アセンションするための宇宙への帰り道について
Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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ここ最近やっていることは、人間的意識の分離と宇宙的意識の分離だなと思いまして、その件についてまとめていく。
最終的な目的は『アセンション』なわけだけれども。ここでいうアセンションとは、宇宙的意識を分離させ、宇宙に宇宙の記憶を戻すことにある。
これは「宇宙の意識を宇宙に返す」ことでもあって、人間の私たちの中にある宇宙の存在である自分を『宇宙に戻す』作業なんだが、やり方は「来た道をかえるだけ」なんだが、その来た道を忘れてる状態みたい。
生まれるたびに「魂の記憶を忘れる」わけで、覚えていようとしても覚えていられなくて「なんかやらなきゃいけないことはある気がするんだけれども、なにをしに来たのか忘れた」って状態になるぽい。彼らは『使命を探している』と感じるみたいなんだが、とりま、何がしたいのかっていうと「来た道を戻る人生を送ることが使命」なわけである。
では、この来た道を戻るとは、どのようなことなのか——だが。
来た道を戻るとは、アダムとイブの神話にある。
アダムとイブの神話は、沖縄などにもある。いろんなところにアダムとイブと似通った神話がある。
話の大筋的には、アダムとイブが地上に降りてくるって話なんだけれども、個人的にアダムとイブの話は「神が人になる話」でもあるし、「魂が肉体に受肉して自立していく話」でもあると思われる。
アダムとイブの場合は、羞恥心を覚えたわけである。羞恥心があるからこそ『労働』『出産』『死』というものが生まれたとされている。
沖縄のアダムとイブの神話では、人間がおりたったあと、モチが天から落ちてくるわけなんだが、ふたりが『備える』という知恵を手に入れた際、モチが降ってこなくなった。神からの恩恵がなくなったということ。
基本的にいえることは、地上に降り立ったアダムとイブは、魂が肉体に受肉し、その際において私たちは「時間」を手に入れたというのが一番に重要なのかなと思った。
いわば、魂には時間的概念がない。
時間的概念がないとはどのようなことか。それは永遠であるということ。
永遠だからこそ、時間的概念がない。時間的概念がない存在が「労働」「出産」「死」「備える」など、時間的概念に適応することができるようになっていくと、神から自立していくと言うことである。
で、これが来た道なわけである。
私たちは時間的概念に適応した。真逆に帰るのであれば、時間的概念に不適合になる——である。
時間的概念に不適合になる——とは、
- 後先を考えない
- 労働をしない
- 死ぬことを省みない
- 心配や不安、恐怖がない
- お金を貯めない
ということである。いわば、この世には時間的概念があるからこそ「未来」という概念が存在している。私たちは常に未来に恐れ、備えているわけなんだが、魂は「未来がない」わけである。
未来がないというよりも、死が怖いとかもないし、労働しなきゃいけない理由もわからないし、備えなきゃいけないのはどうして? みたいになっている。
とにかく、魂として生きることは「未来を切り捨てること」に相応しい。
未来の安心や保証を全てかなぐり捨てて「自分は絶対的に大丈夫」と思っているニート。これが魂として生きるということでもある。
それは「今、ここにお金がないことへの安心」でもあり、その信頼は神へと向かっている。
神は「必要な分だけ与えている」わけであり、その「必要な分だけ与えてくれている神に繋がること」が、魂として生きることである。
で、それはアダムとイブが羞恥心を覚える前であり、沖縄では貯蓄や備えをする前のことである。
どういうことかというと、羞恥心を捨てろ。貯金や蓄えがなくても安心できるメンタルのとき、私たちは魂に触れている。
その状態に戻るとき、私たちは神の絶対的な恩恵を授かることができるわけである。
で、これが「アセンションする道」であり「人間的自分と宇宙的自分」の分離に繋がってくる。
人間的自分とは時間的概念がある自分のことであり、宇宙的自分とは時間的概念がない自分のことである。
私たちのなかには「時間的概念のない自分」がいることがあって、これが魂である。
私たちの肉体のなかに、もし「魂」が入っているのであれば、その子は時間的概念がない人生を送りやすいとも言える。
人間的自分という霊もいれば、宇宙的自分という魂もいる。
ふたつを合わせて「霊魂」なわけだ。
宇宙的自分である魂が入っている人たちは、アセンションを目指すわけで、それは自分の身の保身を切り捨てたり、自分の安全を捨てたり、自分の未来の人生に対して「何もない」人たちとも言える。魂には時間的概念がないからである・・・・・・・。
時間的概念がない状態で「生きる」ことができるようになるとき、私たちはすべてを与えられるようになる。与えられたものを受け取るだけでいい人生になる。
そして、魂がアセンションし、宇宙に返っていくのである。
つまりは、神と繋がるには「未来を捨てること」でもあり、「過去を捨てること」でもある。
過去を切り捨てることと、未来を切り捨てることは「魂」として今を生きているだけになる。
今を生きているだけの存在は、過去もないし、未来もない。これが「永遠」という概念に繋がることがある。
これは「捨てること」なんだが、「人に押し付けること」ではない。押し付けたことで捨てられたと思っている人もいるので注意が必要。
最終的にはすべてが自己責任になっている。人に押し付けた分も全部リリースされて受け取る必要性がある。(この際、罪悪感や罪の意識が芽生えるのである。人に押し付けてしまったものを受け取ると、自分はなんてことをしたんだ! になっちゃう)
未来と過去を捨てることができると、永遠を手に入れる。このとき、神に繋がり、信頼関係を結ぶことができる。
まずは「自分を整えて、神との信頼関係を構築すること」なんだが、それは何があっても神がいるから大丈夫っていう絶対的安心を覚えている必要性がある。
次に「神のもとへ戻る」なんだが、それは自分の身をすべて神にゆだねることなのかな? と思っている。宇宙に返ることで、宇宙との一体化をしていくこと。