私が私を怖かった理由(自殺の原理)
Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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恐怖を探っていて、未来が怖いとか、もう傷付きたくないとか。恐怖の理由っていっぱいあるんだけど、根底にあったものが、私そのものが『恐怖』っていうものがあった。
私は私が怖かった。私そのものが恐怖だった。
私は『姉』だと自分を思っていたようだった。
姉が私を傷つけたように、私も姉のように傷つけるのではないかと思いこんでいて、だからこそ私はすげえ優しかったようだった(;’ω’∩)
でも、私、元々人を傷つけたりとか、しない( ˇωˇ )わざわざ人を傷つけて自分だけよければいいとか、そういう考え方もしていない。
だけど、私は姉だと思ってて、姉にならないように気をつけていたのだ。
そして私は姉が怖かった。しかし、姉は私だから、私は私が怖かった。
私が何かをするんじゃないかって。
でも、なとちゃは姉じゃないよ。
なとちゃ、姉のように人を傷つけたりなんてしてないよ。
なとちゃ、優しいよ(*’д’*)・・・・・・
友達とかにも認めてもらえるように、私も私の優しさを認められるからこそ、私の中で、私自身が恐怖(姉)ではないことを分離させていくことができた。
なんていうか、、すげえ怖かったです。私の姉( ̄ω ̄;)
怖かったのが姉で、優しかったのが私です。
姉を庇い続けた理由も、ここに繋がりそうです。姉が私で、私が姉になっていました。
姉を庇っていたというよりも「なとりは悪くない」ってことだったんだなーと。
だから姉を庇わないことは、すごく大事なことでした。
それから自死のついては「殺したいぐらい憎い人がいる」って意味で、その殺意が自分に向かったんだと思う。
子供の頃から「私はいらない子」って思ってたけど、逆に私にとっていらない姉がいたんだなって思いました。
つまり認識が逆転している。
ただ、おかげさまで誰かを殺すこともなければ、あんまり長い期間、自分の中にある憎しみで苦しみ続けたりとかもしなかった。
たしかに姉に会うとパニック起こしたりとか頻繁にあったんだけど、その程度で済んだのも、私が誰かが悪いっていう他責にしなかったからなんだろうなーと思いまする。
誰かが自殺したら、殺したいぐらい憎い人が自己同一化していた可能性を探った方がいいし、自殺未遂も同じような視点で解釈した方がいいかもな。
根底にあるのは『殺意』で、私たちは生まれて早々、誰かを殺したいなんて思わない。それは私たちが子供だからこその生死を問うような自体に合間見えた際に生じることだと思う。
自分が死ぬか、相手が死ぬかの争い。これが姉妹間で生じた。
それから姉を自己同一化させたからこそ、私は自分が死ぬ羽目になってしまった( ˇωˇ )
姉は何も自覚がないらしいが、確かに私は死ぬかもしれない恐怖にさらされていた幼少時代を送っているんだと思う。
シャドウはなとちゃの一部だけど、姉はなとちゃじゃない(´・ε・`)
そして、恐怖に勝つ必要性はない。感情に勝つ必要性はない。