神へと繋がる美しい心
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『美』という字は、大きい羊で、神への貢物とされている。
私は、この字を貝殻だと思っていました。
巻貝を耳にあてると、海の音が聞こえる気がする。そんな心が美しい——という意味だと思っていました。
私のなかで神への貢物は、心で捉え、その情景を美しいと思う心なのだと思います。その心が神を捉えるのだと思います。
私が美しいと思ったもの。
私の背中に咲いた花のような発疹。
散歩道の桜の木の下に降る雨。
神社で舞い散るイチョウの葉。
姪っ子といっしょにみた桜吹雪。
テトロドトキシンで死にかけたあと、背中に大量の発疹がでました。
背中に咲く花のように見えました。
そのとき「なんて、病は美しいものなんだろう」と思いました。
毒を食す直前に、作務衣さんが夢に出てきて、毒を知らせてくれていました。
これは神に盛られたのだと思っています。私の自己犠牲の確立時でした。一度、死ぬ経験をする必要性があったように思います。
神が関わるものを私たちは美しいと思うのかもしれません。
数多く体験したことではありませんが、これが私の知る神です。
古来の人たちは、この景色に神を見つけたのだと思います。