる・愛する」過程で再吸収をする。再吸収をしたら、サイレントになり、再会のときには『二元性として分離させる』ようになる。

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二元性による分離とは

二元性による分離とは、従来、相容れることがないものを『相容れる存在として分離させることができる』ということだ。

善悪二元論の時には理性によって『嫌いなものを自己のなかから排除する』ことになるが、二元性の段階では自らのなかに嫌いなものが存在していない・理性によって抑圧していない段階によって分離させていくことになる。

自分を補ってくれる存在を分離させていく状態になる。

やりたくないことは「やらない」し、やりたいことを「やる」。が徹底されていくと、最終的に「やりたいくないこと」が分離していく。やりたいことだけが自分のなかに残るということだ。

やりたくないことが外部に発生しているが、それが「他人がやってくれること」になる。二元性による分離とは『補い合い』により生じ、補い合うときに『できる』『できない』ではなく『やりたい』『やりたくない』という分離になっていくため、より相手を受け入れやすくなる。

やりたくないことをやってくれる存在がそこにいてくれることになるからだ。

 

二元性とは『共存』であり『補い合い』になっていく。