本当の自分を受け入れる。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ずっと苦しい、苦しいと私が言っていた。理由が分からなかったんだけど、ここに来て判明。

障害者である私が苦しがってた。

「健常者になりたい」っていう思いが詰まってた。だから私は頑張って健常者になろうと努力をしていた。

すると、ギフテッドになって、エンパスになったんだと思う。

発達障害――ギフテッド

精神障害――エンパス

つまりなんだが、発達障害である自分を全否定して努力しまくって健常者になろうとしたら、ギフテッド化。精神障害も同じく、エンパス化。

で、ギフテッドであることを手放し、エンパスであることも手放してしまえば、そこにはちっぽけな自分がいた。

発達障害で精神障害の自分。

総じて、社会に適応しきれなかった自分。その自分が苦しんでいた。

能力をペッと捨てたら、スッと小さな自分がポトッて落ちてきて、それがとてもちっぽけだった。

これが本当の自分だった。

皆よりも劣って生まれ、皆よりも感じる心を持って生まれてきた障害者。社会に適応はどっちにしたってできない自分。

どんなに頑張っても、皆が持つ社会のなかに入っていけない自分。

 

そんな自分を受け入れる。

 

考えてみれば、私はかなりの変人である( ˇωˇ )

歳重ねて、その変人が『天才』と呼ばれるか『偏屈』と呼ばれるかは、その人次第。

同じように、歳重ねて『ギフテッド』と呼ばれるか『大人の発達障害』って呼ばれるかも、その人次第。

他者評価に他ならない。

色んな方にギフテッドであることを認めて貰えたから、私はギフトが捨てられて、自分の障害の気質を受け入れられたんだと思う。(私を認めてくれて見つけてくれた人には凄く感謝している)

自分軸の形成なんだけれど、私の努力は他者からの評価によってアイデンティティが貰えてて。

そのアイデンティティを受け取れたから、私は本当の自分を向かい入れることが出来る。

ギフテッドであることも、発達障害であることも、エンパスであることも、精神障害であることも。

全体的にすべて私自身なんだと思う。

ほとんどが『普通』という概念の元になかったから、私はとても『普通』に憧れて『普通』を愛していた。

誰しもに認められる生まれ持った才能なんていらないんだよ。自分がやりたいことをやれることが才能に繋がっているんだと思う。

やりたいことをやり続けているって意味では、マジでただの発達障害だなって思う。それ以外に見向きもしないから。

 

私は今回、プラスの自分もマイナスの自分も内包する。

色んな方が私のプラスの部分を認めてくれたから、私はマイナスの自分を認められる。

ありがとうm(*_ _)m

元々はマイナスでした。ですが、マイナスからプラスに進む人生でした。

彼くんはプラスの人生からマイナスへ進む人生。

そしてどちらも同じことを意味している。どちらが表面に出てきていたのかってだけ。

 

発達障害――一般人――ギフテッド(優秀な人)

発達障害が受け入れられないと努力してギフテッド化する。ギフト捨てると一般人化する。でも本性は発達障害。

発達障害->ギフテッド->一般人(社会適応を身につけた発達障害)

一般人が普通が受け入れられないと努力して優秀な人になる。優秀さを捨てると一般人になる。

一般人->優秀な人->一般人(社会適応を身につけた優秀な人)

擬態的なものが『ギフテッド』と『優秀な人』っていう傲慢さがあって、その傲慢が手放されると、社会適応が身につくんだと思われる。

ある種、子供時代の社会適応がギフテッドと優秀な子っていうだけで、大人になった時、子供時代の社会適応から傲慢を抜けば、大人社会への社会適応が可能なのだと思われる。

そのとき、他者から見れば「ただの人」なんだよね( ˇωˇ )

社会適応した発達障害なんて障害者じゃないし、社会適応した優秀な人なんて、優秀でもないし。社会で言えば、ただの人。

でも、社会じゃなくて家庭からすれば、発達障害が暴露されると思う。優秀さもギフテッドも、全部でてくると思う。

本性が出てくると思う。発達障害である自分、どこにでもいる当たり前の普通の自分。

それを受け入れられるのか。