三位一体とツインレイの構造と絶望、失恋のメカニズム(と、その他)

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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書きまとめる気がありません。頭のなかにある空論だけ乗せておきます。すべて出してしまえば、私の頭のなかは空っぽになる。


ツインソウル・・・子における経験(肉体におけるエディプスコンプレックスの経験)
ツインフレーム・・・精神における経験(理想におけるエディプスコンプレックスの経験)

 

ツインレイは三位一体の分離を起こし、三位二体にするため、三位による三度繰り返して失恋をする。

 

子(インターネット越し)における失恋・・・直にツインレイの相手と離別すること。サイレント期間の開始。

霊(精神)における失恋・・・サイレント期間中に一時的に瞬間的に接触し、お互いを認識するが離別をすること。

神(魂)における失恋・・・二度目の接触をするが離別をすること。神の座席の分離と、空を導き出すことにより分離させる。

 

三度の失恋と同時に、ふたりは三位一体を分離させる。分離させた後に絶望がやってくる。

ゆえに、三回の切り返しがツインレイにはやってきており、それはツインレイの失恋と絶望により認識される。

この三度の失恋と絶望により、ツインレイのふたりは『三位』を分離させ、互いの『二体』として形成することにより、ツインレイの分離状態となる。

 

神の座席を二つ作りだし、三位一体を分離させるために、最後の失恋をさせる。

その後、絶望にまみれていたが、分離感覚は絶望とよく似ている。

ゆえ、分離感覚を絶望として捉えやすい。

一度目の子における失恋時の分離感覚は『失恋した痛み』であるが、何度か繰り返しては痛みを解消する。肉体に依存した痛みである。

二度目の霊における失恋時の分離感覚は『うつ病の絶望の感覚』である。大きな絶望にまみれ「あ、これ、一歩間違えたら自害するやつ。」と感覚を覚える。明らかなる絶望的な感覚は二度目にある。

三度目の神における失恋時の分離感覚は『空虚と絶望の境界線』の感覚である。空っぽの状態の感覚と、そして絶望の感覚をさまように感じられる。

これにて三位の分離は終了する。

 

三位の分離がなされていないとき、ツインレイ男性はツインレイ女性側に甘えを発揮している状態である。繋がっているからこそ、甘えているということ。

三位のすべてを分離させた後は『自力ですべてひとりで行う』ということになる。

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闇は、自立をするように促される。闇とは孤独にあり、孤独である方が気が楽である。(闇は旧来依存的である)

光は、自律をしないように促される。光とは共存にあり、誰かと共にいる方が気が楽である。(光は旧来自律的である)

光と闇の状態が反転していた問題がある。闇は依存となり、光は孤立となる。

闇は依存の解消、攻撃性の解消。一人で生きていく覚悟(闇の女性)⇒闇のツインレイは自立的な二人により成立する。先に闇の男性は自立している。

光は孤立の解消、保守性の解消。二人で生きていく覚悟(光の男性)⇒光のツインレイは共存的な二人により成立する。先に光の女性は共存している。

男女反転していることもある。

自立的な二人、共存的な二人。それは同じことである。

闇には自分が弱いことを受け入れる強さが必要である。弱さ(一人で生きていくこと)を受け入れることが出来ないとき、人を攻撃し、依存する。

光には自分が強いからこそ弱さを出すことができる存在が必要である。強いゆえに弱さを打ち明けることが出来ないとき、孤立し、保守する。

どちらも等身大による自己認識が必要である。

闇が悪と言うよりも、本来ある生き方に戻るときがきた。それだけの話。

だけど闇は『自分が弱い(⇒自分は強いと無駄な誇示)』『自分が間違えている(⇒自分は正しいと無駄な主張)』という優劣意識が強く、またその劣等側の認識がこびりついている。

 

現象例 光の共存者のもとへ闇の依存者(否定者・肯定者)が集まる。これにて闇の刺客の成立である。


ツインレイのお役目の状態。

親子に関する闇の問題が『親にある』と発覚。ゆえ、彼くんのほうへ闇の問題が移行するため、彼くんが『すべての三位分離状態』で闇に立ち向かう。

自分には何もないことを受け入れる段階を過ぎ、次に彼はひとりで闇に立ち向かう。

夏頃に終了予定であるようだが、状況を知ることはない。私は彼を助けない。


神・魂による理解は、自身を最も強く客体化させ、抽象化させることにより状況を判断する必要性。

魂による性差の認識を取り払い、すべての魂がすべての同じ条件下に生まれている事実に気づく。

他者とはすべて自己の投影である事実に気づき、いかなる魂からも同一である理解を得る必要性がある。それが自身とはまったく関係がないと思わしき魂だったとしても、必ず共通点が存在している。

その共通点に気づくまで、客体となり抽象化させることにより、自身が今何をするべきなのかについてを理解する。

上下意識などにより共通点を理解できない場合、先ずはその上下意識に着眼し、その個そのものの存在について問う。結論は常に自身への結論である。今、与えられているものをすべて享受するために私たちは状況を分析する必要性がある。

闇への問題発起は常に、自身への問題発起である。他者を通し、自己を省みる。同じ金魚鉢で泳いでいる金魚たち。

 

例 こいつ、幻想のなかに浸っていやがる。⇒自分が幻想のなかにいる。

 

机上の空論であればいくらでも理論を立てることは出来る。しかし、これを『理解するのか』はまた別の話である。

自分をどれだけ認識しているのかの能力により結果は違う。これは知性に依存する視点か。いいや、自分に集中するものだけが得ることができる視点である。