報告│誰でもいいことを受け入れる。全の感覚。
彼は私のことが特別だったわけではない。
彼は私のことが好きだったわけではない。
彼は私のことを愛していたわけではない。
私が持つ彼への特別な思い、好きな気持ち、無条件の愛を彼が私へ持っていたわけではない事実。
この事実に傷ついていた。
特別であって欲しいし、好きでいて欲しいし、愛していて欲しい。
でも現実を見て、そうではない。全くもって違ったものだったんだと思う。
真逆である。その真逆である事実に傷ついていた私がいた。
自分とは違った。それに傷ついてた。
だからきっと私がどんなに特別だと思っていても、好きでいても、愛していても、彼は真逆。
私のことを忘れて結婚していてもおかしくはない。
彼にとっての私は通りすがりみたいな感じ。
私は忘れられないけど、彼はもう痴呆症レベルで忘却して自分の幸せを掴んでいてもおかしくはないんだろうなと思う。
そういう人もいる。
片方にとっては特別でも、片方にとっては通りすがり。アイドルとファンぐらいの価値観の違い。
だから、ずっと好きだった人がいつの間にか結婚してたとか、そういうこともあるんだろうなって感じ。
ずっと忘れられない人が同じように忘れられないでいるわけではない。忘れてるし、ぽてち食べてると思う。
でも、それでいいんだろうなって思った。
特別な人じゃなくて、誰でも良くて。
好きじゃなくても、愛していなくても。
別に誰でもいいんだなって思った。
そうやって結婚してもいいんだろうなって思った。
誰でもいい。
こうやって言葉にすると残酷だけど、誰でもいいんだと思う。
それが私は出来なかったし、よくわからなかった。
そうやって生きていれば、確かに傷つかずに済むよなって。だって誰と結婚しても同じってことだし。
でも逆にこれって、前回の恋愛の傷を次にも引きずるよなって思った。リアルタイムには傷つかずには済むけど、後からでてくる傷がトラウマ化していくと思う。
今は傷つかないけど、トラウマとして残る感じ。
個人と向き合わなかったからこそ、背負うものって感じかな。
私は全服の信頼を彼に置いて、全身全霊で彼に気を向けた。
真剣に向き合ったからこそ、傷つく量が多かったんだなって思った。
彼はそうではない。私には向き合わなかった。無視してなかったことにして、嫌なものには目を向けなかった。
きっと当時は傷つかずに済んだんじゃないかなと思う。その場しのぎだとは思うが。
自分の心を守るってその場しのぎでしかないしな。
私にとっては、彼はたったひとりの男性だったけど、彼にとってはあまたいる女性のなかのひとりだったんだと思う。
ちょっと違うかも。
「なとり」という女性ではなくて、彼は私を「女性」として認識してた。
個を認識しないから、恋とかわからないんだと思う。
恋は固有を認識することだから。
だから「誰でもいい」になる。誰でも同じなんだと思う。
彼は「私が好き」だったわけではないんだと思う。「女性が好き」が正解。
よく言えば、分け隔てない。
シンボルや象徴的認識しかしないんじゃないかな。(トラウマ量多そうな視点だなと思う。)
全と一の違い。私は一だった。彼は全だった。
私は彼が良かったけど、彼は誰でも同じだった。私に対してのこだわりはないんだと思う。だから別に次の恋愛に進めたりするんじゃないかな。
私は立ち止まってしまうけど。これが執着に見えるのかもしれないんだが、単純に「固有名詞を認識している」ってことなんだと思う。
固有名詞を認識しなかったら執着はしないんだと思う。どれも同じだし。
人とちゃんと向き合った人は特に執着(固有への認識力)が強いってことなんだろうな。
内丹術についての記述後にこの1件が浮上した。
なにか繋がりがあるのかな? と思えば、ここである。
全と一の違い。
私も彼にこだわるのはやめようと思う。どれも同じちんちんである( ˇωˇ )ってことを受け入れる。
醒めていくよね。目が覚める想いだよ。
まさか「人と向き合わない」「人を固有として認識しない」ことによって執着を生み出さない、期待がない。リアルタイムで傷つくことは無いが、トラウマ背負いやすい。次の恋愛に過去の恋愛を引き継ぐ。
人と向き合い、固有を認識することは「執着」であり「期待」なんだよね。リアルタイムで傷つき続け、トラウマは背負いにくい。次の恋愛と過去の恋愛は別物。
トラウマっていうか「女性恐怖症」とか、そういう類は「抽象的に認識する」ことによって全体性へのトラウマを背負うんだ。
世明けのツインレイにもこだわりがあったみたい。それが抜けた気がする。