ツインレイの三位一体構造と自己統合
ツインレイの自己統合とは、精神的な自己統合と三位一体構造的な自己統合が存在しています。
精神的な自己統合とは、精神領域における分離してしまっている自己をひとつにまとめていくことを意味しています。
しかし、それだけでは精神領域のみとなってしまい、魂領域からみた自己統合を理解することが出来ません。
今回は、三位一体構造によるツインレイの自己統合を説明していきます。
ツインレイの精神的な自己統合とは
私はツインレイの自己統合に必要なものを、
- 感情的な自律
- 社会と自己の統合
このふたつが出来ることが自己統合に繋がっていると判断しています。
私は『感情的な自律』をツインレイ女性が担い、『社会と自己の統合』をツインレイ男性が担っているのではないかと考えてます。
ツインレイ女性は自己のなかにある天使と悪魔の自分を繋げるもう一つの視点を得る必要性があり、ツインレイ男性は社会と自己により劣等感や優越感という優劣意識を統一させるもう一つの視点を得る必要性があります。
ツインレイのふたりで行う自己統合
ツインレイのふたりで行うことになる自己統合という仕組みがあります。これを4次元統合4次元統合と呼んでいます。
その仕組みは、ツインレイの相手のエゴは自分自身がツインレイを信じることにより消失することになっているという仕組みです。
ツインレイ女性は、ツインレイ男性のもとへエゴを送り込んでいます。
ツインレイ男性は、ツインレイ女性のもとへエゴを送り込んでいます。この関係性は、ツインレイ女性はツインレイ男性を擁護し、ツインレイ男性がツインレイ女性を擁護している——ということです。
引用:ツインレイの4次元統合
ツインレイの三位一体的な自己統合とは
前述しているツインレイの精神的な4次元統合が行われていく過程の裏側では、三位一体構造による自己統合がなされています。
この三位一体的な自己統合とは、もちろん精神的な自己統合をも説明することは出来ますが、同様に『魂の存在の構造』を理解することにも繋がっています。
この記事にて書いていくツインレイの自己統合のお話は『魂的な側面を持つ自己統合サイドからの説明』ということになります。
まずは三位一体についてを説明していこうと思います。
三位一体の形式上の説明
三位一体は『父』『子』『霊』により構成されています。
この三つが『一体である』という話をしています。バラバラになることはありません。
『父』『子』『霊』が一体の神を構成しているということです。
こちらの思想は、キリストに関する系列で伝えられている教えです。また、三神が三位一体を表している等はキリストでは否定されています。
つまり、父役の神がいる、子役の神がいる、霊役の神がいると役割分担されることはありません。同様に人も役割分担されることはありませんし、ツインレイも役割分担されることはありません。
もう少し詳しく説明していこうと思います。
父 | 子 | 霊 |
---|---|---|
父なる神 | 子なる神 | 御霊なる神 |
創造主の神 | イエス・キリスト | 聖霊 |
それぞれ、役割分担がなされていますが、この三つが揃って『ひとつの神である』という考え方です。
そのなかに三つの人格を宿しているような感覚でしょうか。
父なる神 (創造主の神) |
この世のすべてを造った全知全能の神を指している。 10次元の時間の概念のもとに生きている神のこと(造化三神、ヤハウェ等) |
---|---|
子なる神 (イエス・キリスト) |
人間の姿をしている神の分霊、地上の救いの主。創造主である神の子のこと(イエス・キリストのこと) |
御霊なる神 (聖霊) |
キリストを信じた者に宿る神の霊。 |
このように図表してみても、なかなか理解することが難しいです。
なぜならば、この世の概念からは少々かけ離れているので、理解することが難しくなってしまいます。
ので、私流にもう少し人に寄り添った形で説明してみたいなと思います。また、説明はしてみますが、それが『的を得るのか』というと外してしまいます。
なぜならば、人の言葉を伝えるにあたっても、神の概念を伝えることはなかなか難しいからです。それを踏まえて読んでほしいと思います。
三位一体を詳しく解説
まず、前述の三位一体の説明で『父』『子』『霊』という人格がそれぞれ『ひとつの個体を形成している』ということはわかりましたでしょうか。
それを三位一体ではイエス・キリストという形で説明をしていますし、内容的に救世主という言葉が『子』の役割に当てはめられてしまっているが為に、わかりにくくなってしまいがちな概念となってしまっています。
その点を気にしながら説明します。
さて、この世の魂はすべて神が創造しました。
三位一体の『父』『創造主の神』の解説
私たちは神に対して『父』という認識を持つことがありますでしょうか。
正直なところ、私個人的にも『神は父である』という認識を持つに至るまでには随分長い年月が必要でした。
しかも、神の概念をしっかりと理解せねばならない。
その点を説明することができれば、少しは理解しやすいのではないかと感じています。
神とはたくさんいるために、私たちは神をひとつにまとめて理解してしまいがちです。
神という肩書きをもった神が多すぎるということです。
このなかで私は、二つの層に分けて神を理解しています。
『大神』と『神』です。ざっくりすぎてよくわかりませんね。
神 |
天照大神・邇邇芸命など |
---|---|
大神 |
造化三神・ヤハウェなど |
単純に説明するとこのような形になっています。
つまり私たちの魂は大神が創造したということになります。そしてこの地球に関する空間なども大神が創造しています。
創造主の神とは『魂』を創造している・地球という空間を創造している神ということになりますので、この造化三神やヤハウェの神が適応されてくるんですね。
ほかの7~8次元層にいる神々たちを、創造主の神へと定義することはできません。
なぜキリストが創造主の神であるヤハウェを『父』としたのか?
それは、魂における視点からすればキリストにとって父であったからです。魂の血縁があったとでも捉えられましょうか。
三位一体の『神の子』『イエス・キリスト』の解説
この世に生まれてきた神から零れ落ちた魂——ともいえるイエス・キリストを表しており、救世主とも言われている立場の神の子です。
私はこれを『この世の肉体』とも捉えています。
つまり、肉体があるからこの世に存在しているので、この世に存在していることを『神の子』として表しています。
私たち固有(人間)をこの『神の子』として定義することも出来ますが、前述通り、神の子だけでは存在が出来ませんので『父』『聖霊』を内包しているのが神の子です。
三位一体の『聖霊』の解説
正直なところ、これが一番説明が難しくなってくる点になるかと思います。
聖霊とは『信仰心』です。そして、神に対しての信仰心により、神によるエネルギーや力を受けることができるということです。
私たちは、神のエネルギーを受け取るツールを『信仰心』という形で聖霊を必要としています。
この聖霊が宿るには『信仰心』が必要であり、信仰心があれば神のエネルギーをわけていただけるんですね。
その信仰心と、信仰心から得られるエネルギーを『聖霊』としています。
例えば「これってどういう意味なんだろう」とか、ふと思うと「こうだよ」と直感的に回答が降ってくることがありますが、これが『聖霊』です。本質を常に教えてくれるツールが『聖霊』にあたります。
これは『霊感』とは別になります。
たとえば、霊がみえる、直感が冴えていることなどを指しているわけではありません。
元来、自分自身にとって必要なことのすべてを聖霊というツールを通し、神にお伺いを立て聞き出すことが出来たり、神が力を分けてくれるだけのツールを持っていることであり、霊感や直感とは違ってきます。
霊能者などのなかにも種類がありますが、負のエネルギーを使った霊能者と神のエネルギーを使った霊能者が存在しています。
前者と後者は雲泥の差が生じます、しかし、現象そのものは同じように思われますので同列に扱われてしまいやすいです。
『一体』の解説
神 | 魂を創造した、魂にとっての父 |
---|---|
子 | 魂の父という神により生まれた子(私たち) |
霊 | 父に対しての信仰心をもつと得られるスピリチュアルな能力 |
この三つを一つに捉えることにより『三位一体』の完成となります。
子となる私たちが神に対しての信仰心をもつことにより霊的な能力を得ることができる、本質的なことや神により教えてもらえる内容が増えてくるような状態になっていきます。
三位一体とはキリストについて表しているわけですが、私たちのような取り分けて平凡な人間たちにも三位一体構造を模すことはできます。
ツインレイは三位一体を自己統合としている
ツインレイは自己統合する——と言われており、『自己分離』を自己統合すると言われています。
しかし、多方面からのアクションでは『三位一体構造』を造ろうとしています。
この三位一体を持つことにより、霊的な——もとい、神によるエネルギーを授かることが出来ます。
ツインレイ女性はよく『霊感的に優れるようになる』等言われていますが、それは神のエネルギーを授かることにより、三位一体による『聖霊』を得ることができたということになります。
ツインレイの方々にたいして、もう少し三位一体をツインレイ的に理解していけるように説明しようかと思います。
自己統合という三位一体とは?
子 | 霊 | 父 | |
---|---|---|---|
次元 | 3次元 | 4次元 | 5次元 |
定義 | 肉体 | 精神 | 無意識 |
意識 | 欲求 | 自制心 | 本心 |
この世は3次元~5次元により構成されています。
子となる肉体がこの世にあり、
精神となる霊がこの世の肉体に宿る魂であり、
父となる無意識が夢の世界にあり、自分自身では自覚できない領域に存在している。
このような感覚に捉えられると凄くわかりやすくなるかと思います。
では、ここで肉体を欲求と捉えたとき、霊は自制心となり、無意識は本心となってきます。
欲求は自制心により自制され、本心も自制されてる。
よって、『行い』『言葉』『心』が不一致となる現象が生まれています。
それが元来のこの世の仕組みとなっています。
この『行い』『言葉』『心』をひとつにまとめていくことが三位一体から考えられるツインレイの自己統合となります。
三位一体は神がこのように構成されている人格について——ということですが、ツインレイは最終的にこの三つを整えることにより、神人へとなっていくことが求められています。
ツインレイは『意志・意思』を取り戻す
この三位一体構造は『神』の構造だと言われていますが、私はこれでは足りない——と感じています。
この世では社会と自己におけるひずみが生じます。自己のなかで他者に合わせていく心がなければやっていくことがなかなか難しいところがあります。
ツインレイの方々も、この世に適応するために苦労した方々も多いのではないでしょうか。
『行い』『言葉』『心』に対し、神が用意してくれたものです。
では人は、何をしにこの世に生まれてきたのでしょうか。
私はそれを『経験をつみに』と言っていますが、傍ら『何の経験を?』と問いかけてみれば『意志や意思を培うための経験をつみに』ということなのだと思っています。
精神的に成長していくために経験を得ようとしている私たちは、この人間社会で『意思・意志』を学ばなければなりません。
三位一体 | 子 肉体 |
聖霊 信仰心 |
神 | |
---|---|---|---|---|
〇従来 | 行い | 言葉(心) | 意思 | |
×従来 | 欺瞞 | 嘘(嘘心) | 無神 | |
〇本来 | 行い | 言葉 | 意思(心) | 神 |
×本来 | 欺瞞 | 嘘 | 虚(無心) | 無神 |
従来という部分では、ツインレイと出会うまでの魂としての人生です。
本来という部分では、これからのツインレイとしての魂としての存在です。
×の方向性に進む人あらば、本来ある形に進む人たちもありました。
聖霊の部分では、神と個人を結ぶツールとなっている信仰心が当てはまりますが、神を信仰している人たちは『言葉』を当てはめることが出来ました。
しかし、神を本心で信じていない人たちは、上っ面の部分で嘘を告げるようになりました。
本心で信じているかどうかにより、これからツインレイとして魂の存在がどのようになるのか——が変わってきます。
上っ面の部分でしか言葉を並べることのない人たちは、ツインレイと出会い、欺瞞・嘘の世界へ入っていきます。神は味方をせず『無神』となります。
そして、聖霊として扱われている信仰心もありませんので、心が無くなります。
その存在は『欺瞞』と『嘘』だけになります。
ツインレイは三位一体による自己統合をすることにより、その後、ツインレイとしての本質が赤裸々になっていくということです。
反面、意思や意志という意識的に自分をコントロールしてきた人たちは、自制心を強く持つことが出来るようになっています。
ツインレイは三位一体を完成させる
キリストが三位一体構造をしている状態でした。
ツインレイは人間の転生最後——と言われる所以は、次に『神となる』という定義のもとにあります。
ツインレイも同じような精神構造となっていくことが求められています。
ツインレイ女性は特に信仰心を持つ人も多く、スピリチュアル的なことを好む人も多かったと思います。しかし、同様に『心の底から信じていたのか』というと懐疑的な部分が多く在る人たちも多いです。
なぜならば、元来あるスピリチュアルには問題があったからです。
上っ面な感謝を述べ続けることは嘘を吐き続けることでしたし、神だと言われているものも『では神とは何か?』と考えてみても、神が何かを知ることはありませんでした。
つまり、信じることにはなかなか難しい話を信じろと言われているようなものばかりです。
人は『信じられると思うモノだけを信じればいい』わけであって『人が信じられるよっていっているから信じる』というのは、他者に押し付けられているスピリチュアルとなっていました。
そういったものを信じるぐらいならば、信じないほうがそれは人として正しかったということです。
私はそこまで神について盲目的に信じているわけではありませんでした。信じている——というよりも存在していると認識することができるようになったのは、神の夢を頻繁に見るようになってからであり、神というものをよく知ろうとし始めてようやく理屈がわかってきたようなものです。
理屈が通らない・理解できない=すばらしいものなのだ!
と認識する人もいますし、
理屈が通らない・理解が出来ない=それは間違いである!
と認識する人もいますが、どちらも私は間違いだと思っています。
私は『わからないことはわからない』へと分類し、いつかわかるかもしれない——という枠組みに入れておく多様な視点を持つべきだと思っています。
このツインレイが三位一体を構成するにあたり、この『わからないことはわからない』へと分類し、自分自身がどう感じているのか、どう思っているのか? の本心に気づいていくことはとても重要なことだと思います。
ツインレイの人たちはスピリチュアルに懐疑的であるべきだと思うのは、私はこの点を考えての事です。
三位一体構造には『聖霊』という部分があり、とてもスピリチュアル的な側面を持っています。
神のエネルギーを使うことや神と交信することをさしていますので。
しかし、それはスピリチュアルに傾倒することではありません。
私たちツインレイが来世になるであろうとされている『神』ですが、神はこの地球を管理している存在です。
そもそも人を熟知しており、この社会を理解している段階における人たちを指しています。
つまり、この世の現実を放棄し、スピリチュアルに傾倒し続けている存在がどうして神になれようか? ということです。
どんなに素晴らしい霊能力を持っていても、現実に適応していくことが出来なければまるで意味がありません。
私たちは『この世で生きていく』ことをまず基盤に考えるべきなんです。
それは『まずはスピリチュアル的に生きる』ことではなく『しっかりと生きていくこと』を考えていかねばなりません。
三位一体構造は現実性を放棄したうえで成立しているわけではありません。
信仰心とは?
三位一体は、現実を放棄したうえで成立しているわけではないと書きました。
私は『聖霊』を『信仰心』ともしています。
神を信じる心が神と自分を繋げてくれている——と。
さて、その信じている心となる信仰心を別に持たなくても大丈夫なんです。
実際のところ、信仰心とは『心』そのものです。
自身のなかにある『良心』を指しています、その良心に従うことが出来ていますか? ということなんです。
自分自身の心に従うことが良心に従うことです。
もし、感情を心と間違えているのであれば、それは以下に説明しているフロイトのイドにあたるものです。
自身の持つ本能的な感情ではなく、良心に従うことが信仰心となり、それが心です。
神に与えられた良心を大事にしていくことが信仰心です。
また、神に与えられた良心を大事にしていかないことが「無神」です。
それは自分の持つ感情を優先し続けていくことです。
感情を優先し続けていくことで神からは遠のいていき、心を喪失していきます。
心を喪失することにより、神を失います。
フロイトと三位一体構造
フロイト 精神 |
イド | エゴ | 超エゴ |
---|---|---|---|
原始的な欲求 | イドとエゴの仲介役 | 優等生の自分 | |
無意識 | 意識・無意識の中間 | 意識 | |
三位一体 魂 |
子 | 聖霊 | 神 |
人間 | 人と神の仲介となる信仰心 | 神 | |
意識 | 意識・無意識の中間 | 無意識 |
このようにフロイトの思想と三位一体構造を合わせて読むことも出来ます。
このとき、無意識と意識が反転していることがわかるでしょうか。
精神におけるアクションをかけると、人間そのものは『無意識である欲求』をさしていますが、魂からは『人間そのもの』を指しています。
また、精神からは『優等生の自分は意識的な表の自分』により発生している部分が『無意識領域の神』ということになっています。
精神構造と魂からみた精神構造とは真逆になっていることが分かります。
ツインレイは『欲求を意識下』『表層を無意識下』に
ツインレイが求められている自己統合のひとつとして『欲求を意識下に置くこと』であり、『表面的になる自分を無意識下に置くこと』になる必要性があります。
これは、自分自身が「本当はどうしたいのか?」「本心はどこにあるのか?」を意識下に置くことにより、自分の本心に気づいていく必要があるということです。
そして、自分がなりたい理想そのものを『自分』として捉えることが表層を無意識下に——ということになりますが、実際は『等身大の自分であり続けること』が求められています。
なにかひとつ意識をすることもなくとも、自分は自分であり続けることにより人は『自分』になることができます。
超自我とは元来『人に教えられた躾』や『人から学んだこと』『空気を読む』『善い自分であり続けること』などを表していますが、それは『他者』であり『自己』ではありません。
本来ある自分であり続けることが許されるのがツインレイです。
しかし、このとき、自分自身のなかに『意思・意志』というものが育っておらず、他者との自己の歪みが生じてる場合、本来ある自分であり続けることは許されない状態になっているかと思います。
何かしらの障害が生じ、自身のなかに在る自己分離したものが体現されていくことになります。関係性は破綻しやすく、ツインレイの相手ともうまくやっていくことはなかなか難しい状態になるかと思います。
なぜならば、ツインレイの相手は自己分離している象徴を持ち続けている存在であり、仲介役である自己のなかにある『エゴ』と『聖霊』が育たなければ、関わることが出来ないということです。
自己のなかで分断されているものがあればあるほど、ツインレイの相手は離れていくことになります。