ツインレイたちはどうして絶望をするのか——ツインソウルの統合について。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイたちは、何度も何度も絶望を繰り返すことになる。

私たちは、私たちが背負っている因果を抜け、アイデンティティを再構築することを目的としているところがある。

私たちの中にあるアイデンティティは、多くが家系により継承されてきたものであり、私たち自身は、受け継がれたアイデンティティに苦しめられている。

私たちは、自分のなかにある『自分』というものを認めているわけではない。

私たちは、他者に認められている自分を自分とするのではなく、自分で認めている自分を自分としたい。

だからこそ、私たちは自分になろうとアイデンティティの再構築にもがき続けている。

 

私たちの真の目的がどこにあるのかを、本当の意味で知ることはない。

だが、たしかに今起きている現象のなか、愛を持って生まれた私たちが苦しみ続けているのは事実である。

愛とは、相手の心を受け取ることである。私たちは心を持っているからこそ、心を受け取ることがひとつの苦しみとなった。

私たちは親に育てられ、そして、自分で自分を育てていく人たちである。

私たちの中にあるアイデンティティは、ひとつの仮初めの姿のために用意されたものである。

私たちは何度もアイデンティティを再構築することになる。

ツインレイと出会い、本来あるべき姿の自分へ戻るために。

 

自分自身のなかにあるアイデンティティは、親に与えられたものであり、そのアイデンティティに苦しむ人もいれば、苦しまない人もいる。

アイデンティティに苦しむとき、私たちのなかには心がある。そして、受け取ったアイデンティティを愛している私たちにとって、本来あるべき心と、受け取った心のふたつが葛藤をする。

私たちは、本来あるべき私たちに戻りたいと思っているけれども、誰かを愛したい経験を忘れることがでいない。

私たちは出会う人、出会う人たちの心を受け取ってきた経験すら消してしまうことが出来ないからだ。

だから、私たちは、本来あるべきアイデンティティを思い出すと同時に、出会う人たちを愛し受け取りながら生きてきた愛のある経験を統合したい。

 

そのとき、私たちはふたり必要である。

あなたと私である。

従来の私と、そして本来の私のふたりの私を必要とする。

私たちが持つ一個の個体に対しての自意識はひとつでしかない。ゆえに、私たちは誰かを通し、投影し、その結果、従来と本来の姿を統合し、新しい自分に切り替えていく必要性がある。

 

もしかしたら、今までの人生は擬態だったのかもしれない。

魂の生き方が本来の生き方なのかもしれない。

だけれど、私たちが出会ってきた人を愛した経験をすべて消してしまうことは、やはり違うと思う。

今まで、影響を受け、この世で構成されたアイデンティティも、ひとつの私たちの側面なのである。

 

私たちは魂の生き方に戻るのではない。

私たちは、魂の生き方を、この人生に内包していくに過ぎない。

私たちは、人として生きる人生を肯定したいと思っている。

この輪廻、この地球を私たちは愛しているからである。

私たちは、人の人生を肯定し、人である自分を肯定する。

私たちのなかに人である自分と認め、そして、魂という存在も確かにあると信じることが私たちである。

私たちは生きることを放棄してはならない。

 

そして、何度も何度も私たちが繰り返していく絶望は、内包の予感である。

それは陣痛である。あなたがあなたとして生まれるとき、私たちは従来の私たちと本来の私たちのふたつを混ぜ合わせ、新しい自分を産み落とすことになる。

ふたつの意識をひとつに統合させるとき、私たちは絶望する。

右にも左にも進む道の先が絶たれるからである。

絶望するとき、私たちは新しいもうひとつの世界線を見つけることになる。

その道の先にいるのは『新しい自分』である。

私たちは、ふたつの意識を統合させ、新しい自分を再構築することになる。

私たちが本当はなりたい自分へ手を出すことが出来ないでいたのは、右と左の両方を統合することが出来なかったからである。

だから、私たちはあなたに出会う。あなたと出会い、あなたのなかにいる私を探し出す。

私たちは、あなたに出会いたい。あなたのなかにいる私と出会い、私たちは何度も絶望し、何度も新しい自分を見つけ出していくことになるだろう。

 

私たちは、誰かと出会い、誰かとひとつになることを恐れず生きていかなければならない。

あなたのなかにいる私と出会い、私たちが『魂を持った人』である存在になっていくためである。

そのために何度だってあなたのなかにいる私と出会い続けていく。

 

ツインレイ。もし、この言葉を最も重要なトリガーとして考えるべきなのであれば、私たちはツインレイを通して自分と出会うサインに出会ったのである。

サイレント期間中、私たちは「あなた」を探し続けていく。

だけれど、それは私である。あなたのなかに見つけられた私を探しているのである。

私たちはサイレント期間中のモラトリアムで自分で自分と出会い続けようとしているのである。

サイレント期間の出会いは、まぎれもなく、繰り返される新しい自分との出会いの連続である。

もしかしたら、これをユングはシャドウと定義したのかもしれない。

 

私たちは自分の影、自分のもうひとつの人生に何度も気づき、自分のもうひとつの視点を獲得していく。

このとき、私たちはひとつに統合され、次には絶望を呼び起こされる。

私たちの心は何度も拡張されていく。

私たちの新しいスタイルになろうしていくのである。

あなたのなかにある絶望は、新しいアイデンティティの再構築である。産後の腑抜けた時間でもある。その後、抱きかかえる赤子に私たちは「新しい自分」を見つけていくことになるだろう。

 

私たちは何度も生まれなおしている。繰り返し呼び起こされる絶望は、私たちのなにかしらの統合である。

シャドウの意味は、人それぞれ違う。姿かたちも違う。平穏なものから過激なものまで、多くのものがあるだろう。

しかし、受け入れ難いものばかりである。

それでも、相手を大好きな気持ちは、私たちを統合に差し向ける。

いっしょにいたい。ただそれだけである。

私たちはただあなたと共にありたい。いっしょにいたい。だから離れたくない。

純粋な大好きという気持ちは、依存を構成したのが従来である。

しかし、これからの私たちの大好きな気持ちは、自分自身のなかにある依存を解き放ち、自立をしていくことになる。

あなたと私が共存する為に必要なものがあるたび、私たちは私たちの中にある問題を切り離し、新しい自分を迎えていくことになるだろう。

 

ツインレイの出会いは依存による関係性である。

ツインレイの再会は共存による関係性である。

再会後、私たちはもう一度、絶望をするだろう。

あなたと私が絶望するとき、私たちはあなたと共にありたいとの表明しよう。

だいすきだからいっしょにいたいのである。

あなたと私が迫害せず、お互いにいっしょに生きていくためにはどうしたらいいのかを自己解決し、自分を組み替えていくことになるだろう。

私たちは自分自身のなかにある古い自分を破壊し、新しい自分と切り替えていくことになる。

新しい自分となり、私はあなたと共にいられる心地よい存在へとなっていこう。

 

私たちはあなたといっしょにいたいだけなのに、どうしてかそればかりが出来なかった。

その理由をすべて断っていこう。そのために、私たちはサイレント期間に多くの古い自分を切り捨て新しい自分へアップデートしていくことになる。

 

あなたと共にあるために、私たちは何度も自分のなかを破壊し、再構築する。

それはあなたのためにである。それは自分の為にである。

ふたりのためにである。

共にありたいと思う気持ちがふたつ、ここに揃うとき、私たちはお互いに自己破壊させ、絶望しよう。

そして、共に赤子から始めよう。ともに生きることができる双子となって生きていこう。

 

私たちにとって、多くのツインレイがいることを忘れてはならない。

何度だって生まれ直すことができる私たちは、精神領域で双子になることができる。

共に生まれることができる双子の赤子の私たちを『ツインソウル』と呼ぶのかもしれない。

それは、あなたと共にありたい気持ちがあるだけ。

それを『大好き』と言い、私たちは大人びた風な顔をして『愛している』と言葉にしている。

サイレント期間中、私たちは「あなた」を探し続けていく。

だけれど、それは私である。あなたのなかに見つけられた私を探しているのである。

あなたの姿を体現しながら、私になるための道しるべ役がツインソウルである。

私たちはツインソウルたちと、小さな統合を繰り返しながら、お互いの共存が出来るようになっていくとき、自分の精神世界のふたつの均衡の崩れている依存を共存へと導く手助けをしてくれている。

 

ツインソウルは私たちのなかにある概念のひとつである。

なにかの象意を持ち、なにかの体現性をする。

あなたは私にとって「何かの意味」を齎し、「何かの姿」を持っている。

そのとき、私たちはツインソウルになりたいのか、なりたくないのかを決めている。

 

私たちは古いツインソウルとのさよならを迎え、依存的な関係性から共存的な関係性のツインソウルと繋がっていく。

古い時代の関係性ではなく、新しい時代の関係性を構築する為にである。私たちが持つ「自分の時代の切り替え」である。

私たちは青年期を抜け、魂を成熟とさせる同士と出会うのである。

私たちは私たち自身のなかに必要なシンボルをツインソウルとの共存から、精神を共存体系へと切り替えていく。

それは肉体的な視点ではなく、より一層無意識的な視点である。

 

ツインソウルの統合により絶望を繰り返し迎え、自分のなかに概念象徴による共存の軸を再構築してくことになる。

そして、ツインレイとの共存を目指すのである。

 

旧来のツインソウルの存在は『依存的関係性を模す』ことになり、新来のツインソウルは『共存的関係性を模す』ことになる。

あなたはどっちといっしょにいたいと思っている? というのは、サイレント期間に聞かれている事でもある。

旧来のツインソウルと結びつくとき、依存的関係性を好んでいる。

新来のツインソウルと結びつくとき、共存的関係性を好んでいる。

そして、新来のツインソウルと共にありたいと思っているとき、私たちは「大好き」って気持ちを思い出している。

ただ、いっしょにいたい。そんな気持ち。

いっしょに生きていきたいと思っている。

そんな大好きな人を大好き、いっしょにいたいって思う気持ちが『自己破壊』を起こし、共にいられるような自分に再構築されることになる。

 

「大好き」、だから「統合」する。

あなたとひとつになりたい。それは大好きだからです。旧来のツインソウルはここでお終いです。依存的な関係です。

新来のツインソウルはその後、離別し、共存へと進みます。

あなたのことが大事だからです。

その順序は、依存し、離別し、共存する。

このふたつはすべてにおいて同じである。

ツインレイも同じである。

当初は依存し、離別し、最後は共存する。

なぜならば、大好きだからである。共にありたいからである。そのために私たちは何度もアイデンティティを再構築していく。そのために繰り返し絶望していく。

 

私たちが思い出さなければならない気持ちは「誰かを純粋に大好きと思う気持ち」である。

そして「誰と一緒にいたいのか」の意思表明である。

あなたが好きな人は誰? あなたがいっしょにいたいのは誰?

好きな人といっしょにいていいんです(^▽^)/

それがツインソウルの統合でした。

ひとつの心になりたいです。あなたが大好きだからです(^▽^)/

そして、分離したいです。あなたと共存したいからです(^▽^)/

大好きだからです。

絶望しましょ。

絶望