ツインレイの愛する側の愛情と破壊の関係性
ツインレイには『母体側のツインレイ』と『子側のツインレイ』によりツインレイのカップリングが成立し、母体側と子側のツインレイのどちらかにより愛情の形が違ってきます。
ツインレイはツインレイを愛していますが、ツインレイの愛し方はまるで違い、また最終的にどのような形に愛情を形成していくことになるのかは違います。
このとき、ツインレイ男性とツインレイ女性という分類に分けることは出来ず、どちらがどちらの役割をしているのかはわかりません。
言えることは『ツインレイの片方が愛される側』であり、『ツインレイの片方が愛する側』というカタチでツインレイのカップリングが形成されているということです。
これはツインレイの男女が『ふたりが愛し合う』関係性にいたる少し前の関係性に当たります。
ツインレイを愛する側と愛される側の分類方法
ツインレイは先ず母体が生まれ、次に子となる形でツインレイの片割れが生まれます。
以下、魂の生まれ方についてを引用しますが、ピンク側が『母体となるツインレイ側』であり、水色側が『子となるツインレイ側』となります。
ツインレイの魂が生まれるとき
ツインレイの霊魂が生まれる経緯の図表 1.ツインレイの魂の核 2.神が意識を入れこむ 3.第一感情を得る 4.意識を反転させる 5.第二感情を得る 6.ツインレイの霊魂が完成する
ツインレイは一度にバッとふたつの魂が生じるのではなく、順番を持って魂が発生することになります。
このようにして生まれることになったツインレイの魂は母体側のツインレイの魂が子側のツインレイの魂を愛し、子側のツインレイの魂は母体側のツインレイの魂を愛されるという関係性となります。
- 母体側のツインレイの魂は愛する
- 子側のツインレイの魂は愛される
このふたつの関係性のどちらかになることがツインレイとなっています。
しかし、この関係性は先ず破綻することになります。
なぜならば、世での関係性ではツインレイは『破壊される側』と『破壊する側』なんですね。
- 母体側のツインレイの魂は破壊される側
- 子側のツインレイの魂は破壊する側
この関係性を先ずは解消せねばならず、ツインレイのふたりの関係性は先ず『破壊』に始まり、次にようやく『愛』が生まれます。
この破壊についてですが、本当に破壊されます。各々が感じる破壊は違うかと思いますが、破壊されるとバキッとなって中から愛情という名の本音が溢れてきます。
出会い | 再会後 | |
---|---|---|
母体側のツインレイ | 破壊される | 愛する |
子側のツインレイ | 破壊する | 愛される |
さて、このふたりのツインレイの関係性、少々『愛される側』が徳をして『愛する側』が損をしているのではないか——と感じられる方がいらっしゃるかもしれませんね。
実際、全然そんなことはありません。
ツインレイを愛する側の愛情のカタチ
ツインレイを愛する側の心理として、先ず『ツインレイが存在しているだけで正義』となっています。
ツインレイが何を選択しようが、何をしようが、けっきょくすべてにおいて存在が正義なので、ツインレイ自身をことごとく愛することになります。
愛でるという言葉が正解かもしれませんが、ツインレイがそこに息をしているだけで萌えるような感覚があります。
しかし、そんな彼らにとってツインレイの相手に対して物凄く嫌なことがあります。それはツインレイの相手が自分らしく生きていないこと——です。
- ツインレイの相手が自分らしくいてくれないこと
- ツインレイの相手が謙虚でいること
- ツインレイの相手が泣くこと
- ツインレイの相手がシュンとしていたりすること
けっきょく、ツインレイの相手が『そのままでいてくれないこと』が物凄く嫌悪感に繋がります。
ツインレイの相手に嫌われたくない。そのように思っている子側のツインレイは母体側のツインレイへ媚びたりもしますし、落ち込んだりも極度にあります。
しかし、その姿がものすごくツインレイの母体側は嫌だったりします。
なんで自分らしくいてくれないのか、どうしてそのままを愛させてくれないのか。
母体側のツインレイが持つ強い葛藤は『そのままの君を愛したい』にあります。
しかし、子側のツインレイの人生は、自己の喪失にもあり、自分らしく生きることが出来ないことにあります。そのように生きることで自分を失っていくんですね。
自分を失うことになった子側のツインレイに物凄くいら立ちを見せるのが母体側のツインレイです。
愛しているんですね、そのままのツインレイを。しかし、そのままではないツインレイを愛することは出来ず、ツインレイの相手が愛情を受け取ってくれないことに自己の破壊を感じられます。
母体側のツインレイが破壊されるとは
子側のツインレイをひたすら愛している、そのままを愛している母体側のツインレイは、出会った当初から子側にありのままでいてほしいと思っています。
怒っている姿を含め、泣いている姿やすべてにおいてを愛している母体側のツインレイは、子側のツインレイが自分らしくない行動をするたびに愛情を受け取ってくれていないと感じられます。
ヤキモチを焼いたりすることなどもありますが、子側のツインレイは母体側の顔色をうかがい、母体側の思い通りになれないことに対してやヤキモチを焼くことは辛いことと思い、落ち込んだりする姿にも腹を立てたりすることがあります。
母体側のツインレイはヤキモチさえも愛情であり、その愛情を受け取ってほしいと考えますが、実際、その愛情を受け取ることが出来ないのが子側のツインレイです。
母体側のツインレイは、子側のツインレイを愛すれば愛するほど、子側のツインレイが愛情を受け取ってくれないことに自己嫌悪に陥ります。
凄まじいほどの葛藤を抱きます。そして、子側のツインレイを愛しているけれども、どうしても愛情を受け取ってもらえないことに感情や精神を含め、すべてがグチャグチャになっていきます。
最終的に、母体側のツインレイは、精神を破壊されます。
そして、サイレント期間へ突入していくことになります。サイレント期間は子側のツインレイにとってのステージでもあるんですね。
母体側のツインレイは精神を破壊された段階で完成となります。これにて『本当の意味で愛すること』が出来るようにもなっていきます。
しかし、子側のツインレイは愛情を受け取る準備が出来ていません。今度は子側が変わっていかなければなりません。
母体側のツインレイの愛情とは
もし、この愛情を献身的であったり、自己都合的に感じられ、『ただひたすら愛されているだけ』というのであれば、それは間違いです。
ただ、ツインレイの相手を『ツインレイであるがままであること』を望み、また、ツインレイの相手は自分の人生を歩むことに対して添うような人生を考えるような立場です。
いわば、母体側のツインレイは自分をツインレイの相手へ渡すようなことを行っています。
ツインレイの二人は母体側が当初『自己』でした。自分が母体側にあったんですね。
ゆえ、ツインレイの母体側が自己愛を形成した段階で、子側へ自己を受け渡し、子側のツインレイが母体側にとっての自分となっています。
つまり、母体側のツインレイにとって子側のツインレイはいつか愛した自分がそこにいるような状態なんですね。
人が持ち得ることができるのは『自己愛』である自分を愛する力と、そして『差別愛』である自身のなかで選りすぐられた存在をひたすら他者と差別的な扱いをし、好きになる程度です。
そして、ツインレイは自己愛を形成させ、その後、もっとも愛した自分が他所からやってきたとき、それが『自分』なんですね。
ツインレイはツインレイを愛していますが、それは自己愛の沿線上にある他者愛という差別愛なんですね。
そして、その究極の差別愛をツインレイの相手に注ぐことになるのが母体側のツインレイです。
母体側のツインレイは、子側のツインレイに『自分に影響されないでほしい』と思っています。
そして『ほかの誰かに影響されずに自分の道を生きてほしい』と感じています。
これは母体側のツインレイが自己を持ちながらも、人に影響され、ほかの誰かの人生を歩むことを選ぶことにあります。
母体側のツインレイは子側のツインレイの人生をすべてにおいて丸ごと受け入れたいと思っています。どのような失敗をしてもすべての責任を母体側のツインレイは背負いたいと思っています。
子側のツインレイの失敗は母体側のツインレイの失敗と捉え、そしていっしょに生きていきたいと思っています。
それは、子側のツインレイがどれだけ人の人生に流され、どれだけ人の為に生きたのか——。それにより変わってきます。
子側のツインレイが周囲の人間に尽くし、愛してきた量だけ。またはそれ以上のものを母体側のツインレイは子側のツインレイへ尽くし、子側の人生と人格そのもの。まるごとすべてを愛そうと考えます。
母体側のツインレイにとって子側のツインレイは、我が身そのものであること。
もし、これが『愛』だと言うのであれば、確かに愛ではありますが、ツインレイ限定かと思いますので究極の差別愛です。
また、もし、子側のツインレイが自分らしく振舞っていない、誰かとなり自分を偽る。また、子側のツインレイが自分の思い通りになるようなことがある等あると、母体側のツインレイは苦しみます。
愛しているのです。ありのままのツインレイを、そのままを愛したいと思っています。
ツインレイを愛するために怒りたいけど怒れない
ツインレイを愛したいと思っています。常にそうじゃないと怒りたい衝動にかられます。
しかし、怒ったらツインレイの相手が「母体側のツインレイはどれが望みなの?」と考えます。
母体側のツインレイがのぞんでいることは『自分らしくしていてほしいこと』であり、自分の犠牲者が欲しいわけではありません。
母体側のツインレイは怒りを抱えますが、怒れません。
怒ったら、本当の望みから遠のくことになる。ツインレイがツインレイらしく生きていてくれたならば、それだけで幸せであり、泣かせたいわけでも落ち込ませたいわけでもないのです。
しかし、子側のツインレイは怒りの意図を理解できません。
常にすれ違い続ける悲哀がツインレイです。
ツインレイの愛される側の愛情のカタチ
人生で子側のツインレイたちは、人の為に尽くすような人生を送ってきました。元来『自分』というものが薄いです。
いわゆる周囲に流されやすく、また自分らしく生きることが出来ない人生を送り。また、愛していると言われても、本当に愛されるような人生を送っているのかといえば、愛を象った虚偽の愛を受け取りながら自己のビジョンを生み出していくために、自己の形成があやういです。
このように子側のツインレイは、人に影響され、また、人に気を使い。言葉悪くすれば、人の犠牲者となりながら生きてきています。
子側のツインレイは常に人に影響を受け続けているので、本当の意味で愛されたことがありません。
ツインレイの相手が初めてかと思います。
そして、ツインレイの相手に愛され、本当の自分でいていいのだと知るのもこのときが初めてかもしれません。
しかし、ツインレイの相手に愛される覚悟も、ツインレイの相手に受け入れてもらう覚悟も整っていない子側のツインレイは常にツインレイの顔色をうかがい続け、苛立ちを与えていきます。
子側のツインレイは、ツインレイの相手を愛していますが、人を愛する方法は常に『人の思うとおりになること』でした。
ツインレイの相手が望むような『自分らしく振舞うこと』ではありませんでした。
子側のツインレイが破壊するとは
母体側のツインレイを破壊するに至るまでの子側のツインレイは、母体側のツインレイの意図を汲み取ることが出来ません。
子側のツインレイは母体側のツインレイが何を言っているのか、自分を今まで優先することなども許されてこなかったためにわかりません。
子側のツインレイがする母体側のツインレイへ行う愛情行動は、常に『あなたの為を想って』です。
しかし、母体側のツインレイは子側のツインレイが自分のために生きることを望んでいません。なんなら、自分の為に何かをするたびに物凄く嫌な感覚を覚えていきます。
子側のツインレイがしたいようにする。生きたいように生きる。母体側の願いは常に裏切られ続け、常に子側のツインレイが母体側のツインレイを刺激し続けると、最終的に母体側のツインレイが破壊されます。
子側のツインレイは無自覚に、今まで通りに接し、しかし、恐怖を感じ、一歩引きながら母体側の願いを叶えようとすればするほど、母体側のツインレイが破壊されます。
子側のツインレイの愛情とは
子側のツインレイが持つ愛情は『自分らしくある自信を持つこと』です。
愛される側である子側のツインレイが自分らしくいてくれることが母体側のツインレイの喜びであり、自分の勲章でもあります。
つまり、子側のツインレイが『自分を維持し続け、自分であり続けること』が子側のツインレイの愛情になるんですね。
また、そのとき、怒ったり泣いたり、活き活きとしている姿を見て母体側のツインレイは安心感を覚えます。
子側のツインレイは『愛されること』が出来るようになっていくことになり、愛を受け取ることが愛情になります。
愛を受け取ることが子側のツインレイのテーマであり、子側のツインレイは『愛されるために自分らしく生きる必要性』があります。
ツインレイの愛の違い
子側のツインレイは、自分の人生を生きるうえで愛情を受け取る立場にあり、母体側のツインレイは、ツインレイの相手の人生を共に生きるうえで愛情を与える立場にあります。
喜びも違います。
子側のツインレイが喜ぶことが母体側のツインレイが喜ぶことです。
子側のツインレイは自分の喜びを突き進んでいく必要性があります。
主軸は子側のツインレイにあり、母体側のツインレイはそれに沿うようにして存在しています。
人生として子側のツインレイは『他人の人生を生き、ツインレイと出会い、自分の人生を生きる』ようになり、母体のツインレイは『自分の人生を生き、ツインレイと出会い、ツインレイの人生を生きる』ようにシフトチェンジしていくことになります。
子側のツインレイは、自分の人生を生きることにより『自分らしくなる』んですね。
母体側のツインレイも同じこと。ツインレイの人生を支えることにより『自分らしくなる』んです。
この愛情の違いは、子側のツインレイと母体側のツインレイの精神性や魂の型の違いでもあります。
子側のツインレイはいつかの自分
そのいつとはわかりません。過去・未来・現在のどのタイムラインの自分なのかわかりません。
しかし、子側のツインレイは母体側のツインレイにとっての『自分』です。
ツインレイは反転しています。
子側のツインレイが本当に必要とするものが母体側に存在しており、母体側のツインレイが本当に必要とするものが子側に存在しています。
そして、自分がどのように生きたのか——。その結果がツインレイとして現れます。
これは人生の転換期でもあります。
過去の自分が目の前に現れます。
あの日、あのとき、自分らしく生きた母体側のツインレイは、自分らしく生きてくれる子側のツインレイが現れます。
母体側のツインレイにとって自分らしく生きることは辛いことでもありました。やりたいことなど何もありません。
あの日、あのとき、誰かのために生きた子側のツインレイは、自分のために生きてくれるツインレイが現れます。
子側のツインレイにとって人の為に生きることが辛いことでもありました。やりたいことがたくさんあります。
ツインレイは人生のご褒美です。
愛し愛され生まれてきたはずが、誰にも愛されることがないツインレイたちはようやく行き着いた先にツインレイの相手を見つけます。
それは今までの人生の集大成であり、そこに『自己愛』、または『他者愛』の道が存在し、自分の楽なほうではなく、辛い方を突き進むことができた人生を生きた人にとってのご褒美がツインレイです。
ツインレイは自己愛と他者愛の人生の交差点です。
もし、過去の自分を好きになれないと
過去の自分がツインレイです。
子側のツインレイは、自分が他人にしたことをツインレイからやられることになります。
子側のツインレイは、他者の人生を生きることが目的でした。ゆえに、他者の人生、人の思い通りに生きるように心の柔軟性を持つことが出来、子側のツインレイはツインレイの相手に自分の責任や自分の問題を共に背負ってもらえ、また共に生きる決断をされます。
人の為に生きることが出来なかった子側のツインレイは、自分の為に誰も犠牲になってもらえません。
母体側のツインレイは、自分が自分にしたことをツインレイからやられることになります。
母体側のツインレイは、自分の為の人生を生きることが目的でした。ゆえに、自分の人生をあゆみ、人の思い通りにならない自分らしさを見つけていくことが求められています。
人に染まらず、自分らしさを追求し、また向上し続け母体側のツインレイは、誰かの責任を背負うことの喜びを知っています。