ランナー&チェイサーによる愛された経験と愛した経験による執着

2024年8月27日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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愛した経験への執着と、愛された経験による執着は、ツインレイをランナー&チェイサーという関係性を構築する。

愛した経験は相手をひたすら待つ。

愛された経験は相手をひたすら追いかける。

その経験を手放していくことで、愛された側は大人になり、愛した側は親として成立する。

愛した経験を持つ側は、相手を待たない領域へと達していく必要性がある。

愛された経験を持つ側は、相手を追いかけない領域へと達していく必要性がある。

ふたりの関係性は連動している為、この期間を『サイレント期間』と呼ぶ。

どう頑張っても、二人は、追いかける側(愛された経験への執着)は相手を攻撃してしまい、待っている・追いかけられる側(愛した家への執着)は相手の攻撃に反応を示すようになる。

私の場合は地上のツインレイがこのケースに適応する。

サイレント期間中は関わればケンカという状態になる。

 

愛された経験に執着をするとは、無条件の愛により自分の全てを受け入れて貰えた楽な感覚。喜び。否定されない安心感。

これにより、もっと愛されたいと相手を追いかけることになる。しかし、愛された経験への執着は、より一層相手への強い攻撃性をもはらみ、それが社会的に許される発言や行動とはならない。

 

愛した経験に執着をするとは、無条件の愛を与え、次の段階にある条件付きの愛への進展をしないことにある。

愛した経験を与えた側は、相手が成長することを待ち、自分では攻撃性に対してなどの否定や反発をもてないことにある。(無条件の愛だから)

 

ふたりの関係性は、相手を攻撃し、また攻撃されても耐える――というような関係性でもある。

 

愛した経験側が無条件の愛から条件付きの愛を獲得し、相手を丸ごと愛する(全てを受け入れる)のではなく、自分自身のなかにそれなりの指針を元に条件を提示することができるようになる必要性がある。

愛された経験側は無条件の愛を与えられるのではなく、次に発展された条件付きの愛という相手が持つ指針を受け入れる必要性がある。

この段階では、自身の性別を獲得する。

ふたりの関係性は、自分の性別を獲得したあと、離別を迎えることになる。目的は果たされたためにある。

 

私たちの目的はツインレイにある。

地上のツインレイは、自分の性の状態から次に両性である楽園のツインレイへの発展が望まれるためである。

また、楽園のツインレイの二人は、今度は両性を獲得へと進む。

サイレント期間に入る理由はランナー&チェイサーの関係性ではない。

ランナー&チェイサーはサイレント期間に出会う別の人(同性)により構成され、ツインレイたち自身はツインレイに対し、『愛する経験への執着』と『愛される経験への執着』を持っているわけではない。

しかし、ここに来て、執着を明確に手放す機会に恵まれ、今度は『信頼』の意味を知ることへと繋がっていく。

それは『待つこと』であったり、『努力をすること』である。

ツインレイたちは執着をしないことは出来るが、ではどのようにツインレイへと接すればいいのか。どのように思うのかを知ることができない。

だからこそ、楽園のツインレイの期間では、執着を受けること、または執着をする経験を強烈にツインレイ以外とし、その経験から『ツインレイへの信頼』を導き出していく必要性がある。

図の説明:地上の関係性を楽園のツインレイのサイレント期間に同性と模し、最後の最後に同室の異性と出会い出会いと別れを簡略に済ませる

この楽園のツインレイのサイレント期間における出会いと再会、そして別離の相手を、私自身は『シャドウ』として認識する。そして、別離に踏み込むとき、投影を抜けていく。

投影を抜けるとは、無条件の愛による投影から、その次における条件付きの愛による投影へと進むことである。

シャドウに対して——。もしくは、地上のツインレイに対して愛した経験を持つ執着の「強く出られない理由」は、自己投影があるからである。自分を無条件に愛している人たちにとって、地上のツインレイを無条件に愛することへと繋がっている。

そして、投影を抜け、次なる条件付きの愛は相手に社会性を齎し、多くの人たちとの関係性を円滑に保つことができる人間性を構築させることができるだろう。

この経験は、その後、別離というカタチに着地することにもなる。それは愛した経験を執着した側が『条件付きの愛』を手に入れ、また愛される経験への執着をした側が『条件付きの愛』を相手が受け入れた証拠でもある。

今度は「条件付きの愛」という投影を生み出し、愛するのである。そして、愛されるのである。

 

これは人の精神の成長である。

あなたが、人を愛し、また人に愛されるがために必要な発展のひとつ。

あなたがどこかで誰かに愛され、あなたがどこかで誰かを愛する為に。そのとき、そのふたりが喜びの関係性を何度も続けていくことが出来るように、私たちは、愛する形を切り替えながら、先へ進んでいく。

執着をしてはならない。次に新しく出会う『誰か』のために。

私たちの愛は、何度も繰り返されていく『出会い』と『別れ』のなかにある。

人と人の繋がりのなかに、私たちは愛を折り重ねていく。その出会いと別れを正しい愛の循環のもとへ戻すことこそ、ツインレイが行っている『条件付きの愛』なのだと思う。

あなたはたしかに愛されていた。だからこそ、条件付きの愛が受け入れられないのである。

あなたはたしかに愛していた。だからこそ、条件付きの愛が実行できないのである。

社会とは他者の集合体である。あなたが社会でうまく息が出来ないのであれば、私たちは何度だって条件を付け、その条件を満たすあなたを愛する。社会に適応しているあなたを愛する。

あなたが愛する人と出会うためにである。そして、あなたが愛される為にである。

もし、あなたが条件に満たされたとき、今度は私ではない誰かがあなたを迎えに行くよ。今度は間違えることなく、相手を見つけられるように、愛の循環のなかに戻ってほしい。

そのなかにある赤い糸を手繰り寄せることが出来たとき、きっとあなたは「私」を見つけるから。

さびしいと思う気持ちを乗り越えて、先に進め。自分がいるべき場所に戻るべきだ。

ここはあなたのいる場所じゃない。あなたがいる場所はよく日の当たる優しい世界だと思うから。

私はあなたに幸せになってほしいと思うから、この世界に適応するための条件を付ける。

 

条件付きの愛。それは社会性と現実性をもたらす、社会のなかで、あなたが生きていくために必要な信頼の為の愛。

あなたを信じているからこそ、与えている条件である。その条件を満たした人間になっていけ。そのとき、あなたは必ず愛される人になれる。そして、次に誰かを愛していける人になっていこう。

そんな人になれると、私はずっと信じている。