人間輪廻マップから魂輪廻マップへ移動するツインレイたち
人間輪廻マップから魂輪廻マップへの移行するタイミングに出会うのがツインレイです。
このサイトでは『人間輪廻マップ』という用語が多く出てきますので、人間輪廻マップをまとめておく記事を書くことにしました。
輪廻マップとは
輪廻転生というものがこの世には存在していることは多くの人がわかっていることのような気がしています。
その輪廻にあたっても『法則性』というものが存在しています。
法則性に則って私たちは輪廻できる範囲が決まっているんですね。
その転生できる輪廻がマップ状態になって存在しているものを、私は『輪廻マップ』と呼んでいます。
輪廻マップはひも状のものがいくつも繋がっており、人と人を結んでいる状態になっています。
その人と人とを結んでいる線は『世界線』と呼ばれている線で、上下左右前後というような六方向に向かって線が伸びています。その先にまたスポットとなる六方向に繋がって存在しています。
魂は世界線を選び続け、どの方向性の世界線へ進んでいくのか——を決めています。
ゆえ、魂は世界線を何度も選択しながら、自分の立ち位置を変えていくことが出来ます。
これを『輪廻マップ』と呼んでおり、どのスポットに生まれるのかについては当事者の魂要望と生まれることができる範囲というものにより変わってきます。
イメージ的には網目状のようなもの——でしょうか。立体的でもありますが、図には起こしきれないので、平面図にて解説していきます。
人間輪廻マップとは
人間輪廻マップとは、この地上で生まれてくるときに必要な立ち位置になります。
自分はどこのスポットへ転生するのか——についてはこの人間輪廻マップにより形成されていきます。
人間輪廻マップでは『人間という肉体が持っている縁』を主体として構成されており、人間が持っている人生のなかで生じる因縁なども『人間の因縁』により生じさせているようなものです。
そして、魂たちが持っている因縁と適合される人間輪廻マップのスポットへと転生することになります。
魂が持っていない因縁などに関するスポットへは転生することが出来ません。
この地上で生じることになる縁のほとんどが人間輪廻マップにより形成されているものです。
例えば、家族の縁なども人間輪廻マップにより形成されており、家系に関する罪の継承なども肉体に属している罪であり、魂は関係なくとも肉体を保有しているから罪が生じていることなどもあります。
家系による因縁があったとしても、前世で解消しきれなかった重要な因縁などは、肉体にも同じように因縁を持っている一致があるケースも多く、どの経験をするのか? を魂は選択して生まれてくることになります。
人間輪廻マップの構成基準 後悔や経験
人間輪廻マップにも構成基準があります。
図のように、ひとつの個に対し、前後に『来世の自分』『前世の自分』という形で、人が存在しています。
これは、自分自身が『後悔』を抱えた場合、その後悔は来世の自分へ持ち越されていきます。
つまり、来世の自分とは自分のアップデートバージョンという存在になります。
このように、人間輪廻マップは『法則性』をもとに作成されています。
自分が何かの後悔をしたとき、来世の自分が後悔を背負うことになり、その後悔を解消する人生を構成します。
法則性がきまっており、どのような人生となるのか? は前後の人生による経験などをふまえて来世というものが構成されていきます。
前世で経験している内容を来世で経験する必要性がありません。
後悔とは『やり直したいこと』のほかに『あれをしたかった』等による構成ですので、経験したかった内容についてが来世にまわされていくことになります。
これは基本として決まっているようです。
人間輪廻マップの構成基準 徳や罪
徳や罪という考え方になってきますと、経験とは別になってきます。
個に対しての水平的な方向性へ移動することができるのが『徳や罪』という考え方になってきます。
図からはピンクの線が徳と罪との関係性になってきます。
このようにタイムラインに徳と罪の関係性が生じており、青い丸のところには魂が入ることができる人間が存在しています。
それぞれ、丸のところに誰かひとりがはいっているので、誰かひとりが徳を積めば、誰かが罪をかぶり下へ落ちる。徳と罪による立場を交代するような仕組みになっています。
最終的に、罪の極致と徳の極致が存在しており、それがツインレイです。
自分自身が転生している人生をどのように世界線を移動させていくのか——により、誰かが罪をかぶり、誰かが徳をつむような構成となっています。
また、人間輪廻マップは、罪をかぶることによりマップでは徳を積んでいくことになり、徳ではなく『得』をすることによりマップでは罪を積んでいくことになるかと思います。
ほかにも人を蹴落としたりなどすれば、もちろん、当人はいい気分かもしれませんが罪の方向性へ向かっていくことになります。
人間輪廻マップでは、そのように構成されていますので、最終的にどこに行き着いたのか——と判明することになるのが現在になります。
人間輪廻マップの構成基準 美醜について
あまり美醜については書くべきではないのかな、、と思いましたが、まァ、わかりやすい方程式ですので、書かせてもらいます。
一番よろしい徳がある状態は『普通』です。
美醜的な観点とは、人間特有のものであり、魂が一番美しいとされるのは『普通』であることです。
つまり、平均値を叩き出せるのかということですね。
そして、美醜のどちらも『罪』として捉えます。
法則性上、美しい立場にたってうまれた場合、来世が醜い立場に立って生まれることになります。
美しさゆえに人をこき使ったりした場合などは醜い・美しいという極致の両天秤を進んでいくことになります。
人を見下すような美しい人は、醜い姿に成って来世は生まれるということです。
中心地が「普通」です。
美しいか、醜いかという外面的な(人間的肉体)問題を抱えてこない状態が一番平穏ですので、中心地の普通である場所に生まれてきます。とりわけて、外面的な問題により心を痛めることもない立ち位置であり、立場を弁えた魂が存在しているかと思います。
つまり『ものすげえ美人!』と『ものすげえ不美人!』というのは、来世か前世かの違いとして捉えることにもなります。内面的美人が一番魂的には喜ばれ『普通』として生まれてきます。
魂輪廻マップとは
魂輪廻マップとは、魂によって構成されている輪廻マップです。
人間輪廻マップでは『地上での肉体』による問題や『人生』などを主体として形成していますが、魂輪廻マップでは魂による血縁を主体としていますので、魂に則って輪廻マップが形成されています。
人間輪廻マップとは、対照的な反転性の法則にのっとり作成されています。
ツインレイは魂輪廻マップへ移行していく
人間の地上により構成されたツインフレームは『肉体に反応する』ような形でツインフレームを認識することになります。
また人間的概念の元にツインフレームは形成されていましたので『恋』という感覚や『欲求』というものにより、ツインフレームと惹かれあっていくところがあります。
しかし、ツインフレームの恋に終わりを告げた後、ツインレイたちは魂輪廻マップへ移行していくことになります。魂による法則性により創り上げられた『魂輪廻マップ』のほうへ移動していくんですね。
そのとき出会うのが『ツインレイ』です。
ツインフレームは超立方体により構成されていますが、それは人間輪廻マップにも魂輪廻マップにも存在しています。
人間輪廻マップによるツインフレームは『肉体』や『地上』『人生』の一致で生じている関係性であり、魂輪廻マップによるツインフレームは『魂』を主軸にしている関係性ゆえに、マップ違いのツインフレームでも気質が違います。
人間輪廻から脱出していくためには、人間輪廻マップを抜けていく必要性があり、ツインレイは人間輪廻脱出を試みることになります。
そして『魂による関係性』を主体としてつながりを求めることになります。
人間輪廻マップによるツインフレーム群となる超立方体のなかから脱出するために、ツインレイたちは出会い、ツインフレームによる因縁を解消していく必要性があります。
つまり、ツインレイたちは『輪廻を脱出するための助けあい』をしています。
次にツインフレーム群による魂輪廻マップへ移動する為に、ツインレイたちがお互いを先導し合いながら移動していくことになります。
これは魂により行われていますので、当事者の意識が介入できずに自ずとそのように話が進んでいくことになります。それがツインレイステージと呼ばれているものです。
ツインレイはツインフレームへ移行する
ツインレイは魂輪廻マップへ移動することになり、ツインレイの二人は『ツインフレーム』という立場に収まることになります。
タロットカードによるツインレイステージで分かりやすく解説しています。
最終的にツインレイという存在はいなくなっていくことになり、ツインレイはツインフレームという存在となっていきます。
ツインレイという存在は『鏡の法則性』に則って存在しているために、ツインレイのままでいれば、ツインレイと共に存在することが出来ません。
最終的に『ともに存在することができる』ツインフレームという立場に収まって、ツインレイと再会することが出来ます。
つまり、最終的には『ツインレイという存在はいなくなる』ということです。
ツインレイとは元来、魂を半分にしているがゆえ、ツインレイの二人はこの世で自分自身の問題を押し付けたり、相手の罪を引き受けたりすることができる関係性でした。
しかし、それがツインレイと出会うことにより解消されることになります。
それが『統合』と『自己統合』となるわけですが、この統合と自己統合により、ツインレイは『魂のつながりを失う』ことにより、ツインレイの二人はツインフレームという『自分と人間的特徴が似ているけど、魂は別の存在』となる立場になっていきます。
このとき、魂輪廻マップへ移行していく準備が整います。
つまり、魂輪廻マップと人間輪廻マップによるツインフレームは違います。
魂輪廻ツインフレームの存在
魂輪廻マップによるツインフレームは『魂によるつながり』を主体としている為に、魂の分離が行われた時の相手と繋がっていくことになります。
人間輪廻のツインフレームでは『離別』をすることになり、自分と似通っている人生を歩んできたフレームたちとはさよならをしていきます。
新しい魂輪廻マップでは『魂により繋がりを感じられる』存在となってきますので、外見や人生なども皆バラバラのものを選択しています。もちろん、考え方も違いますし、生き方も違い、一致点はありません。
人間輪廻との違いは『一致点がどこにも見当たらない』んですが、精神的な領域や魂的な領域では一致を見つけることが出来ます。
もちろん、魂輪廻マップではツインレイの相手も同じツインフレームのなかに組み込まれていますので、人生は違えど精神や魂的な一致を感じることができる究極のツインフレームとして存在することになります。
人間輪廻ツインフレーム | 魂輪廻ツインフレーム |
---|---|
人生的一致 外見的一致 |
精神的一致 魂的一致 |
ここからツインレイたちは『精神や魂による観点を主体として生きていく』ということがわかります。
魂輪廻マップのツインレイ美醜について
人間輪廻マップにより美醜の観点について書き記しましたので、少々それについて触れておこうかと思います。
魂輪廻マップへ移行していく人たちは『普通』の人たちです。
とりわけて美人も存在しませんし、とりわけて不美人も存在しません。普通の人たちが多いかと思います。
ツインレイはよく『美人ではないが普通・・・』みたいな話が小耳に挟まれますが、美人は徳があるわけではなく、不美人という両極端の端に存在している状態です。
つまり、美人であればよいわけではなく、普通であればあるほどそれがいいんですね。
魂輪廻マップに移動していく人たちは『行き着くところにまで行き着いた』わけですが、それは『中心地』に行き着いたということです。
精神的な部分で『外見的なことにもとらわれない』等の視点を中心的に考えられ、誰かを見下げることも見上げることもありません。
つまり『平均的な顔立ちの人たち』が、魂輪廻マップに移行していくことになります。
それでも目立つ方々は多いかもしれませんが。