レイキで胸が痛むとき、憎しみや恨み、嫉妬が詰まっている。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私は、レイキをしながら自分と向き合うというカタチをとっています。

そっくりそのまま、感情の気持ちをアウトプットして書き残していることも多いです。

純粋な感情のまま、そのまま残しておきたいなと思うものもあるので、書き残しています。

癒してしまったら、その感情たちを再び感じることはありません。

タイトルに書かれている憎しみや恨みとかも、再び感じることがなくなります。

でも、その感情たちが『悪』っていうわけではなくて・・・・・・。

憎しみや恨みが悪で、愛が善で——。そういう考え方は、私のなかにはあんまり根付かせたくないというか。

レイキやっている限り、これでお客さんと関わっている限り、ネガティブな感情たちを『悪』として定義してしまい、その感情を排除するようにしてしまうと、その感情を私の方で拾うことが出来なくなります。

心理学的な視点を持ってネガティブな感情に対して分別しないことにしています。

とはいえど、社会学的な視点では、憎しみや恨みは悪であり、その感情のまま生きることは社会性を落とすことになる。だから癒しましょうねって繋がりがあります。

社会性って何かっていうと、コミュニティーへの参加です。会社に勤める、友人関係を持つ、家族を持つ、恋人と過ごす。こういった他者との関係を持つことが社会性で、自分のなかにネガティブと呼ばれている感情が存在している限り、人は社会性を落としやすいということですな。

 

で、今回、私が「なるほどな~」と思ったこと。

昨晩は、胸にレイキをあてていました。その前には腹部にレイキをあてていたんですが。

なんで、腹部にレイキをあてていたのかというと「自分の結婚を受け入れること」 について考えていたのですが、その件について「正解の結婚」「理想の結婚」というワードに私の身体が拒絶反応を示したので、その部分でブロックを外すことにしました。

ブロック関係は、ほとんど腹部に入っています。潜在意識に埋め込まれたものは、ほとんど腹部か、または頭部に入っている内容が多いイメージです。それ以外の場所で見かけない感じ・・・・・・。

ブロックを外すとき、基本的に苦しいです。汗

お腹痛いですね。元々の考え方をバキッと破壊して、新しい思想を突っ込むわけなので、新しい思想を拒絶します。これが凄く苦しい。

心理的にも苦しんですが、物理的にもお腹痛いです。遠隔などでもブロックを外すことがありますが、お腹が痛いですし、心理的にも苦しいです。

この『痛い』というのも、暴れたくなるような感覚のものを『破壊』します。破壊するなら、確かに痛いですね。爆

でも、そもそも、この『痛い』なんですが、ずっとここで痛み続けています。それがこのときばかりに浮き彫りになって『いたい』を認識しているイメージです。

ですので、ずっと痛み続けているものを浮き彫りにさせて痛みを体感し、その体感を受け取って『痛みの根源を破壊する』ことになります。根源の破壊のために、新しい思想をガンガン入れていくんですが、この過程では私の身体をバタバタしたりします。痛みを逃がさないと痛いんで・・・・・。

いや、ホント、痛いんですよ。世のブロックを破壊する仕事をしているヒーラーさん、すげえなって思う。この七転八倒したくなる痛みに耐えてんのかと・・・・・・。

今回は「理想の結婚」を受け入れていくんですが、古い「失敗の結婚」を破壊していきます。失敗の結婚は理想の結婚を受け入れられないので、苦しいんですね・・・・・・。真逆なので当たり前かもしれませんが。

たとえば、失敗した結婚をした人からすれば、理想の結婚をしている人を受け入れられるのか? っていうと、受け入れられないと思うんですよ。失敗した結婚をした人に理想の結婚をしている人を受け入れてくださいって言ったら、やっぱり葛藤や拒絶が生まれる感じかな。

隣の芝生は青く見えるっていうけれど、本当に青かったら憎しみが生まれるよね。

 

さて、このブロックの破壊が終わると、次に『ブロックの破壊に紐づいているもの』が出てきます。

それが、私の場合、胸に入っていた『憎しみ』とか『恨み』でした。

面白いなと思うのが、私自身が認識していないものを、エネルギーレベルでは認識しているってことですね。

この憎しみとか恨みですが、私のなかには、失敗の結婚者と理想の結婚者がいるわけなんですが、理想の結婚を受け入れたら、失敗の結婚者からは嫉妬が生まれます。

その嫉妬も私のなかには存在していました。それが恨みです。

で、恨みって何か? っていうと、優劣が決まることでもあります。理想の結婚が優位で、失敗の結婚が劣位。

私のなかでは、両親の結婚が劣位で、私の理想の結婚が優位です。

この優位に立つと、劣位が嫉妬まみれになります。どちらも私のなかに共存することになります。

ので、私は「恨み」を覚えます。

すごく複雑な心理構造になってしまうんですが、この恨みを解除していくと「最愛を失った」と私は書いているんですが、これがちょうど胸に当たります。

面白いな~と思うのが、第四チャクラ(胸のチャクラ)の課題は、憎しみと愛なんですよね。

私は確かに、誰かを憎むことと愛が同居したような状態になっていました。汗

そして、私は私のなかにある憎しみがあるから、最愛を手放したって言っているんですよね。

私のなかに憎しみがある限り、私は最愛を手に取ることが出来ないし、なんなら、最愛を手放す理由は、私のなかに『憎しみ』があるからだと言う。その憎しみを最愛に向けることは出来ないと、そういうことらしい。

この葛藤が第四チャクラに生じていて、とてつもなく、これが苦しかった。

ジリジリジリジリと痛み、その痛みにレイキをあてて行くんですが、焼け石に水のような感覚がしました。

 

憎しみがなぜ生まれたのか。その理由は「最愛を手放したこと」にある。

私のなかで、彼は愛そのものだったのだと思います。

愛することだけが出来なかった理由は、私のなかに、多くの憎しみがあり、その憎しみを向けてまで一緒に居たいとは思えなかった。

愛した人を憎みたいだなんて、誰も思っていないはず。でも、私のなかには確かに憎しみによる連鎖によって生まれた結婚を引き継ぐ家系にある。

そんなはざまで私は苦しんでいた。苦しかった。

誰かに恨まれるような結婚がしたいわけでもないし、でも、自分の理想を追い求めた結婚もしたかった。

でも、私の理想を手に入れると、絶対的に誰かに生まれる構造が私の無意識にはあった。

苦しかった。

人の憎しみを想うと、苦しかった。それは、私のなかにも同じように憎しみがあるから。

 

私は、利子私欲で異性を支配しながら、家系を繋いできた私自身の家系を良きものとは思えない。

少なからず、私はそれが正しいとは思えない感性があった。

きっと、私が誰かが不幸であろうが、誰かが苦しんでいようが、どうでもいいと思えるようなエゴイストだったならば、きっと私は親を肯定し、生きることが出来たと思います。

「私だけ幸せな結婚」をしたと思います。それが出来なかったのは、それは私の弱さだったのかもしれないと思います。

人は弱いと言うけれど、私は弱いです。その弱さが悪いものだとは、私は思わない。

 

 

 

私のなかには『憎しみ』がありました。そして『嫉妬』とかもありました。

私は、その憎しみや嫉妬を胸のなかに認め、受け入れていきました。

この憎しみや嫉妬が見せてくるビジョンがある。

ねぇ、どんな状態になれば、私が嫉妬まみれになると思う。

彼が結婚してしまえば、私はきっと嫉妬にまみれることになるでしょう。

私は、彼が結婚したことを想像して、それは悲しいことだとも思ったし、もちろん、泣いてしまったし。

でも、思ったことは、それ以上に「倖せになってほしい」ってことと「ちゃんと責任を、結婚相手にとってほしい」ってことだった。

それは、私が憎しみや嫉妬を上回る以上の愛がここにあるということだったのだと思います。

これが私の憎しみや嫉妬の克服でした。

私は、憎しみや恨み、嫉妬に振り回されなくなりました。

克服とは『感じなくなる』ということ。これが感情の分離です。

分離したあと、その分離を再び、結合させます。こたびの始末です。

私は、私のなかに存在する憎しみを受け取ります。涙を流しながら、その苦しみを受け取る。

 

最愛の人と結ばれることが出来なかった憎しみ。

そして、失敗の結婚を憎んでいる私がいる。その憎しみが、私の最愛を失いました。

愛と憎しみは表裏一体。

愛していたんですよ、私もまた、その失敗の結婚を。親を愛していた、親を受け入れていた。

でも、肯定は出来なかった。だから苦しかった。

 

 

 

ずっと、私がもし誰かと結婚をしたとしても、ここで発表することはないかなと思っていました。

それは嫉妬があるからでした。

でも、もう私のなかに嫉妬はありません。

きっと、多くの方に喜んでもらえるかな? って思います。

そんな日が訪れることをお楽しみに!