排泄欲求をレイキする(便秘を癒す)
欲求が今はテーマのようです。
生理欲求も血を外に出す、排泄欲求も便を外に出す――という排泄に関する欲求。
今、第一チャクラの癒しにきているようで、どんどんと欲求を癒していく。
ずっと便秘症でした。
トイレでずーっと踏ん張ります( `ᾥ’ )ウンウン!!
しかし出ません。もうそこまで来ているのにでません。
とりあえず、正常な排便とは何かについて踏ん張りながら考えました。
ふと「排泄って気持ち良いものだよな?」と思いました。全く持って排便が気持ちよくすっきりできません。
なんなら苦痛です。
踏ん張りながら肛門付近をツンツンと突っついてみました。
気づきました。直腸付近にうんうんがあるのに、直腸がうんうんに気づいていません。
外側から肛門付近をツンツンすると刺激に気づいていますが、内側は何も感じていないようでした。
そして私は( ´ᾥ` )うーん!!と超絶踏ん張っていますが、これに意味が無いことに気づきました。
踏ん張っても直腸が反応していないんです。そりゃ踏ん張ってもでません。だって踏ん張って刺激を入れているのは腹部であって肛門の筋肉ではありませんから。
そこで肛門付近に指先をソッと起き、レイキし始めます。トイレでうんうんしながらですね。
指先から肛門へレイキを当てながら『正常な排便』について考えてみたところ、私の身体が緊張状態のままトイレで踏ん張っていることが問題だということがわかりました。
いわゆる、これはトイレ恐怖症ですね。
さて、それから自分のなかにあるトイレにまつわるトラウマを解消しました。
私の場合、子供の頃にトイレでひとりきりに置いていかれて、母がそばにいないことが問題でした。
トイレのなかで私はひとりきりで不安でした。ゆっくり用を足すことができずに、私はいつも「早く出なくちゃ」っていう焦りを抱えていました。
そしてトイレのなかでの私はトラウマと向き合わないために、トイレの不安に向き合わないためにトイレで排泄に集中ができていませんでした。
トイレで分離しているんです。トイレで考えごとしたりして、トイレに集中しないことで不安を紛らわしていたのです。
そして、そのトイレで解離して切り離している部分は『肛門の感覚』です。
ゆえにどんなに頑張っても、肛門の感覚がないのででません。すごい辛いですね、でない。あるのにでない。
トイレにひとりでいる私が「ママ、いかないで。」と不安そうにしています。
いっしょにいるよと伝えながら、不安を解消していきました。
おトイレひとりでいけるよ( '֊’ )になるまで、根気よく私の中にいるトイレの住人の私と向き合っていきます。
これはトイレのシーンになると解離してしまい、トイレで緊張してしまうって感じです。
トイレに入るとでません。ですが、トイレを出ると出そうになります。
不安なんですね、肛門が・・・・・・。
シーンごとに小さな解離がありますので、そういうものにも目を向けていかなければならないんだなと思いました。
同時に解消することになったのが食事に関することでした。
食事が便秘のことが気になって、食べたいものが食べられませんでした。
食事の内容も健康管理を基本としますので、便秘解消のための食事をします。
これが便秘になる不安から食事をしているので、余計に食べることが便秘に繋がるようになっていました。
不安を理由に食事するので、結果、便秘になります。
食べたいものを食べている時は便秘になりません。ちなみに便秘になるかなとか、そういう意識の元で食べるとやはり便秘になります。
もう食べる内容が便秘を考えて食べているので、便秘になるんですよね。
でも、欲求のままに食べたポテトチップスのほうが便秘になりません。
健康的なものを選んで食べる方が便秘になりやすいっていうか。
この『食べる不安』を解消しました。
便秘が不安だから食べるがおさまったと思います。食べたいものを食べる。
食べている段階で不安なので、やっぱり大腸が不安がってしまい、最後はトイレで「ひとりで不安・・・・・・」と、便秘になっていたみたい。
便秘も何がどう関係しているのかがわからないなーと思いました。
排便とはリラックス状態ででるものです。
しかし、排便に強い緊張や、強い力みがでてしまうとき、排便に関する人格がいる可能性があるってことですね。
あとトイレでつい考えごとして出ない。これもまた、排便がでません・・・・・・。
排便に集中する、自分の欲求に集中できない理由は絶対にあるもんなんだなーと思いました。