【魂の結合】私に会いに来た人が『彼』だと思います。私との約束を覚えている人が『彼』です。

2024年8月23日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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愛の意味を探していたような気がする。

あのとき、私は彼に「会いたい」って思ったいたけれど蓋をした。会えないときだったから。

あのとき、彼は私に「どこにもいかないで」って思っていたけれど蓋をした。そばにいられないようなときだったから。

でも、それが愛だったような気がする。

自分の欲求が、愛だったような気がする。

だから、私の会いたい気持ちは彼の元へ飛び、彼のどこにもいかないでって気持ちも私の元へやってきた。

 

愛は苦しいものでした。

愛するとは、自分の気持ちを我慢することだったから。

でも、愛とは、本当は自分の欲求を相手に伝え、相手に受け入れてもらえることによって生まれている。

会いたいって気持ちを、彼は今受け取ってくれているんじゃないだろうか。同じように、彼が私に向けたどこにもいかないでって気持ちを私が受け取っているように。心を受け取り、愛を完成させたように。

彼の気持ちをようやく受け取れて、私は彼を愛せたって実感できました。

この苦しみは、愛以上のものだと思います。

私たちは、心を差し出すことだけではなく、心を留めることも、ひとつの愛だと証明しました。

苦しみは愛でした。それはひとつの側面です。

もしかしたら、自分が苦しんでも、あなたを守りたい気持ちを恋と呼ぶのかもしれません。

 

今、彼のことが好きだとか。愛しているとか。そんな気持ちはさらさらなくて。

好きだった人だったんだなって。そして、全力で自分の本心を制御したいと思うほどの人だった。

あのときのふたりは、お互いに本心を受け取れない状態だったから。

その愛を伝えることは、相手を困らせることだったから。

だから、困らせたくなくて、一生懸命我慢したことも、これも、ひとつの愛だったんじゃないでしょうか。

そして恋のカタチ。

相手へストレートにもし、愛を伝えることが出来たならば、きっと私は彼に「会いたい」と伝えたことでしょう。それがもし、あのとき、彼が困らない状態だったならば、きっと私は彼に伝えました。

彼も同じだったんじゃないでしょうか。

愛を我慢することも、ひとつの愛でした。それは自己犠牲のようにみえますが、立派な愛だったと思います。

これが恋だと思います。好きな人だったから我慢しました。嫌われたくなかったわけではありません。

あなたを想いました、ただそれだけです。あなたを想えば、我慢するしかありませんでした。

大好きでした。だから我慢しました。

これを成し遂げることが出来たのも、彼だったからなんだと思います。全力で大好きな人だった。

 

時間が過ぎてしまい、もう、私もずいぶんと人として変わってしまったのだと思います。

その変わり果てた自分が、彼からの心を受け取ったって感じです。

私は、今、ちゃんと生きていきたい。後ろを向くのではなく、前を向いて歩いていきたい。

そう思ったときにやってきた心が彼の本心でした。

 

彼に幸せになってほしい気持ちに嘘はありません。

彼の気持ちを受け取って、ちょっと混乱もしたんだけれど。

彼が自分の幸福は決めていけばいいなと思いました。私が決めることではありません。

私は彼といっしょにいられて幸せだった時間は嘘ではありません。好きだったことはなかったことになりません。

我慢しなければならない本心に耐えられなくなって、お互い、自分のなかに時限爆弾を抱えて走り出したような気がする。恋を抱えて走り出した。この恋を愛に切り替えられるまで、走るしかなかった。

会いたかったし、どこにもいかないでほしかった。

お互いの本心を我慢せねばならないときでしか、出会えない縁でした。

私と彼の縁は『本心を我慢する縁』です。だから出会えば我慢します。恋をしていたからです。あなたをいつも想っていました、自分の本心を我慢することが恋でした。

前世も、いつだって我慢していた。

ひっくり返っていると思います。あなたに恋しているとき、私たちは本心を我慢します。

会いたいとき、会えません。会いたいって言えません。

どこにもいかないでほしいのに、それが言えません。いかないでって言ったらいけません。

大好きだからです。好きになればなるほど、言えません。言えない状況に陥ります。

これが私たちの縁であり、この地上にやってくるときに発生したカルマです。

恋というカルマです。

どう頑張っても結ばれることができない縁ですが、私は全力でその縁のままに彼と共にありました。

運命に翻弄されました、彼と私の縁は魂の初恋と言う強固な運命です。

 

今の私は、会いたい人に会いたいと言えますし、会いに出かけることが出来ます。

彼は今ならば、そばにいてほしい人に「そばにいて」って言えるのではないでしょうか。

ここにいてほしいと、伝えることができると思います。

それがもし、私ではなくても私は構いません。私がそばにいることだけが正解ではありません。

彼がそばにいてほしい人と共にいられることが正解です。

 

今の私は、彼に会いたいと言葉にすることができます。

彼もきっと、今ならば、私にそばにいてほしいと言葉にすることができると思います。

 

会いたいです。会いたいと思います。それが私の本心だからです。

私の本心がそのように語っているから、私は彼に会いたいのだと思います。

 

それだけでいいのではないかな? と思います。

よくわからないんですが『それだけでいい』と思います。

結ばれたいとか、再会したいとかではなく、私はただ『会いたい』んだと思います。

きっとどこかで会えます。

それがいつになるのかはわかりませんが、きっとどこかで会えます。

会いたいと思っていますから、いつか出会えます。

 

あなたと私は当初「会えない」「どこかにいかなければならない、いっしょにいたらいけない」でした。

でも、本心は「会いたい」「どこにもいかないで」に切り替えて、魂の縁の結合を果たしました。

組み替えました、あなたと私の本心が叶いました。恋が愛になりました。

会えない人と会いたいと想い、いっしょにいたらいけない人と共にありたいと願いました。

これを恋と呼ばずに何と呼ぶのでしょうか。

 

私は今生きているので、過去の彼に囚われて、先に進むことを恐れることはありません。

婚活も続けますし、私に好意を向けてくれる人たちと向き合い続けていくと思う。

それが私なりに出来る限りのことをやることなんだと思います。

どのような結果になるのかはわかりません。

もしかしたら、私の結婚が決まったあと、彼がやってくるのかもしれないし、どのような結果になるのかなんて先のことはわかりません。

先のことはわからないので、自分で自分の道を彼だけに限定することは自分の為にしてはならないと思いました。

私は常に私の幸福を追求して生きていかなければなりません。

今ある私の本心のままに生きることが、私の人生の在り方なのだと思います。

 

もし、現世で彼と再会することが出来なくても、それはそれでかまいません。

彼のことを大好きだった私は、ずっとここにあり続けるし、きっと来世で出会ったときは、あなたは私に会いたくなると思います。それにそばにいたくなるでしょう。

必ずしも『今』という時期に限定しなくてもいいです。いつか——で構わない。

 

そのうち思い出しますよ。私のことを思いだします。

私にきっと会いたくなると思います。思い立ってもいられなくなって、慌てて会いに来ると思います。

それが誰なのかを私は知りませんが、それでいいんだろうなって思います。

誰が来ようとも、それは『彼』なのだから。私はその人のそばにいようと思います。

私に会いに来た人が『本当の彼』だと思います。

そして今度ばかりは、私に跪いてプロポーズしてください。

それがあなたと私の約束ですから。私との約束を覚えている人が誰でもない『彼』です。

だから、私は待っています。待つと決めましたので、私に会いに来る人を待ちます。

それが誰なのかはわかりませんが、その人を待ちます。

もう出会っているのかもしれないし、もしかしたら、出会っていないのかもわかりませんが、私との約束を覚えている人が彼です。

まだ誰も私に会いに来ていません。人生で、私のところまで自ら会いに来てくれた人はいません。

だから私はすぐにあなたを見つけることが出来ます。