なとり独立宣言│明日の自分の背中を導き出し創造し、明日の自分を追いかけてきました。
かなり早くに、私は自分が「失敗作だ」と理解しました。
二十歳にはすでに私は親に子育ての失敗をされた失敗作として生みだされた存在であることを理解していました。
人生は『失敗作としての人生』を歩むことがもはや16歳でほぼ確定事項であった事実。
とりあえず「生きる」ことすら困難な状態から、自分の明日がどこにあるのかの道を見つけることができませんでした。
つまり、なりたい自分がどこにもいませんでした。
母や姉のようにはなりたくないという否定はありましたが、では、どのような存在になりたいのかはわかりません。モデルがいないのでわからないんですよ。
そこでようやく出会った師匠をモデルとしましたが、彼は男性であり、女性のあり方や母になる方法は教えてはもらえませんでした。
私は自分がどうなりたいのかすら、人としてを導くことに師匠がいましたが、性別という概念を持たせた時の私はあやふやな性別でした。
モデルがないので、理想もありません。
私は「理想の模索」を始めました。
女性とはどうあるべきか、母親とはどうあるべきか。なんなら師匠を超えて人として自分はどうあるべきか。
分からないからこそ、私は考えました。
こういったケースは多くあるわけではないそうです。
自分でなりたい理想をビジョン化させ、そのビジョンに自分を合わせていく作業は、明日の自分の背中を見つけ続けていくこと。
そこにある大きな背中を追いかけるのではありません。自分の大きな背中を自分で導き出し、そこに自分を合わせていきます。
だから私はずっと「自分がどうあるべきか」を考えてきました。
自分が思う、正しいと思う理想的な自分を追いかけて、私は生きてきました。
辛かったです。
答えをそこに与えられ、その答えを自分に合わせればいいわけではありません。
答えがありません。
私はずっと人生の数式と人間という存在の在り方についての数式を何度もとき続け、数式を立てては答えが本当に正しいのかの思考を繰り返し、私はその答えをようやく自分に適応させていきます。
私は誰かの真似をして自分を構築してきたわけではありません。
自分の中にもしモデルケースがあるとしたならば、我が師匠が「明日の大きくなった自分の背中」を追いかけていく姿を、私のモデルケースとしました。
私は師匠の生き方を学び、そこから自分という最適解を何度も解き続ける人生が私の人生です。
人よりも成長がものすごく遅いです。そして、私は成長するたびによりオリジナルです。
私はなりたい私という回答案を自分に合わせ、自分を構築してきました。
私は私になりました。いいえ、違います。
私がなりたいと思った私になりました。
それは明日の私です。私は明日の私になり続けてきました。
私は過去も未来も今も。すべてのタイムラインを『私』という概念で埋めつくしました。
私は自分が好きです。
私は親にとっては出来損ないの失敗作としてうまれました。
しかし、私は失敗作だと今は思っていません。
失敗がひとつの成功事例のひとつして成り上がるだけの人生でした。
私は失敗作だからこそ、次の成功を自分自身で導き出すことが出来ました。
何度も失敗して、自分のなかで多くの調整を行いました。地獄のような日々でした。
人が本来ならばやらなくてすむような自己破壊を何度も経験してきました。
明日が見えませんでした。
明日の道がどこにあるのかがわかりません。
どのように生きればいいのかが全くわからないまま、社会の渦に放り込まれた私は、どのように生きるのかが正解なのかを自問自答し。そして、その正解なる事項ビジョンを自分となれるように、明日の道を探してきました。
明日がわかりません。だから私は考えます。
明日をどうするのかが正解なのか――を長考します。自分の理想を自分とする人生は、常に道の最先端にいます。
私の後ろに道ができますが、私の前には道はありません。
道無き道を歩き続けるとき、共にある神がいました。
それが玉依でした。
神は私に道無き道を進む私のそばにいました。
どうしたらいいのかの答えは与えてはくれません。しかし、どうしたらいいのかのヒントはすべて経験として与えてくれました。
私は経験のなかで最善について考えますが、何度も失敗を繰り返します。
経験は答えを与えてくれるわけではありません。数式を与えてくれるわけではありません。
私は経験から、数式と答えを編み出さなければなりません。誰も数式も答えも与えてくれません。自分で考えて答えを出していました。
こうあるべきだと自分に課し、自分を人として立たせました。
私の人生とは、そのようなものでした。
アダルトチルドレンとは、大人という理想像がどこにもなかったことがあげられると思います。
自分がこんな大人になりたいと、そんな尊敬が持てる存在が親ではなかったんです。
だからこそ、私は子供にとって理想のひとつや尊敬できるビジョンを見つけられる存在になろうと思いました。
そういう尊敬できるような大人になろうと思いました。
私には答えがありません。
私は両親のどちらにも似ていません。
私は師匠によく似ていましたが、今は似ていません。
私はずっと師匠の背中を追いかけ、あるときから、師匠が自分の背中を追いかけている姿をみて、私も同じように自分の背中を探すようになりました。
私は師匠を尊敬していました、心から。
ですが、私はもう数年前から明日の自分を追いかけています。明日の自分を探し、より、自分が自分であろうとし続けています。
今の私は誰にも似ていません。
今の私はオリジナルです。私が経験から数式と答えを導き出し、オリジナルの自分を導き出し続けたからです。
私はそんな自分を誇りに思っています。
私が私でよかったと思います。
私は自分のことをいつだって認め続けています。
私は親からすれば失敗作ですが、私からすれば成功作です。ですから、親は失敗していないと私は思います。
親は自分たちにまるで似つかない私を受け入れてくれています。似ていれば、少しは理解が出来たかもしれませんが、似ていないので理解ができないと思います。
現に理解不能だそうです。
それでも、私が私となり、オリジナルとなっていく姿を認めてくれたのは親でした。
私は親を親として認めたかったです。それは私が成功作として成立する必要性がありました。
私は親が私を失敗させたからこそ、私を成功へ導くことになりました。
私は母親になりたいと思います。
彼へ最初に「子供を育てられる自信が無い」と伝えました。
彼も不安そうにしていました。
子供として私は親の失敗作なので、同じように育てれば私のような存在がうまれます。
私はそれをしてはならないと思っていましたし、やってはいけないことだと思っていました。
だから子供が欲しいとかも抑圧していました。同じ不幸をここに生み出してならないと思ったからです。
今はそうでもありません。どうしたらいいのかがわかってきました。
私は自分の中に「親という概念」を経験から、数式を導き出してきました。明日の私という答えを計算してきました。
子育てとはどのようなことなのかを、私はこのツインレイの期間で学びました。
だから、ちゃんと育てられると思いました。
私は女性とはどのようなものなのか。母親とはどのようなものなのかは知りません。
データがありません。
しかし、ないのであれば、創造すればいいだけです。
私は『私』の創造主です。いつも明日の自分を、私が創造しています。
考えます、明日のために。
私はウロボロスです。何度も明日の自分のために自己破壊し、自我創造を続けていきます。
私がウロボロスでした(^o^)ノ
私は自己完結します。私は私だけで自己完結しています。誰も彼も関係ありません。
私を破壊できるのは私だけです。私を創造できるのも私だけです。
私は誰かの影響を受けません。私は私だけで独立します。
私は明日がわかりません。
しかし、明日は私が知っています。私が創造するからです。