ツインレイの無意識の自分(4次元統合)と意識の自分の統合について

| Ⓒ なとり

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイの5次元統合は精神と肉体の両方を同時に行うおせっせのことじゃないかな、って結論が出たって話。

自己統合⇒4次元統合⇒自己統合(今ここ)⇒5次元統合

みたいな感じになっている。ひたすら統合。

 

ツインレイの統合というよりも、自己のなかに生じる『無意識』と『意識』を統合していく経緯のように感じられる。

地上のツインレイにより『意識の顕在化』をさせられ、楽園のツインレイにより『無意識の顕在化』を行っている。

地上のツインレイでは意識による自己の確立が生じる段階において、無意識に存在しているインナーチャイルドが抑圧されている状態となり、その状態から自己のなかにある無意識が排他される状態となる。

いわゆる、意識的に生きることができるようにあると、逆に無意識が分離してしまう——ということ。

無意識的な行動が少なくなるというよりも、自己のなかに眠っている背面チャクラに存在する不調を分離させてしまうということ。

背面チャクラと前面チャクラは繋がっているはずだが、前面チャクラのみに着眼され、背面チャクラには意識が向かわなくなり、過去よりも未来志向へとなる。

この分離が明確に行われることにより、自己のなかには『過去の自分』と『今の自分』という存在が生まれることになる。これが『ツインレイ』として生じるのである。

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自己のなかに生じる『無意識の自分』とは

従来、私たちのなかには『無意識』と呼ばれている領域があるが、その無意識とはまた別の話にもなってくる。

私たちは私たちの自己を形成していく過程で『意識的に行動する』という部分が増えれば増えるだけ『無意識が無意識として存在する』ことができるようになる。

このふたつは、私たちが私たちとして意識の領域を増やせば増やすだけ、受け取れる無意識が増える——ということ。

私たちは特に意識して生きることがなくても生きることができるが、意識を意識していくことによって無意識が意識されるということ。

これは無意識的に生じる自己のなかにある悪しき側面を排除し、自分で抑圧していく経緯により、意識している自分を更生していく。

いわば、自己のなかに生じている『意識』とは『無意識』により生じていると考える。

図の説明:無意識のなかにある悪を意識することで意識を構成する

つまり、自分自身の過去そのものが無意識を形成している。無意識とは、私たちの幼少期などの記憶から生じるため、そのなかに存在している意識とは「家族」などの環境によるものを吸収して構成しているのが『無意識』なのである。

しかし、この無意識が自分の思い通りのまま——というわけではない。なんなら無意識が悪さをして自分の人生を破壊してしまうことなどもある。ゆえに、無意識を意識して抑制することにより、このときはじめて『意識』が発生する。

いわば、無意識を抑制すればするだけ、意識が発生し、私たちは意識的に生きる——ということ。

このとき、私たちは『無意識』と『意識』が生まれ、無意識の自分ではなく意識の自分を生きることになる。これが『抑圧』により生じる。

私たちが無意識を開放し、ありがままに振舞えば、きっと誰かを傷つけ、きっと自分さえも傷つける結果となっていったと思われる。ゆえに、私たちは過去により構築された無意識を抑制するのである。

本来、私たちは無意識により構成されているがゆえに、意識により生きている人たちの多くは『幸福』とはいえない。少なからず、無意識を抑制せねばならないということは『あるがままであること』を許せない。

無意識を意識と統合するとは(自己統合)


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私たちのなかに生じている意識のうち『無意識』は、意識による抑圧により生じているが、従来、私たちの意識は無意識の中から生まれたということ。

意識と無意識は相反する存在であり、無意識の自分と意識の自分とは『真逆』なのである。

ツインレイのトリックの本質には、この『真逆の自分』と呼ばれているが、意識の人生を生きているとき、無意識の自分の個性が排除されているが為に、自己の分離を起こしているに過ぎない。

この分離の中でも『意識できている部分を無意識として分離している』のである。

図の説明:意識と無意識の間に無意識のなかで意識している部分

この部分を私たちは『意識』として統合させることができる。それは私たちが『抑圧した部分』である。それは自分の中にある大嫌いな自分である。

図の説明:意識のなかに無意識部分を統合させる

いわゆる、私たちはこれにて『自己統合』をさせているのである。

つまり、私たちは私たちのなかに存在する『抑圧している自我』が大きければ大きいほど、意識により受け取れる統合意識が増えるということ。その総量が大きい人もいれば小さい人もいる。

大きい人は抑圧している自我の量が多く、小さい人は抑圧している自我の量が少ないといったところか。そして、その抑圧している部分が大きければ大きいほど、その受け入れる総量は増え、シャドウの量も増えるのである。

 

無意識に対して意識的にとりかかることが出来れば出来、その無意識を抑圧すればするほど、人のなかに『自分』を見つけることになる。それがシャドウなのである。

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意識と無意識によるツインレイの自己統合のこと

ツインレイの相手を受け入れる反動により、自分のなかにある抑圧している『意識している無意識』がでてくる。この意識された無意識を抑圧しきることがツインレイによる課題である。

図の説明:抑圧をしている意識された無意識を刺激され爆発する構造

ツインレイとは、自分が持っている意識により抑圧している無意識の部分を刺激するようなメカニズムをとっている。それがいかなるカタチであれども、ツインレイの相手に投影する姿はほとんど『自分』である。

それは、ツインレイの相手により投影された自分自身が『意識される無意識』となり、その自分をサイレント期間では内包していくことになる。

自分自身の抑圧している部分を、相手の無自覚による無意識により刺激され、抑圧が外れそうになるのを必死に耐えるようにしながら、相手の無意識を愛することで、ツインレイの相手による無意識を受容し、自分のなかに存在する無意識を排除しようとしているのである。

ツインレイとは『自己統合をしあう仲』とも言える。しかし、私たちが行うのは、自分自身のなかにある『嫌いで抑圧している部分』をツインレイの相手に差し出し合うことになる。

ツインレイの相手が持っている自分を刺激する存在である無意識こそが『抑圧している己の無意識』だからこそである。

図の説明:ツインレイの無意識により自分で認識している無意識を意識する

つまり、無意識のなかで『本当の無意識』と『反転している無意識』の2種類が生じ、このふたつが葛藤を起こす。お互いがお互いを抑圧し合っているために、自己葛藤を呼び起こすのである。

そのためにはツインレイの相手が持っている『本当の無意識』を自己のなかに取り込み、その無意識と自己のなかにある反転している無意識のふたつを統合させる必要性がある。

図の説明:自己統合とは自分の意識領域を広げている

いわば、ツインレイとは『自分のなかでおかしくなっている自己』という存在がある人たちである。いわば、抑圧しなければならないほどに暴走しそうな『反転した意識』を意識によって抑圧することで、無意識の暴走を抑えようとしている。

この反転した意識とは背面チャクラに眠っている過去の記憶である。

自己統合とは、ツインレイの相手による意識を愛することにより生じ、その統合された意識により『意識の拡大』を齎す。

 

つまり、このとき『ツインレイと統合された意識』が『意識により抑圧された無意識』である。

ツインレイと統合された意識を意識に統合する

段階を踏んで考えてみよう。

先ずは、自分が抑圧している無意識と、ツインレイの相手によりもらった無意識を統合させる。これにより『意識により生じた無意識』が生まれる。これが私の話す無意識体である。(眠っている世界でも自由に活動しているし、起きている世界でも私と重なっている私)である。

この統合意識に対して私は「自分なのか彼なのかがわからない」し、自分のときもあるし、彼の時もあるのである。このふたつが統合される無意識は『彼』だと当初は感じる。その彼がサイレント期間中に、シャドウとの関わり方により自己統合を済ませていく。

なぜ私の中の彼が統合をすることができるのか——というと、彼に愛してもらった経験があり、その彼を自己のなかに内包しているからこそ、私の忌まわしき意識も私の中にいる彼は『愛する』ことができるし『対応する』こともできる。

この対応の仕方をツインレイの彼に愛してもらった経験により培っていくことができる。

これにより『意識により抑圧された無意識』がツインレイにより『前向き』になることができる。いわば、無意識のなかに『彼と私の統合意識』が生じるということ。

これが4次元統合とも言える。

図の説明:自分の意識とツインレイと統合した意識された無意識を統合する必要性がある

その後再び、自分で意識している『自分』と『ツインレイと統合した無意識』を、両方ともを『意識』として統合させることができる。それは『無意識領域』にも繋がれるし、『意識領域』にも繋がれる優れたものだと思われる。

この5次元統合とされたツインレイとの統合意識により、私たちは自己浄化を始める。この自己浄化の経緯で、私たちのなかに存在する悪しき側面性や抑圧したい自己を内包したりなど、色々やらねばならないことがある。

5次元により統合された意識は、自己浄化を始め、最終的には『完全に一体化』されることになる。

完全に一体化されることになった『4次元統合意識』には、彼の意識は存在していない。なんなら『自分』という感覚にまで取り込むことになる。

自分と言う感覚になったとき、私たちは『融合された』とも言える。なんなら本当に『統合』とも言えるんじゃないかと思う。

また、この4次元の統合意識を自分の顕在している意識に統合し、結合する経緯によって、私たちは『無意識領域にアクセスしやすくなる』というわけだ。

4次元により生じる統合とは、3次元による無意識を4次元という時間的タイムラインにまで引きずり下ろし、時間的概念をくわえることで、時間を理解することができるようになる。

また、その先にある無意識は3次元領域とし、その領域に対してのアクセスができるようになることで『空間』を理解するようになると思われる。

無意識は3次元(無風空間・ワンネス意識)にあり、意識される無意識は4次元(時間)にあり、意識は5次元(霊的世界と肉体の統合世界)にある。

 

導き出された答え。5次元統合とは、肉体と霊体的な無意識と同時に行わせるおせっせじゃないかな。

肉体によるおせっせと、精神的な結合感を感じるおせっせが5次元統合ってことだな。

その前に『精神的な結合』とか『精神的な統合』を4次元ベクトルで済ませておく必要性がある。4次元とは時間的概念が必要なんだが、ここに『時間』が必要。

つまり、精神的なふたりの統合意識を生み出すには『時間』が絶対的な条件としてあげられる。