ツインレイのサイレント期間の脱出(サイレント空間を閉じる)
同じ場所を何度もぐるぐるぐるぐるしていたのだなと思いました。
空間のなかで、ずっとぐるぐるしていた感じでしょうか。
ツインレイの空間は、ツインレイの相手と出会い『衝撃』を受けた途端に成立します。次に、別れを経た後、サイレント期間に生じる相手(私の場合であるが)と出会い『衝撃』を受けた途端に、サイレント空間を生じさせます。
サイレント期間に生じる相手は「ずっとサイレント期間の相手」をツインレイだと思っている人です。(いろんな意味で、出会いから別れまでサイレント期間です。)
先ずはサイレント空間を破壊し、次にツインレイ空間を破壊していく——という段取りをとっていきます。
サイレント空間から抜け出せないまま、ツインレイと再会することはサイレント空間のなかにツインレイの相手を引きずり込むということでもありますので、先ずはサイレント空間を抜け出す必要性があります。
サイレント空間では『自分と向き合うこと』がテーマにあげられ、なぜサイレント期間が生じたのか? について考えねばなりません。つまり、自分自身のなかでツインレイの相手と結ばれることができない理由を探っていく必要性があります。
その結果、最終的には『ツインレイは必要がない』という状態になった時、自分の弱さに直面していくことになるかと思います。
空間が成立する条件
空間が成立する条件は『出会ったとたんに衝撃を受けること』です。
この衝撃を受けるとき、私たちは『鏡の存在』と出会っています。この鏡の存在により出会ったとたん、私たちは『空間』を生み出していきます。
タイムライン的にも、最初に鏡の空間が成立した破壊的な感覚(雷のような衝撃)を受けた途端に、私たちは、そもそも空間を破壊しています。
いわば、このときに空間が成立し、その後、統合したわけではなく、そもそも空間が衝突し、その後、統合し順応するまでに時間がかかる——というのが正解なのではないか——と思います。
空間そのものが成立したあと、その空間のなかを整理していく必要性と、空間を完了させる必要性があります。
最終的に、各々の空間の管理者たちが再会することにより『空間が結合された』という完了のサインとなります。
つまり、空間は『雷や衝撃』というものを受けた途端に統合を始め、統合が完了させていくまでの期間を模しているに過ぎないということ。いわば、出来レースだと思います。
サイレントの共同幻想空間について
サイレント空間についても詳細はこちらにあります。
サイレント期間の空間は『共同幻想』にあります。いわゆる、この共同幻想を起こしてしまっている根源的な理由に触れていく必要性があり、そのとき、私たちは哲学者 となって状況を把握していく必要性があります。
また、同時に『人間性』というものは、とても重要なものではないか——と思っています。最終的に『傲慢』や『選民意識』というものがある場合、共同幻想のなかに取り込まれたままとなりますので、サイレント期間に滞ります。
しかし、サイレント期間としているのを『共同幻想空間』としていますので、ツインレイの相手を共同幻想空間に引きずり込むことでサイレント期間を終わらせることも可能です。
個人的にはツインレイに対して『これは幻想である』と数年前から言っていますが、この幻想であるものを事実である——と、捉えた思想を相手に根付かせることにより、自分自身の弱さ、もろさなど、精神的な問題や自分と向き合いたくないものと向き合わずに済むようにするため、ツインレイの相手が「ツインレイである必要性」を訴えます。
このとき、共同幻想の中には『妄想を事実だととらえている主人公のツインレイ』と『そのような人を信じている片割れのツインレイ』により構成されるカップリングが成立し、ツインレイの関係性が統合したとされたあとも「己はツインレイである」と言う自己主張が必要となります。
これを『教祖—信者』としてのツインレイ構成となります。
この『ツインレイは幻想である』にたどり着く人たちは、自分自身の傲慢さや選民意識がない状態により、自分を立て直すことに成功した関係性です。ゆえに、共同幻想空間では『出口』が成立します。
ツインレイの共同幻想空間による出口とは「ツインレイは幻想である事実を受け入れること」です。ツインレイを必要としなくなり、またツインレイの定義なども不必要な状態になっていくことです。基本的には素直ってところではないでしょうか。
空間による出口と入り口
空間には『入口』はありますが『出口』はありません。
サイレント期間の空間には出口がありませんので、その出口を設置することにより、サイレント期間の空間から脱出することが出来ます。
いわば、サイレント期間による自分の空間とは真逆の空間を設置する必要性があります。
サイレント期間にはブラックホールに吸い込まれていくようなもので、ホワイトホールには吐き出されていくようなものかと思います。
ブラックホールに吸い込まれたまま、両脇にある『否定』と『肯定』のゾーンに留まることも出来ます。あと、ブラックホールの先にはホワイトホールが設置されていませんのと認識がされていないので、空間に吸い込まれたら、そのまま『出口を自力で作成する』しかありません。
ので、ブラックホールにはいったまま、でていけなくなって『ツインレイという概念を捨てられない』という状態に陥ることも多いということです。その先に、ホワイトホールに抜けていく人たちは『ツインレイの概念を捨てる』ようになります。
このブラックホールのなかでは、いらないものをすべて捨てる。そしてすべて捨ててみると、幻想を生み出している原因が見えてくる。この原因をすべて排除することにより、ホワイトホールによる空間反転世界が成立し、ツインレイである自分を捨てていくことが出来ます。
このホワイトホールにでていくにも、コツがいるって話です。
このブラックホールに吸い込まれた人たちがでていけない理由が『選民』と『傲慢』にあり、教祖と信者という構成をとります。
自分自身のなかに傲慢さなどを取り除いていくと、自ずと出口は出てくるのかもしれません。
段階をおってのツインレイ
地上のツインレイの場合、サイレント空間のみへのアクセスとなります。ひとつの空間のみです。このとき「自分はツインレイである」と思って、ツインレイをサイレント期間から追いかけ始めることになるようです。私は「運命論で目の前の問題から目を逸らすのは良くない」とのことで、サイレント期間中に自分がツインレイだとは思いませんでした。
この時点で、地上のツインレイとは結ばれません。
地上のツインレイは『地位や権力』に依存したものであり、相手はそれなりの地位があったりなど、憧れが纏う存在を地上のツインレイとします。その相手と結ばれることを意味します。
次に、楽園のツインレイは、最初から『ツインレイ』という概念を知った状態で結ばれます。ですので、ツインレイ空間と言うものが生じることになります。お互いがお互いで空間を生じさせ、そのなかにサイレント空間を生じさせます。
ツインレイ空間のなかにサイレント空間が生じているとき、サイレント期間に出会う相手はほとんどが『地上のツインレイ』として定義させていただきたい。
このサイレント空間で「ツインレイを知りました!」の場合は、自らサイレント空間を生じさせるということになります。
地上のツインレイは自らツインレイという自分になりたがる——という意識があります。その『ツインレイという肩書』そのものに依存したくなってしまうような精神状態があるということです。
この精神状態を打破していく必要性があります。しかし、このときに自らはツインレイである——と概念と一体化した方は、ツインレイと結ばれ『教祖—信者』という、片方はスッカラカンになったツインレイと結ばれることになります。
楽園のツインレイへ到達する人たちは、自分軸というものが明確にある人たちなのではないか——と思いました。
そこから次にやってくるのが楽園のツインレイという他人軸のテーマです。
この他人軸をテーマに楽園のツインレイである『ツインレイの空間』が成立していきます。サイレント空間は『教祖—信者』という空間により成立していますが、楽園のツインレイによる『ツインレイの空間のなかにサイレント空間がある』という場合、空間反転的な世界観を持っている——ということです。
いわば、自分軸によるサイレント空間と、他人軸によるサイレント空間は同じではありません。
自分軸によるサイレント空間では「我こそがツインレイである!」と言いますが、他人軸によるサイレント空間では「みんなこそがツインレイである!」と言います。意味が違います。
私のブログは「みんなこそがツインレイである」という証明をし続けていきます。我こそがツインレイである方々が存在しているので、真逆にそれを支える——という構造をとっています。なので、なぜかなとりに皆シンクロニティーを感じてしまうっていう現象が起こり得ます。(みんなの裏側に私がいますので。)
他人軸によるサイレント空間が成立した後、自分軸のサイレント空間を成立させていきます。
そうすると、私自身が『他人軸』と『自分軸』の二軸による空間を成立させることが出来、この二軸が成立することで『入口』と『出口』の両方が成立していきます。
つまり、私が他人軸による幻想世界による空間そのものを構築し、次に自分軸を取り戻すことで幻想世界からの出口を構築していく——ということです。
そして、私が空間の支配者であり、創造者になります。