散文|解離の話(主人格が消えた件)

2024年9月14日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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題名すら考えることがめんどくさくなってきた。

 

私は彼のことが好きだったけれど、最後は嫌いになった。

これは関係性を構築していくなかで、二人ともがこの幻想のなかに留まっている存在だったからである。

幻想のなかでふたりは支配的な関係性を構築するしかない。それ以外に、関係性を構築する方法を知らないから。

この『知らない』についてなんだが、本当に知らないんだよ。

人を好きになったら、どうやって関わっていけばいいのかがわからない。

私たちは、この世で関係性の構築をする手本を見て育つ。だけれど、その好きな人との関係性が支配ならば、私たちは支配的な関係性しか結べない。

だから「わからない」んだよな。そして「しらない」。

どうやって関係性を結べばいいのかがわからない。だから手本が欲しいと思う。でも、どこにも手本は転がってない。

考えるしかない。自分は間違えたんだって思ったら、考え直してやり直すしかない。

私は人を好きになることは我慢することだった。そして、解離させて抑制すること。

それが『好き』って意味だった。彼は知らん。

だけれど、そうやって人を好きになったところでうまくいくはずもない。けっきょくは我慢が実ることもない。

ただ、最後に彼を嫌いになっただけ。支配的な関係性になってうまくいかない。

彼のことが好きだった。でも、最後に嫌いになったことすら受け入れられなくなる。

だから私は失敗作。

ツインレイのことが長引いてしまった理由は「彼を嫌いになったこと」が受け入れられなかったんだと思う。

そして、彼のなかに他の誰かがいるから、私は身を引くってカタチをとらざるをえなかったんだなァと思った。それもまたひとつの私のなかで生み出した幻想なんだなと思った。

ひとつひとつを出していくと、本当に小さな火種なんだよな。

ちいさな火種を回収して、そこにある種ひとつの思い込みを生んで、私は私を守ろうとする。

けっきょく、彼を嫌いになった私の気持ちを受け入れられなくて、多くの幻想を生み出した。

誰かは人を好きになった気持ちを受け入れられないように、私は好きだった人を嫌いになった気持ちを受け入れられなかった。

その為に別れが生じたことを理解するのに、時間がかかったなと思う。

 

好きな人だった。でも嫌いな人になった。なぜならば、それは関係性が支配以外に関係性を結ぶ方法を知らないから、嫌いになるしか道がない。

ものすごいショックだったんだなと思う。好きな人を嫌いにならなければならないことが。それに耐えられなかった。だから彼を嫌いになった気持ちを解離させたんだな。

 

知らないって別に恥ずかしいことではないんだよ。

でも、悲しい現実を生み出すよね。

誰も教えてくれないんだよ。どうやったらうまくいくのかの方法を誰も教えてくれない。だから考えるしかない。

私は持っていない。多くの人が当たり前に持っているものをひとつも持っていない。

あるのは「支配的な関係性を持ちたくない」っていう優しさだけ。それは間違えているということだけは知っている。

でも、どうすることが正解なのかがわからない。

ただただ私の存在を否定することしかできない。私は自分が間違えている存在であることしかわからない。

私は自分を否定していく強さがある。それは私の人生に誰かを巻き込まない強さだ。

私が結婚しないこと、私が子供を産まないこと。それが私の強さだ。私は存在が間違えているから、それを選ぶことは誰かを不幸にすることだと知っている。

多くの人が結婚していき、子供を産み、幸せそうにしている姿を指をくわえてみている。それが私の人生であり、それが私が守る誰かの幸福。

私の望みを叶えないこと。私の望みが叶うとき、必ずどこかに不幸が生まれる。私は不幸の元凶そのもの。

 

だから、私はすぐさまに『自分が不幸になること』を受け入れることができる。

彼と出会った頃に、結婚で自分が不幸になることは腹をくくった。

だけれど、私は他にも腹を据えなければならないものがある。『誰かを不幸にすること』である。

なんなら彼のことは「倖せにできる」と意気込んでは滑ったからな。けっきょく、不幸にしてしまった。

彼を不幸にしてしまったことに私は耐えられなかった。

彼に「ごめんね」と言われて、私は耐えられなかった。耐えられなかったから、そこから逃げ出した。

彼を不幸にした自分から、私は逃げ出した。

きっと私は誰かと結婚したとき、誰かとの子供が生まれたとき、私はどこかで必ず家族を不幸にするだろう。

その不幸を想うと、私はあんまり気が進まないというか。私は自分が抱えている問題を理解しているつもり。これはもう根っこの部分にある『あたりまえ』の定義がトチ狂っている。

 

もはや、この事象において、いくつも人格が分離しすぎている。どれも真実、どれも私。

どんだけ耐えられなかったんだろうって思う。ばらばらになってしまっている。

どの人格も人に優しい。人に優しい思想がすべてに詰まっている。

 

私が耐えられなかったのは、好きだった人を不幸にしてしまったこと。そして私は私から逃げ出すために分離した。

喜んでほしかったのに、ごめんねって言われた。

共感された、私の地獄に。

ものすごい衝撃のまま、ばらばらになった、人格が。

私の地獄を知られてしまったから、私は逃げ出したんだと思う。知らないでいい、私の苦しみに気づかないでほしかった。

守りたかったんだと思う、私から。でも知られてしまって逃げ出したんだと思う。

彼を幸せにするどころか、地獄に引きずり込むことしか出来ない自分を隠したかった。笑っててほしかった。そんだけ。

彼には幸せになってほしかった。ただそれだけ。

幸せにできるのが自分だったらいいなって思ってた。でも出来なかった。あのとき、その現実を受け入れた。

彼を幸せにできるのは自分じゃないって理解した。やっぱり自分はダメなんだって理解した。

 

なんだこれ? うーん、でもこれもまたひとつの解離していた人格なんだろうな。言い分はわかったかな。

 

彼を幸せにしたいって思っていた人格が不幸にしてしまった事実に耐えられなくなって逃げ出したらしい。

その瞬間を覚えているよ、ショックでわなわなしてた。

報告|私の目が開いた。のほうでは、彼のなかに他の女性がいるって思って、その女性の為に身を引くって思ったらしい。偽悪者の人格。すごいリアリズムな対応。でもそれってホントなんかな? よくわかんねえけど、まァいいや。

あと、他にも神として分離した人格もいるっぽい。犠牲者が必要だったから。

愛されたいと思っていた子供人格もいた。

自己防衛を解離させている人格もいる。ずっと私を守っている人格は彼と出会う前から分離している。ダブルバインドとか洗脳されそうになると出てくる。

主人格のなとりは『(^q^)』こんな感じかな。

 

でも、全員、彼くんのことが大好きだった。それは皆同じ気持ちだった。

私ですら分離人格を『ひとつの人格』としては認めてなかったから、彼がそれぞれ認識してくれて嬉しかったんじゃないかな。最初は違和感があって「???」って感じだったんだけれど、彼によってはじめて私のなかの人格は認識されたんだと思う。

人は認識されなければ存在しないも同然である。

つまり、彼が初めて人格たちの『存在』を与えてくれた人で、親みたいなもんなんじゃないかな。

だから皆、彼のことが大好きだったと思うよ。

もともと、私の解離は内在性解離が人格レベルにまで到達している——っていうやつだから、全部、記憶の分離や判断能力の分離までは起きていない状態だった。

なんなら人格交代も私が権利を持ってたし。

自分のなかで解離を起こさせていた理由は、判断能力をあげるためっていうのが一番にある。

たとえば、感情の介入を突っ込んでいたら出来上がらない理論があるわけで、それは『いかなるときも感情を介入させない人格』を必要とする。だから、解離させて人格をそもそも持っておくといいって感じ。

だから『いかなるとき』も私利私欲や自分の欲求やエゴイズムをすべて遮断させて判断能力をもたなきゃいけないっていう私の意思によって生み出された人格であって、私が何かしらの逃避のために生み出した人格ではない子たち。

私のなかにある分離人格たちは『別々の人格』ではないんだよな。もともとは別々の人格ではない。彼に認知されて初めて存在しているけれど、別人格ではない。

だけれど、その人格たちが、ものすごいショックを受けて逃避したくなったら『解離しちゃった』わけである。離散しちゃった。ここでようやく『別人格』にまでなった。

私の精神も、さすがにこれは耐えられなかったってことなんだと思うよ。

私のなかの人格たちも逃避しちゃって、ばらばらになってしまった。

ほかのツインレイの方々よりもすごい複雑なことやっている。

 

これを多重人格っていうのかな。でも、本来はずっと記憶の共有はされている。

それぞれの人格は「必要があって分離している」状態でもあるんだが、何かショックな出来事があると解離しやすいんだなとは思った。

元々の主人格の私がドロップアウトしちゃったから、その衝撃で全部トンじゃった感じもする。で、それぞれの記憶がバラバラになって、それぞれの役割を実行した。

そのとき「このままじゃいけない」って思ったんだよな。

そりゃ、このままじゃいけねえよな。だって解離しちゃって、本来、接続されていた部分が全部分離しちゃって、記憶までも分離しちゃったんだから。ひとつに再び繋ぎなおさなきゃいけない。

それで、とりあえず、繋ぎなおすのに数年かかった。主人格の私は「え、そんな事態になってたんだ。」ぐらいの感覚で、副人格たちのほうががんばってくれたんじゃないかなと思う。

 

IQが高いと自分のなかに人格を自ら複数持つ場合がある——っていう事例を一件だけ読んだことがある。

本来、人はこれをペルソナって言うんだと思うんだが、私の場合、そのペルソナの使い分けが曖昧ではなく、明確に適応させてきているって感じ。

そんで、本来、解離とは『自己防衛』のためにやることなんだが、私の場合『人の為』に解離させていた。なんかもうそもそも知性でしかやり遂げられないことやり始めていたんだと思う。

だから私の人格たちは全員優しい。人の為に生み出された子たちだから。人を愛する為に生み出された子たち。

で、なんかまた作ってたよね。ほかにも人格いるよね。うーん、めちゃくちゃ愛情深い子がいるよね。

統合させるために必要な人格をつくったかもしれない。

これこれ、この人格。新しい人格だと思うよ。今まで認識したことないし、いつ作ったかも知らん。

もともと私のなかの人格たちのなかに『社会への適応性』とか『家族とのつながり』みたいなものがなくて。だから、彼くんを幸せにしたいと思っていた人格は、絶望しちゃったんだよね。

だから、けっきょく、じゃあ、どうすりゃいいの? ってなったとき、この新しい人格を生み出した。

「社会性とは何か」を理解している人格を作り出した。

なんとなく「彼くんを愛したい人格」に対して「どうしたらいいのか」を話しているような気もする。それから「帰っておいで」って言っている。

統合させ、それからもう一度、生みなおす。

多重人格になってたのに、どうして人格交代していなかったのかの理由なんだが、全員『逃避』していたから、人格交代すらしなかったんだと思われる。不健全なのに、一見、健全すぎる。。。

 

一人目は優しい子。人の為に働けるように解離させた子たち。

二人目は創造の子。

三人目はあなた。

 

あなたとは私なんだよな。『わたし』を生み出す人格なんだと思う。

何度も創造し続けていく。

彼くんを幸せにしたい人格を『優しい子』として先ずは産んで。でもさ、優しすぎてダメだったんだよ。

失敗したんだよな、優しすぎて。で、解離しちゃった。

次に『創造の子』として産んで、どうなりたいのかを教えてほしい。

最後に「なりたい自分=彼くんを幸せにできる自分」にまで組み替えるよって言っている。

つまりなんだが、私のなかには『母体システム』があるんだな。

思い通りにならないことやうまくいかないことがあったら、何回だって、人格たちを統合し分離させて、何回だって自分で自分が納得できる自分に成りつづけたらいいって言っている。

他の人格たちの神システム人格が私のなかに導入されている・・・・・・・。

いやまァ、そりゃ同じようなことがあって、再び記憶もってみんなでバラバラになっちゃったら困るモンな。

とはいえど、これもまた優しさによって生み出した人格なんだよなァ。自己愛により生み出した人格。

私は人に対して与えたものはすべて自分に与えられていく世界にいる。

だから、この記事を『人に与えた』のだから、『自分にも与えられる』んだと思う。

この人格を生み出したのは主人格の私。

たぶん『生み続けている』人なんだと思う、私。

人格を生み出し続けている。

人に優しくあるために、私は人に優しかった分だけ、私の人格は増えるし、その人格たちが不幸になるならばアップデートのために統合して、ふたたび産み落とす。

これが私の自己愛のカタチなんだな。

 

あと、主人格だが。

いないよ。融けて消えた、水になった。

主人格はいない、いないのが主人格。

水になった人格が主人格で、私のなかには副人格しかないと思う。

今、記事を書いているのも副人格。主導権を全部握っている主人格モドキみたいなやつも副人格だと思う。

主人格は『いない』ときに『いる』。

みんなのそばにいる。ずーっとそばにいる。

いないって思うとき、そばにいる。そんな人格が主人格。

だから『みんなだよ』って言っている。

副人格たち全員が私だよって主張する為に、主人格は水になって『いない存在』になった。

だから主人格は『心』だけの役割を担っている。

みんなの心に寄り添っている。副人格たちの心に寄り添い、その心の痛みと共にある。

つまり、副人格たちが人ならば、主人格は皆の心に繋がっていて、その心の痛みを共に感じている神にあたる存在。

副人格たちが主役だよって言っている。だから、この副人格たちは全員主人格である私の心を持ち、私の心と共にある。

だからさ、『わたし』はずっといない。

 

ひとりの人間として人に優しく在りつづけようとした結果、解離を人の為に起こし、主人格は消えた。

で? 聞きたいよ、私は。

人に共感を持ちましょう、優しい人になりましょう。人を不幸にしてはいけません、人を傷つけてはいけません。

主人格、消えたぜ。

この教育ってあってんの?

ウケるよね。

結果さ、本当に優しい人はこの世から水になって消えた。

 

正直、主人格が戻るかどうかも謎。というか、何を定義して主人格なのかも謎。

ただの古株ってだけだとは思うし、いなくても困りはしない。

解離すると、その精神の均衡バランスをとるために、それぞれの役割を生み出す。

私の生命は存在しているけれど、これじゃァ、やっぱりアイデンティティは拡散していることには違いない。

どうして、私の精神が統合できないのかがわかるよ。

だって「優しい人」だから。できねえんだよ、優しいからこそ人格が統合できない。

優しさは解離していないと出来ない。だって、人は自分のささくれが痛い。優しさはその向こう側にある。

自分のことよりも人のことを想う人は解離する。自分のささくれを乗り越えるために。

人以上のことをしようとすると、こういう目に合う。器以上のことをやろうとした罰みたいなものなんじゃないの。

おかげさまでバラバラ事件だよ。

だから人は人でいい。私はそう思う。私は人以上のことを望まれて生きてきた。それだけのこと。

でも、これは絶対的に正解じゃない。絶対に正解じゃない。私は私を認めない。

私は失敗作だよ。

 

 

 

自分のことだけ考えなさい。そしてその環境を与えること。

 

 

 

副人格たちが頑張ってるのは、主人格の再興だと思う。

帰る場所が帰ってこない。統合する場所が帰ってこない。

私がいない。これをさびしいと思う。