小さな神さまがどれだけ現実的な人生を歩むあなたを愛しているか。
人は肉体を持っている存在としての意識がある。
そのうえに、霊体として肉体を持たないが、あなたの人生を共に生きる存在がいる。
それをハイヤーセルフと呼ばれていると思うんだが、私はこれを『小さな神さま』と呼んでいる。
あなたにだけに寄り添う、あなただけの神さまである。
その小さな神さまは、あなたを愛することで修行をしている。
つまりは、この霊体である小さな神さまを育てるべく、私たちは肉体を持って生まれてきているとも言える。
私たちは神ではない。しかし、常に神がそばについている。
あなただけの神が、あなたのためだけにそばにいる。
もし、あなたが苦しい人生を送るとき、同じようにあなたの小さな神さまは苦しい思いをしている。
もし、あなたが喜びの人生を送るとき、同じようにあなたの小さな神さまは喜びを感じている。
ちいさな神さまは、あなたがどんなことを感じようが、何を想おうが、あなたと同じようにあなたを感じている。
あなたの醜い嫉妬心。あなたの殺意。あなたの受け入れられないほどの大きな憎しみ。
そのすべてを神は共に感じ、あなたと共にある。
そんな神をあなたは愛しているだろうか。
ちいさな神さまは、あなたのなかで常に繋がっている。それが心である。
あなたが感じていることを同じように感じながら、あなたと繋がり、あなたを体感している。
これが神が持つあなたへの最大なる愛である。
あなたを愛している。だからあなたの苦しみと、あなたの悲しみと、あなたのすべてと共にある。
そこに神の意思がなくとも、ただ神はあなたを感じている。あなたには常にそんな存在がそばにいるのである。
神は人を愛している。人がどのような存在であろうが、あなたの心がいかに醜かろうが、あなたを愛している。
だから感じたらいい。ただ感じるだけである。
あなたがただ『感じること』をやめなければ、あなたのそばには神がいる。
神は、あなたが心を感じることから逃げ出さなければ、あなたと共にいる。
あなたが苦しみを感じているとき、その『感じていること』ことが神なのである。
いつしか、その感じることが出来るようになれれば、私たちはひとつだけ昇格を迎える。
ちいさな神さまは、自分のこと以外の誰かを愛する瞬間がやってくる。
我が子のように誰かを愛する心である。
あなたが誰かの心に感応し、あなたが涙を流すとき、それはあなたが誰かを愛する心である。
あなただけの小さな神さまが、あなた以外の誰かを愛しているとき、もしかしたら、あなたは放り出され、あなたを誰も守らないかもしれない。
だけれど、誰にも守られていないあなたになっていかなければならない。あなたは次には小さな神さまへとなっていかなければならないからである。
そうやって小さな神さまは、少しずつ大きな神へとなっていくのである。
あなたがあなた以外の誰かを愛し、丸ごとすべて自分を捨てられたならば、あなたは小さな神さまから大きな神さまになるのである。
子供を産むとは、そのようなことだし。結婚をするとは、そのようなこと。
あなたがあなた以上に誰かを愛するとき、あなたは少しだけ霊体が大人になっている。そうやって、小さな神さまであるあなたは育っていく。
私はひとつの一路をたどった。
私は私のこと以上に誰かを愛し、その誰かもまた私を愛してくれていることを知っている。
それは、この地上のことではない。この世界で、そのままの感覚を得られるわけではない。
もしかしたら、関係性は憎しみかもしれない。それは信仰の愛だと思う。
それでも、そんな世界が小さな神さまたちの世界には広がっている。
ただ、感じることがなかなか難しい。
ただ、受け入れることがなかなか難しい。
あなたが、あなた自身の想いを受け入れることが難しい。
それは、あなたがあなたの神さまを受け入れることが難しいのだ。
あなたの小さな神さまとは、あなたの心のことである。
あなたは、あなたの心が受け取れない。そこにはいろんな理由があるけれど、あなたがあなたの心を受け入れることが難しかったり、コツが掴めなかったりすることなのかもしれない。
あなたの小さな神さまは、あなたが苦しめばいいと思っているわけではない。
あなたの神さまは、あなたが幸せに過ごしてほしいと思っているし、あなたが愛のある世界で生きてほしいと思っている。
だけれど、この世は肉体があるから、それがなかなか難しい。自分を守る意識は、あなたの肉体を守ってくれるけれど、あなたの精神が守られているわけではない。あなたの神とのつながりを自分を守る代わりに断ってしまうことにも繋がっている。
あなたの小さな神さまは、あなたの苦しみを感じて、あなたの人生から苦しみをない方へ進ませたいと思っている。
だけれど、あなたはなかなかその苦しみを感じることができない。
なぜならば、つらいからだ。
あなたが辛いことが、あなたが一番に辛い。だから、あなたは、あなたの苦しみを背負うことができない。
でも、すべては「あなたの神」である。そこにあなたの神がいるのである。
そして、苦しみを受け取ったあなたの小さな神さまは、あなたの人生からの苦しみを少しずつ減らしていくだろう。
なぜならば、あなたに苦しんでほしいだなんて、あなたの小さな神さまは思っていない。
できれば、幸せに生きてほしいと願っている。それを叶えさせてほしいと思っている。だって、それはあなたの神だからである。
私は自分が何をしているのかをよく理解していなかった。
私は、あなたの小さな神さまに、あなたが何が辛いことで、何が嬉しいことで、何が嫌なのかを伝えているのである。
あなたがあなたのなかで留めてしまった気持ちを、分離してしまった記憶を、すべてはあなたのなかで滞ってしまった感情たちをすべてあなたの小さな神さまへ届けている。
さすれば、あなたの神も「あなた」を知ることができる。
私は神を愛している。あなたにも、神を愛してほしいと思っている。あなたのそばにいる一番に優しいあなたのためにだけ存在している神を愛してほしいと思っている。
神を愛するとは、あなたが感じている心を、ただ感じることである。
つらいならば、つらいと神に言ってよかった。
くるしいならば、くるしいと神に伝えてよかった。
でも、あなたは知らない。いつだって同じように感じてくれている神がいることを。
あなたがあなたの感じていることを、同じように感じている神がいる。
だから「感じたらいい」だけ。
あなたが苦しいことをただ感じたらいい。言い訳もせず、ただ、感じたらいい。
ただただ、神を愛せばいい。それは、あなたがいかなる思いをも実感し、いかなる感情をも愛し、いかなる感覚をも取りこぼさないことである。
もし、あなたが誰かを自分のこと以上に愛することがあったならば、それはきっと、小さな神さまよりも、もうひとつ上の神さまの感覚である。
あなたのなかにいる小さな神さまが、もうひとつうえの大人になろうとしているのであれば、あなたは、自分のこと以上に誰かを愛し、自分のことを放棄するような人生を送ることになるだろう。
その人生が少なからず喜びとなるわけではない。その人生は、あなたの悲しみと誰かの悲しみの重なった人生となる。
あなたは自分の悲しみや苦しみよりも、誰かの悲しみや苦しみを優先するたびにあなたは傷つくことになるだろう。
そして、その傷こそがあなたの名誉であり、あなたの喜びでもあることを知る機会に恵まれる。
あるとき、大きな神さまへと繋がった暁には、あなたは『あなた』を知る。
あなたがどれだけ神に愛されていたのかを知り、あなたがどれだけ神を愛しているのかを知る。
なんだかとてもこの世界は、苦しいから。やっぱりそこから逃げ出したくもなるんだけれど。
だけれど、忘れないでほしいと思うんだ。
神はあなたを愛している。
そして、あなたが感じている苦しみを同じように感じていること。だから感じることを忘れないでほしい。それが神に繋がることだから。
そして、誰かを愛さなくてもいいし、愛せなくてもいい。だけれど自分の人生を愛してほしい。
その人生を誰よりもあなたの神は愛している。そして、人生そのものがあなたの神であること。
そんな人生をひとつも後悔しないでほしい。あなたがあなたらしい人生を生きていること、その人生を愛している神を否定しないでほしい。
あなたのそばにいる神は、いつだってあなたを愛している。愛しているからこそ、自分を否定しないでほしい。
あなたがあなたを否定しているとき、神は同じように否定されている。同じように感じている。
人生を後悔しているとき、神は同じように後悔されている。神に生まれてこなければよかったと伝えているのである。
だから、あなたがあなたを愛することは、あなたのそばにいる神を愛することに繋がっている。
そして、あなたの小さな神さまが、あなたから離れ、大きな神さまになるのであれば、見送ってあげてほしい。
あなたがあなたを否定してほしい。あなたがあなたの人生を全否定しては、ここから神を開放して見送ってほしい。
あなたが小さな神がいなくてもやっていけることを、誰かを愛することで証明してほしい。それが自己否定であり、自己犠牲である。
そのとき、あなたは小さな神となり、愛した誰かを産み落としては、あなたの人生を新しく切り拓くことになるだろう。
今までの神をこの世に縛り付けることがないように、あなたはあなたの願いを自分で叶えていくことになる。